ホビー業界インサイド第11回:超合金から食玩まで、オモチャに捧げた半世紀! トイ・デザイナー、野中剛インタビュー!

“トイ・デザイナー”と聞いて、どんな職業を思い浮かべるだろうか? 1997年、史上初の大人向け合金玩具として大ヒットした「超合金魂 マジンガーZ」(バンダイ)を企画・開発したのが、野中剛氏だ。

「超合金魂」のヒットから約20年。バンダイを退社し、フリーランスの立場から、食玩からプラモデルまで、幅広くトイ・デザインを手がける野中氏。失敗談から成功体験まで、トイ・デザイナーとしての豊かな経験を縦横無尽に語っていただいた。


キャラクター玩具と歩みつづけた幼年時代


──幼年時代は、どういうお子さんだったんですか?

野中 僕は今年、「ウルトラマン」と同じ50歳になりました。僕の小さいころはテレビキャラクターの発展期で、「ウルトラマン」や「仮面ライダー」、「マジンガーZ」「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」などのキャラクターグッズとともに育ってきました。文房具、プラモデル、合金玩具、途切れずに触れてきましたね。

──では、そのままキャラクターグッズの仕事につきたいと?

野中 そうですね。80年代、「アニメック」というアニメ雑誌で、メカデザイナー特集号があったんです。表紙は加藤直之さんの絵で、出渕裕さん、宮武一貴さんらのインタビューも載っていました。その特集に、村上克司さん(超合金を開発した工業デザイナー)の記事も載っていて、長年の謎が氷解したんです。東映のヒーロー特撮番組に出てくるミニチュア模型、着ぐるみ、デザインの独創性。さらに「ウルトラマン80」にも、同じ香りがするのはなぜ?……と思っていたら、「ああ、この村上さんという人が、ロボットやメカをデザインしてるからなのか」と、解せたんです。

高校生でしたけど、当時「DX超合金ゴッドシグマ」など、ポピーのオモチャのコマーシャルがとても迫力があり、アニメ本編を凌駕している印象もあったので、「村上さんのようにテレビ番組と連動したオモチャのデザインをするのが、いちばん素敵なんじゃないかな」と思ったわけです。

──それで、バンダイに入社したんですね。

野中 美術系の専門学校を出て、2社だけ受けたんです。バンダイとタカラのみです。運よく、バンダイに入れたわけですけど、入社前にデパートで、“助勤”をやらされました。ようするに、オモチャ売り場で実演販売をするんです。大道芸みたいに、変形玩具を子どもたちの前に並べて「ほら、ミニカーが5台あるでしょ?」「見ててごらん、ロボットに合体するよ!」って。その“助勤”体験が、入社前のクリスマスで、とても楽しかったんです。だから営業でもよかったんですけど、入社してからは、男の子向けのオモチャを企画・開発する“玩具模型事業部第一部”(当時)に、配属されました。

──では、バンダイでスーパー戦隊シリーズに出てくるロボをデザインしたわけですか?

野中 もちろん、いきなりそんな重要な役職にはつけません。だけど、ロボットがどーんと立っているとか、ヒーローがかっこよくキックしているイラストを描けたので、社内では重宝がられました。

──最初に手がけた商品は、何だったんでしょうか?

野中 はじめて担当したのは「闘将!! 拉麺男」(1988年)で、フィギュアもやりましたし、なりきりオモチャも作りました。それまで先輩方から色々教わったり、盗み見たりして、ひととおり仕事の流れは理解しているつもりでしたが、いざ自分で商品を手がけてみたら、ぜんぜんわかっていなかったんです。パッケージひとつ、商品の仕様ひとつ、先輩から学んでいたときと自分でやるのとでは、まるで違う。周囲に多大な迷惑をかけた、苦い思い出ですね。

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