アニメ業界ウォッチング第29回:神山健治監督が語る、「ひるね姫 ~知らないワタシの物語~」への長い道のり

神山健治監督の最新作「ひるね姫 ~知らないワタシの物語~」が、2017年3月18日より公開される。監督作品としては、「009 RE:CYBORG」(2012年)以来、実に5年ぶりの新作だ。「ひるね姫」の主人公は女子高生。舞台は3年後の日本で、変形ロボも出てくる。これまでの社会派ドラマとは一線を画す内容だが、そこへたどり着くまでには、みずからがアニメをつくる意味を問い直す苦難の道を、くぐり抜けねばならなかったという。
制作会社シグナル・エムディで仕上げ作業に追われる神山監督に、「ひるね姫」にいたる道のりを振り返ってもらった。


アニメ監督として、本当に人の役に立てているのだろうか?


──神山監督は、以前から、ご自分を「頼まれもせずに世界を救う男」とおっしゃっていました。新作の「ひるね姫」は、その路線から外れているように見えます。「世界を救う男」シリーズは中断なのでしょうか?

神山 いえ、そういうわけでもないんですが(笑)。僕は企画を持ち込まれたり、依頼されたりすることが多い立場なので、「このアニメをつくろう」と決めるとき、いくつか基準を設定しています。これまでは、世の中に対する疑問や怒りを題材に、作品をつくってきました。「なぜ世界中の人たちが反対しているのに、湾岸戦争が起きてしまうのだろうか?」とか、もう少し小さいレベルだと「なんで、こんな法案が通ってしまうのか?」、さらには「どうして、こんなゴミの出し方をするのか?」 そうした、ちょっとした引っかかりを手がかりにして、作品をつくってきわけです。社会に対する不満を物語の中で正そうとすると、どうしても「世界を救う」ような話になる。映画監督はある種のサービス業ですから、企画を持ち込んできた相手をよろこばせたい、作品を見てくれる人をよろこばせたい……とがんばった結果、世界を救ってきたんだと思います。
ところが、「009 RE:CYBORG」(2012年)と、お蔵入りになってしまったもう1本の企画を進めているとき、初めて、本心と作品のあいだにズレが生じたんです。東日本大震災があった後、物語の中で事件の解決をしても、起きてしまった現実に対しては何の結果も得られないんじゃないか? という敗北感をおぼえたし、いままでの自分の作品のつくり方、込めてきたメッセージに初めて疑問を感じてしまったんです。


──震災が、ひとつのキッカケだったのですね。

神山 「009」の脚本が完成し、もうひとつの企画の打ち合わせをしている最中、スタジオのビルが地震で揺れたのを覚えています。師匠(押井守監督)は「こういう時代だからこそ、ファンタジーをつくるべきだ」と言っていましたが、僕は、逆にファンタジーにそらぞらしさを感じてしまったわけです。震災直後、「攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX Solid State Society 3D」(2011年)を、震災にあった仙台で上映する機会をいただきました。まだ復興半ばという時期でしたが、なんとか映画がかけられる状態だったので、プロデューサーたちとフィルムを持って訪ねたんです。現地の方々には「こんな何もなくなってしまった被災地に映画をもってきてくれて、ありがとう」と言われたのですが、申し訳ない気がしました。お金をとって見せているわけだし、僕らが映画をもっていって、本当に役に立っているんだろうか? 「ありがとう」と言ってもらえるような映画を、本当に自分はつくれているんだろうか? 何ともいえず、座り心地が悪かったのを覚えています。
さらに「009」の公開を終えた後も、僕の中ではしっくりしないままでした。
そんなとき、日本テレビの奥田誠治プロデューサーから「自分の娘に見せたい映画をつくったらどう?」と提案されたんです。原作の提示も何もない、オリジナル企画でやってみたら? という、とてもありがたい話でした。「そういう映画のつくり方をしてもいいのか」と、すこし気が楽になりました。これまでの考え方を変えることができ、気持ちを切りかえることができました。

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