美術監督・加藤浩 ロングインタビュー!(アニメ・ゲームの“中の人”第5回)

アニメ・ゲーム業界の第一線で活躍するクリエイターたちにインタビューを行い、仕事の流儀や素顔に迫っていく本連載。第5回は美術監督で、株式会社ととにゃん取締役の加藤浩さんにインタビューを敢行。「ああっ女神さまっ」「覇王大系リューナイト」「新世紀エヴァンゲリオン」「アストロボーイ・鉄腕アトム」「ばらかもん」「放課後のプレアデス」といった、数々の名作の背景を手がけてこられた加藤さんに、影響を受けた作品、経歴、美術職に求められるもの、自社の強み、今後の目標などを語っていただいた。


大学時代からアニメを自主制作

まずは影響を受けた作品を教えていただけますか?

加藤浩(以下、加藤) 実写に関しては、ブログでも書いたように、「タワーリング・インフェルノ」「ブレードランナー」「ジョーズ」「ポセイドン・アドベンチャー」といった作品が好きですね。アニメは「宇宙戦艦ヤマト」や「未来少年コナン」というところから、私は業界に対して興味を持ち始めました。

─いつからアニメのお仕事をしたいと思いましたか?


加藤
 大阪芸術大学に在学していたころ、先輩たちと一緒に自主制作アニメを手伝っていて、そのうち「アニメの世界に就職しようかな」と思うようになりました。その後、大学の先輩に聞くと、「生活していくにはなかなか大変な世界だ」と言われ、タツノコプロさんなど、アニメ制作会社数社を見学させていただいた時も、業界の諸先輩から「おすすめはしない」と言われました。しかし、「ならばなおのこと行ってみたい」と強く思い、若気の至りで業界に飛び込みました。

―最初はどちらにお勤めを?

加藤 プロダクション・アイ、通称「アイプロ」さんですね。そこでの最初のお仕事は、TVアニメの「めぞん一刻」(1986~88)の背景でした。

─新人の方の生活が大変だと言うのは、よく聞きます。

加藤 大学出たてで、20代前半なので、貧乏も自慢のうちでした(笑)。業界の先輩におごってもらったりしながら、「何とかなる」というノリで生活してました。


美術は画面のルック・ムードを決める


─当時から美術職を希望されていたのですか?

加藤 上京当初は演出志望だったんですけど、大学の先輩から「美術もかじっておいたほうがいいよ。その後でも演出に行けるよ」と言われ、美術のお仕事を始めました。しかし、美術に入ってみたら、深過ぎる、面白過ぎるんです。

─美術の面白さは、どういうところにあるのでしょうか?

加藤 今はデジタルで加工しますが、当時はフィルムの時代で、絵具を使って紙に手描きしてましたから、自分の絵がそのままフィルムになるわけですよ。これは「画面のルック・ムードを決める、重要なポジション」だと気づき、面白くて抜けられなくなりました(笑)。当時でもその後に撮影が入って、フィルターなどはかかるのですが、ムード・雰囲気、時間、天候、ライティングなどを演出の意図に従って描写できるのが背景だったんです。最近は3Dなどのデジタル工程が入ってきたので、そうでもなくなってきていますが。

美術監督デビューは「ああっ女神さまっ」

─プロダクション・アイさんで経験を積まれた後は、どのようなキャリアを歩まれたのですか?

加藤 アイプロさん退社後は、しばらくフリーで活動していました。そして、細かい仕事をいろいろと受けているうちに、フリーの仲間から「一緒に美峰をやらない?」とお声がけをいただいたんです。美峰は最初、フリーの集団でしたが、その後の法人立ち上げにも参加しました。最初は劇場版の「サイレントメビウス」(1991)やOVAの「電影少女―VIDEO GIRL AI―」(1992)のお手伝いをしていました。

―美術監督デビューも美峰さんで?

加藤 デビューは藤島康介先生のOVA「ああっ女神さまっ」(1993~94)ですね(編注:加藤さんはTVシリーズ(2005~06)の美監も務めている)。みずから手をあげ、思い切ってやらせてもらいました。あのころの美峰はまだ法人化していませんでしたが、AICさんにはいろいろとお世話になりました。法人化して美術監督としてお手伝いしたのが、TVシリーズの「覇王大系リューナイト」(1994~95)になります。

―TVシリーズの美監はいかがでしたか?

加藤 「リューナイト」は、「駆け出しの会社にTVシリーズができるのか」という挑戦の意味合いもあったので、会社全体で頑張りましたね。あの作品には鍛えてもらいましたよ(笑)。スケジュール的にも大変でしたが、サンライズさんには本当に助けてもらいました。

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