【犬も歩けばアニメに当たる。第12回】神の願いは誰が叶えるのか? 神と神器が紡ぐ今時のご町内神話「ノラガミ ARAGOTO」

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ファン待望の「毘沙門編」「黄泉編」が第2期で登場


著名な神様が親しみやすい中高生の姿をしていたり、人を武器に変えて戦いを挑んだり……。アニメやコミックでは近年わりと見かける設定だが、「ノラガミ」(2013年)はそれらを、唯一無二の魅力を持った物語に仕立て上げている。

原作コミックで一番印象的なのは美麗な絵とキャラクターだが、世界観やストーリーもおもしろい。特に感情の細やかでリアリティのある描き方は、見る者を引き込む力がある。

アニメはこの原作を大切に生かし、アニメとしての説得力、躍動感を重視して、テレビシリーズにまとめている。

五円で人の願いをかなえるデリバリーゴッドの夜ト(やと)は、無名で宿無し(お社を持たない)の神だ。中学3年生の少女・壱岐ひよりは偶然夜トと知り合い、魂が抜けやすい半妖体質になってしまい、治してもらうために夜トと関わることになる。

夜トは14歳で亡くなった少年の魂を召し上げ、雪音という名を与えて自分の神器(しんき=神の道具)とする。夜トが妖と戦うとき、雪音はよく切れる白銀の刀に変化して武器となる。

すでに死んで未来のない雪音は、自分の運命を嘆き世をすねて盗みや嘘を重ね、妖に転じかける。だが夜トは雪音が自分の「唯一無二の存在」になることを信じて諭し、雪音が立ち直るのを待った。また、ひよりが自分のために涙を流すのを見て、雪音は反省。こうして神と神器と半妖(であり、唯一の信者)という3人は、互いが大切な存在になる。

この「疑似家族」的な関係は、第1期のアニメで時間をかけてていねいに描かれたところだ。夜トは孤独な神で、自分だけのかけがえのない神器をずっと欲しがっていた。そのために、雪音が荒れるのに耐えて、彼が立ち直るのを辛抱強く待った。いっぽうひよりは夜トにとって初めての信者。「気になる女の子」でありながら同時に、「自分に神としての存在価値を与えてくれる唯一の信者」ともなる。

雪音にとっては、夜トはダメ主であると同時に、懐深く自分を見守ってくれる父親のような存在だ。そしてひよりは、人間でありながら神や神器である自分たちに深く関わり、身の上を心配してくれる。姉のようでもあり、気になる女友達のようでもある。

神や神器という彼岸の存在に関わることになったひよりは、夜トや雪音のことを普通の人間の友達のように気遣い、理解して、足しげく通ってきて心配する。ひよりにとって、夜トも雪音も人間と変わらず大切な存在なのだ。そのやさしさ、あたたかさが、ふたりの心を救う。

この、家族のように互いを必要とし、あたたかさを求め合う3人の関係が、ストーリーの骨子となっている。

そこに、受験生にはおなじみの天神様である菅原道真公、関わるとヤバイ貧乏神・小福、そして戦いの女神・毘沙門天などの著名な神々がからんでくる。

現在放送中の「ノラガミ ARAGOTO」は、シリーズ第2期。全12話の無印第1期に続く続編だ。ファンが待望した、原作の「毘沙門編」「黄泉編」を描いている。



神と神器の主従関係は、ユニークで興味深い設定


「ノラガミ」のおもしろさのひとつは、神器というシステムにある。死んだ人間の魂を、神は自分の道具として、名前を与えて召し使う。神器は神をただ1人の主として、忠誠を尽くす。

この関係が、神と人間の関わり方をユニークに、説得力を持って定義しているのだ。

神はもともと人間の願いから生まれ、人間の願いをかなえるために存在する。人間に願いをかけられることがなくなったら、つまり存在を忘れられたら、神は「消える」ことになる。

夜トは「消えたくない」と切実に願う。つまり、神が存在するためには、人間の願いが必要なのだ。夜トにとって、ひよりは命綱のような存在でもある。

いっぽうで、神は善悪を判断しない。神のなすことはすべて「善」とされている。善悪を決めるのは何かというと、かつて生きた人間だった神器たちだ。神器たちが心にやましさを感じると、それはダメージとなって主に返る(これを「主を刺す」という)。

