【懐かしアニメ回顧録第10回】初代「ルパン三世」の傑作エピソードは、「引き算」でできている!?

二度とかえらぬ青年期をバブル景気に蕩尽した中年ライター・廣田恵介が、一度の離婚をものともせず、日本アニメのあんな時代・こんな時代を表から裏から語る「懐かしアニメ回顧録」。さて、「ルパン三世」といえば10月からの新シリーズが話題だ。第2話まで見たかぎり、第1シリーズの大人っぽいムードに回帰しつつ、ストーリーの仕掛けや味つけは2015年の視聴者を満足させる密度と大衆性を持ち、まずは「テレビ番組」として見事な仕上がりだ。

そこで気になるのが、1971年の第1シリーズの「ルパン三世」。1971年といえば、万国博の翌年。高度成長期の終わりごろだけど、ベトナム戦争はまだまだ続いている……そんな年だ。


不二子をくすぐる小さな手


1968年生まれの筆者は、まだ4歳。幼稚園年長すみれ組。そんな幼児が「ルパン」を楽しみに見ているはずもなく、おそらく「宇宙戦艦ヤマト」(1977年劇場版公開)ブーム時の“過去アニメ再評価ブーム”のころに「ルパン」の再放送も行なわれていて、ようやく面白さに気がついたのだと思う。
小学校の教室のすみっこに、「昨日のルパン見た?」とヒソヒソ話で集まる仲間が増えはじめた、そんな頃だ。1977年には新シリーズの「ルパン三世」も放送スタートし、主題曲(他のアニメのシングル版より百円高かった)のレコードも買ったのだが、やはり峰不二子は第1シリーズのほうがエッチだ……第1話で、無数の機械の手でコチョコチョされるシーンが最高だ……それぐらいは、小学生にも理解できた。女だてらに銃器の扱いが上手く、オートバイに乗ったり、主人公のルパンを手玉にとったり裏切ったり……そこもカッコよかった。40代後半、バツイチの今なら、よけいにわかる。不二子は、ただひとりのキャラクターなのではなく、男にとって「手のとどかない女」の抽象イメージそのものなのだ。


「脱獄のチャンスは一度」の虚無感


第1シリーズ前半、演出担当の大隈正秋氏の名前をとって“大隈ルパン”と呼ばれるパートを見直してみた。小学生のときに初めて「面白い!」と感じた第4話「脱獄のチャンスは一度」に、やはり最も心ひかれた。まず、登場キャラクターが少ない。監獄にとらわれたルパン、彼を監視する銭形、ルパンを脱獄させようとお節介をやく不二子、それを妨害する次元のみ。舞台は監獄だけ。道具立てがシンプルだ。

監獄の中で1年間、髪もヒゲも伸び放題のルパンは、僧侶に変装して助けに来てくれた次元にすら、脱獄しない理由を話さない。ただ、1本のタバコを求めるだけだ。いよいよ死刑執行の当日、ルパンは、唐突に脱獄を決意する。不二子はルパンが死刑になったと思いこみ、彼愛用のワルサーP38を海へ投げすてる(不二子にだけ真実が知らされないのが、またいい)。次元とルパンの乗ったベンツSSKは、宝箱の埋められた森林へ向かう……が、1年の間に、森林はダイナマイトの試験場になってしまっていた。僧侶に変装した次元のくれた1本のタバコ。それをとりだし、ルパンは火をつける。「御仏の慈悲だ」。ダイナマイトの爆発する荒地の真ん中で、ルパンと次元は笑いころげる。この、乾ききった虚無感。

ルパンは、銭形に逮捕された屈辱をはらすためだけに、1年間も監獄で辛抱をつづけたのだ。その屈辱にくらべたら、お宝も不二子もどうでもいい。ルパンにとっては、こだわりや美意識が最優先で、色欲や物欲は、オマケのようなものではないか――彼は、アーティストなのだ。すべては、死ぬまでのヒマつぶしなのかも知れない。


なぜ、このエピソードがカッコいいのか?


原則的に、アニメーションは「足していく」表現だ。何枚かの原画に動画を足して動きをつくり、色を加えて映像をつくる。「引く」過程が、ほとんどない。ところが、「脱獄のチャンスは一度」のルパンは、ベージュ色一色の囚人服を着せられる。いつもの青いスーツと黄色いネクタイから、色が「引か」れている。不二子はルパンを脱獄させようとするが、次元が邪魔をする。不二子がからめば物語はにぎやかになるはずなのに、彼女は物語から何度となく「引か」れる。宝箱を埋めた森林は伐採され、やはり「引か」れている。色からキャラクター、舞台にいたるまで、どこかでマイナスされているのだ。引けば引くほど、目に見えないルパンの美学が、クッキリと立ち上がってくる――「足す」のが原則のアニメの文法に逆らってまで表現せねばならないものが、このエピソードからは、確かに感じとれるのだ。


(文/廣田恵介)

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