「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第三章」上映記念インタビュー! 羽原信義(監督)×福井晴敏(シリーズ構成)×岡秀樹(脚本)、艱難辛苦を突き抜けた先に見えるものとは……?
劇場上映アニメ作品「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の第三章「純愛篇」が、本日より劇場上映される。副題である「愛の戦士たち」に加え、「純愛篇」というタイトルを冠した、まさに「愛」尽くしの第三章の上映に先立ち、本作の語り部たる羽原信義監督、シリーズ構成の福井晴敏さん、脚本・岡秀樹さんに、「愛」の何たるかをうかがってきた。
空前のロングインタビューにかつ目せよ!
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「さらば宇宙戦艦ヤマト」という傑作を作り直すプレッシャー
――実は自分は、ぎりぎり「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を劇場で観ていた世代なんです。当時は小学校低学年くらいでした。
福井 おっ、観てるんだ!
羽原 当時、内容とかわかりました?
――わかりましたが、結構トラウマになって……(苦笑)。
福井 ある種の「電波」だったからね (笑)。
――衝撃的でした。そんな劇場版の後にTVシリーズも改めて制作され、とにかく「すごい作品」というイメージがある「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」ですが、今回、そんな作品を作り直すという話になり、皆さんもそうとうプレッシャーだったのではないかと思われるのですが。
福井 ものすごくやり甲斐がありそうだけど、同時にものすごく大変そうだな、とは思いました。が、自分は大変そうなことに喜びを見出すタイプなんです(笑)。とは言え、あまりにもクリアしなきゃいけないことが多すぎではありましたね。ただ、これを全部クリアできたら、さぞ気持ちいいだろうなと思って取りかかった感じなので、プレッシャーよりは楽しさが勝っていました。
羽原 僕は好きすぎて (笑)、やりたくてしょうがないという気持ちはありつつ、前作「2199」がかなりのクオリティだったので、その続きの監督が自分に務まるかどうかわからないと、悩みはしましたね。実際に始まったら、嬉しくてしょうがないという思いが強かったんですが、いざ上映されてからは、「大丈夫かな、俺」というプレッシャーを、ずっと感じてます。
「2199」のときは本当に出渕(裕)さんの懐に入って、という感じだったので、全然責任感なんて感じていなかったし、「好きなことやりますよ!」くらいの感じだったんですが(笑)、(監督として参加した)今回は本当に毎回ドキドキしてます。
――岡さんはいかがでしたか?
岡 僕はもともと実写畑の人間なので、「妙なことになっちゃったな」という印象ですね。羽原さんに呼ばれて、福井さんにお会いしてそれで「ヤマト」をお手伝いすることになったんですが、「さらば宇宙戦艦ヤマト」というのは「ヤマト」の歴史の中でも飛び抜けて高い頂(いただき)じゃないですか。「そこに登らなければいけないのか」「すげぇことになっちまったなぁ」と。
しかも「愛の戦士たち」とうたって、やるからには、間違いなく「さらば」のリメイクと喧伝されることになるだろう。とすると、いったいどういうカードの切り方が正解なのか? オリジナルと全く同じ流れにはできないだろうし……、というのが最初の思いでしたね。前作「2199」に前倒しでガトランティスが出てきていて、その世界観を引き継いでのスタートでしたから。
――やはり「2199」は、頑然としてある感じなんですよね。
岡 そうですね。まったくそれを無視することはありえないだろうし。ただ、福井さんは、「昔のものを換骨奪胎して、よいものは残しつつ、今に通じるテーマを上に被せて全体を貫く」と最初に仰っていました。その言葉が具体的にどういうストーリーになっていくのか? というのを、僕らはドキドキしながら待っていたところがありました。企画書に書かれていたお話の流れは、ヤマトの発進まででしたよね?
福井 そうですね。
岡 「この先どうなるんですか?」とストレートに聞いたら「考えてない」と(笑)。周囲の意見も聞いたうえでいろいろ探りながら書き進めていきたいということでした。ただ、そうは言ってもいろんな筋道がすでに福井さんの頭の中にはあるわけで、それが全部出そろうまで、それほど長い時間はかかりませんでした。
福井 流れ自体はね。俺からすると、自分の好きに作っている感じはまったくなく、現代にあわせて作ったら、もうこうするしかないだろうというコースが、なんとなく見えていました。旧作の「さらば」は、「特攻賛美」かもしれないと当時から言われていた究極の問題作ですよね。それを、毎日自爆テロが起こっているような世の中でもう一度やるからには、かなりドラスティックなことをやらないととんだ笑いものになってしまう。ならば、もう逆に正面突破しかないだろうと。それでも正面を突破しているように見えながら、絶対に突き当たるであろう壁は、実は差しかかった瞬間にきれいに壊れる。
そういう道筋を考えていくと、「こっちにしようかな? あっちにしようかな?」と迷ったことは、今回はまったくないです。行く道は決まっているもの。最後はみんな死んで終わるのかとかは、わかりませんよ? テーマとして取り入れて、何を伝えていくかということにおいてはこの道だろうという話です。
きわめて特殊な精神性を持つアニメ──それが、「宇宙戦艦ヤマト」
――前作「2199」は 出渕さんが中心になって作られていましたが、今回はガラッとメインのスタッフが入れ替わっています。今回のスタッフが起用された理由や、いきさつを教えていただけますか?
