アニメーション監督・中村亮介 ロングインタビュー!(アニメ・ゲームの“中の人”第7回)

アニメ・ゲーム業界の第一線で活躍するクリエイターたちにインタビューを行い、仕事の流儀や素顔に迫っていく本連載。第7回はアニメーション監督の中村亮介さん。監督として「魍魎の匣」、「走れメロス」、「ねらわれた学園」、「あいうら」、「灰と幻想のグリムガル」など、数々の名作アニメを生み出してきた中村さんの、経歴や作品に対するこだわりとは?アニメ制作以外の活動や今後の目標などついても、詳しく語っていただいた。


「大人から見た子どもを描く作品」ではなく、「子どもの目の高さにまで降りている作品」


─本日はお忙しい中、ありがとうございます。まずは中村監督が影響を受けた作品についてうかがえますか?

中村亮介(以下、中村) 好きな作品はいっぱいあるんですが、自分が影響を受けたと自覚できる作品は、聞かれてパッとすぐ出るものはないですね。何か気の利いた作品をあげられればいいんですけれども。

僕は児童文学が好きで、大学時代には児童文学のサークルに所属していました。「灰と幻想のグリムガル」(2016)でも、自分の好きは無意識に出ていたように思います。「ジュブナイル」という言い方でスタッフには説明していたんですが、あらためて「児童文学が他と違うところって何ですか?」と聞かれると、実は自分でもうまく定義できないんですよ。


ただ、はっきりしているのは、「大人から見た子どもを描く作品」と「子どもの目の高さにまで降りている作品」は、違うということ。僕が愛する児童文学は、子どもの目の高さから、等身大の子どもたちと仲間を描いた作品であって、大人の目から見た「安全な子ども像」には興味がないんです。

僕が大事だと思うのは、子どもならではの感じ方、考え方で。それは時には読者を傷つけてしまうかもしれないような、あやうい繊細さも含んだもので。誰もが通過してきた子ども時代を、等身大に追体験しようとする姿勢を含んだものだと思うんです。

たとえば性差をとっても、子どものころにはそれはないと言うことはできない。大人からはないようにも見えますね。でも大人とは違った感じ方で、違ったあり方で、やはりそれはあるとしか言えない。小学生には小学生の、中学生には中学生の感じ方があるはずだと思うんです。この言い方で伝わればいいなと思うんですけれども。

宮崎駿監督の作品を観ると、きっと児童文学の僕が好きな部分と同じところが好きで、作品の中で大事にしてくださっているんだなというのを感じますね。


─アニメ業界に入る前から、そうした作品にご興味があったのですね。


中村 アニメーションは子どもから大人まで楽しめるもので、子どもが観客に含まれているところが、僕がアニメの世界を選んだ大きな理由です。すぐれた児童文学は、子どもが読んでも当然面白いですが、大人の鑑賞にも耐えうるものです。それは映像になっても変わらないと考えています。


─目標とする方はいらっしゃいますか?


中村 どなたか例を出せればいいんですけれども。自分のことって自分が一番わからない部分がありますよね。いま宮崎監督の名前を出しましたけれど、だから影響があるというほど単純なものでもないですし。ただ僕は、たくさんの児童文学、文学、映画やマンガを読んできて、音楽とか、最近だと舞台とかもですよね、そうした全てが僕の血肉になって、自分の作品になっているんだと思っているんです。

そうした毎日をすごしながら、日々感謝の気持ちしかなくて。作品を作るって、そんなふうに自分が生まれてから血肉になってきたすべてを動員して、作っているようなものだ、という気持ちになることがあるんです。

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