アニメ業界ウォッチング第8回:月収4万円の動画マン生活から、故郷でアニメを教えるまでの波乱の人生! 「うしおととら」にも参加の演出家・吉田大輔インタビュー!

「食えない仕事」とされるアニメーターだが、なかには、動画マン→原画マン→作画監督→総作画監督、さらには演出へ進出する有能な人もいる。現在、「うしおととら」(今年7月放送開始予定)の各話演出として準備中の吉田大輔さんは、そんな成功者のひとり。

業界内で回ってきた仕事をこなすだけでなく、妻であり漫画家でもある、えぬえけいさんの著書「名探偵夢水清志郎事件ノート」を自主制作し夫婦でアニメ化、さらには毎年、山口県の「しものせき映画祭」で中高校生に向けて「アニメ教室」を開講しているという吉田さんに、デビュー当時からの足跡をうかがった。

果たして、アニメーターは本当に「食えない仕事」なのだろうか……?


アニメ業界を目指す前にまずは情報集めを


――アニメ業界に入ったきっかけを教えてください。

吉田 多摩美術大学の3年生のときに、アニメーターになりたいと思って、何社かスタジオを受けました。その時、大きなスタジオからは「制作進行しか採用していない」と断られてしまったんです。スタジオを回るとき、アニメ会社の住所の書かれた「月刊ニュータイプ」付録の小冊子を持ち歩いていたのですが、サンライズの方が「この会社だったら信用できるから」と、何社か丸印を付けてくれたんです。その中にスタジオ・ライブがありました。家に帰って調べてみると、僕の見ていた「銀河漂流バイファム」や「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」のキャラクターデザインをスタジオ・ライブの人たちが担当している。それで入社試験を受けに行ったのですが、美大生だったので根拠のない自信がありました。(創設者の)芦田豊雄さんが僕のそんな様を見て、「いいよ、うちにおいでよ」とその場で内定を出してくれたんです。


ただ、これからアニメーターを目指す人にアドバイスしておくと、僕は大学1年生のときに「わたしは貧乏なアニメーター」(データハウス)という名著をしっかり読み込んで、アニメーターの暮らしを勉強しました。その本にはアニメーターの月収は2~4万円と書いてあって、「これは仕事にならないのではないか」と不安になって漫画の修行を始めたんです。つまり、いったん業界の厳しさを知って距離を置くことは、後の選択のために必要なことだと思うんです。「好き」という気持ちだけでまっすぐ突き進むのではなく、自分に不利な条件も事前に知っておくのは、非常に大事だと思いました。

スタジオ・ライブには長く籍を置いていたのですが、同期の人間や後輩に上手い人、働く根性のある人がいっぱいいました。たとえば、僕と同じ頃に動画から原画に上がった人に、「地獄少女」でキャラクターデザインを担当していた岡真里子さんがいます。とても働き者で自分にプライドを持っている人だったので、僕も負けないように、実力以上に仕事に打ち込めたんです。先輩にも後輩にもそういう人が多かったので、働きやすくて上昇志向を形成しやすい職場でした。


――入社時は、動画として入ったんですよね?

吉田 はい、動画です。まず、商品にならない線を引くところから始めて、だんだん線が慣れていって、納品できる動画になっていくんです。だから、最初のうちは無駄な動画ばかり描いてしまって、入社当初は月収4万円に近い状態でした。「これは『わたしは貧乏なアニメーター』で読んだ世界が来たぞ、僕は知ってるぞ」と、ふんどしを締めなおしましたね。さっきも話したようにキャリアを上に積んでいく人は、きちんと働くんです。なので、僕も負けないように半年ぐらい動画をやっていると、10万円以上は稼げるようになってきました。楽ではないですけど、給料が振り込まれたのに家賃を引かれたら1万円ぐらいしか残らない……といった苦しい状況ではなくなりました。食えない中で延々と動画をやっていく、ある意味、「絵を描かされる」状況に身を置くと、アニメーターとして働いていく自力が付くんです。

――動画から原画に上がるのに、どれぐらい時間がかかりましたか?
吉田
 1年半ぐらいです。芦田さんから「そろそろ、原画やってみるか?」と声をかけられ、「ようちえん戦隊げんきっず」(1994年)という幼児向けビデオマガジン「ぽん・ぱ」(講談社)収録のアニメで原画デビューしました。井上英紀さんが作監(作画監督)で、跡形も残らないような厳しい修正をもらいましたね(笑)。

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