だから神器は、そもそもやましさを感じるような悪事を働いてはならないのだが、これはつまり、元人間である神器から、神は人が「善悪」と考えることの基準を知る、ということだ。つまり、神器が人を殺すことになんの躊躇もなければ、主の神は人殺しを「悪」と思うことはない。「そんなことをしてはならない」と神器が心を痛めたとき、神は初めてそれが人間の間で「悪」とされていると知ることになる。

そして神器は、決して神に使われるだけの存在ではない。時には相談を受け、神が進むべき道を指し示す「道標」の役割も果たす。神は密接に人間と関わり合いながら、願いをかなえ人を幸せにしようとする、欠点もクセもあるまことに〝人間くさい〟存在として描かれている。

そんな神が、人間の世界に入ってきて、なにかというと生きた人間たちと関わり、騒動を起こし、影響を与える。これは、ギリシア神話にも通じる、まさしく「現代の神話」といってもいいだろう。


変化のときを迎えた夜ト。「黄泉編」の最後にご注目


「ノラガミ」のアニメ化を手がけたのは、アクション描写を得意とするボンズ。現実離れしたアクションを、重力を感じさせる重く力強い動きに仕上げて魅せるのが得意だ。

刀に変じた雪音を手に、夜トが巨大な妖を斬りふせるところが、アクションシーンの山場だ。

第2期では、雪音が新たに2本の刀に生まれ変わったことから、夜トが〝二刀流〟になった。まるで舞のような動きで見得を切り、妖を斬る夜トのアクションが、もう実にかっこいい。「毘沙門編」がアニメになってよかった!……と、しみじみ実感する。

夜ト、雪音、ひよりの主役チームとは別の神様ファミリーの内情が見られるのも、第2期の大きな楽しみだ。第1期で描かれた天神ファミリー、小福&大黒コンビに加え、第2期ではまず、老若男女が多数揃った毘沙門天ファミリーのフルメンバーが登場。続いて、黒服で男ばかり、まるで企業のビジネスマンのような恵比寿ファミリーが登場した。

毘沙門天も恵比寿も、おなじみ「七福神」のメンバーで、よく知られているメジャーな神だ。しかし、開けてビックリ。荒ぶる武神である毘沙門天は、ビキニの上に軍服を羽織ってムチや銃を操りライオンにまたがる美女で、まさかの女体化! そしてでっぷり太ったおおらかな姿で知られる恵比寿は、この作品では、ドライで合理的なエリートビジネスマン風の風貌をしている。

物語は第2期7話から「黄泉編」に突入している。「毘沙門編」で毘沙門の長年にわたる誤解を解き、旧怨を解いた夜トの過去や秘密にまつわる謎が、また少し明かされようとしている。

夜トは生まれたときから現在に至るまで、「父様(ととさま)」の命令で人を間引いて殺して、「禍津神(まがつかみ)」と呼ばれてきた。けれど今では、自分を支えてくれる雪音やひよりの信頼にふさわしい、人の役に立つ神になりたいと、夜トは思いはじめている。変化のときなのだ。

夜トは恵比寿を連れて地下の国、黄泉から脱出しようとしている。そのためには黄泉の女王のイザナミから逃れ、天から差し向けられる討伐隊を退けなくてはならない。果たしてどうなるのか……が、黄泉編の見どころとなる。

一見軽薄でチャラいハイテンション男に見える夜トだが、その内には秘めた重い過去や懐の深さを持っている。随所にちりばめられたそんなギャップ萌えも、大きな魅力なのだ。

人の願いを神がかなえるのであれば、神の切なる願いは、一体誰が聞き届けるのだろうか?

黄泉編の最後は、しみじみしたものになるだろう。神々が入り乱れた騒動の決着を待ちたい。

原作コミックの限定版DVDに収録されるのは、オールキャラ登場のコメディだ。第2期ではシリアス風味が強いが、もともと「ノラガミ」はコメディや振り切れたギャグもいい。TVアニメが気に入ったなら、原作コミック限定版DVDも必見! と言っておく。



(文・やまゆー)

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