福井 我々も呼ばれて参加することになったんですが、スタッフを変える理由というのは単純で、「前とは違う作品を作ってくれ」ということですよね。ただ、「2199」を好きなファンの方もいるわけで、それをまったく無視した作品を作るというのはあまりにも効率が悪い。なので、前の作品を生かしつつ、かつ「2199」では取りこぼしている部分をすくっていきたいと。「ヤマト」という作品は、アニメファンだけが見るものではないというのが市場として大きくて、アニメを見る習慣がない大人でも、これだけは見るという人が残っています。ただ「2199」では今のアニメファンでも取っ付きやすいようにした部分がけっこうあるんですが、そのビジュアルの部分というのが、逆にアニメファンではない人たちからすると「これは俺には関係ないかな」と遠ざける要因にもなる。そういうことがないように、「2199」で撃った弾で戦果をあげているので、今度はこっちに網を投げましょう、というところですね。
――新しい風を入れよう、と。
福井 そうですね。そのために必要なのが「愛の戦士たち」というサブタイトルでした。
――もともと実写畑だった岡さんが、脚本という形で参加というのは意外という感じもします。
岡 羽原監督からの要請もあって、「白色彗星帝国編」を26本のシリーズとして再生するんだったらこういうお話の流れはどうですか? という書類を作ってお渡ししてたんですが、それが最終的には福井さんと引き合わされる流れになり、助手を務めることになったんです。自分の経歴からすると、ありえないことが積み重なっているんですが、「ヤマト」大好き人間なので、何かのお役には立てるかもしれないと思って参加しました。
――もともと「ヤマト」が相当お好きなんですね。
福井 この3人の中では(岡さんが)一番です。
羽原 そこにある私物が物語ってますね(笑)。
岡 とはいえ、「実際にヤマトを創る」一員になったことは不思議なことではありました。
福井 (岡さんと俺は)観ているものとか「いい」と思うものがほとんど同じなんです。で、最初に会った日に俺、「なんで『ガンダム』にいかなかったんですか?」って普通に聞いたんです。そしたら、本人もそれはよくわからないみたいで、「なんででしょうね?」って答えが返ってきました。
羽原 世代的には、そっちに行っててもおかしくないですよね。
福井 結果的に俺は両方やることになって、それで最近わかってきたんですが、「ガンダム」と「ヤマト」って決定的に違う部分がある。何が違うかというと、「ガンダム」ってホワイトベースに乗ってはいるけど、主戦場はロボットの腹の中。主人公はそこにひとりなんですよ。そこで全部引き受けて、経験した人類の可能性もなにもかもがひとりの経験。そのひとりが引き受けた経験を、他人に伝えられないもどかしさみたいなところが「ガンダム」なんだけど、「ヤマト」は、第一艦橋にみんないるんだよね。
――そうですね。
福井 そこで「自分ひとりで何かする」のではなくて、「分担された役割を果たせなかったら、どうしよう」っていう話なんだよね。そして、常に一致団結して難局を乗りきるわけです。普段はバラバラで喧嘩もするけど、そういう人たちが一致団結して難局を乗りきったその瞬間に見えるもの、というところに主眼が置かれている。「ガンダム」の場合は、人が集まると軋轢しか生じない(笑)。
一同笑
羽原 なるほど(笑)。
福井 いわゆるアニメ市場やアニメファンの方からすると、おそらく「ガンダム」のほうがとっつきやすいところがあったんだと思うんだよね。でも岡さんは、アニメの現場には来なかった。それは(ガンダムを)観ていなかったとか、絵が得意だったというような問題じゃなくて、それは人間が持ってる資質みたいなものだと思うんです。俺自身も、けっしてアニメ業界に、――結果的にはどっぷり首まで浸かってしまいましたけれども、もともとはそっちの人ではなかったことを考えると、「ヤマト」ってアニメの中ではきわめて特殊なんです。
――そうかもしれないですね。
福井 高度経済成長時代仕様の、日本人が観てみんなが喜ぶようなものだと言われたらそれまでかもしれないけれど、「人が集団であったら軋轢しか生じないだろう。その軋轢をどう乗りきるか」を描くのではなくて、「不安はもちろんあるけれど、一致団結して乗りきっていかなきゃいけないことって世の中、山ほどあるじゃん」というような、今、みんなが忘れていることを描いているんです。それができないから、誰もがいろんな問題から目を背けて、迂回路をたどろうとしているうちに、何が問題なのかもわからなくなっているんじゃないの? そういう時に、もう一度「ヤマト」をやるというのも非常にいいことだなと思います。
――今の時代を見直す契機になる、と。
福井 昔の古代進は、沖田艦長という大いなる目標というか師範にならって、「迷った時には沖田に戻れ」っていうところがあるんですが、今回の古代は「波動砲はあるけど使っちゃダメ」とか、「地球の復興はしなきゃいけないんだけど、そのいっぽうで時間断層とか使っちゃって、いろんな負債がたまっちゃってるらしいよ」とか、ひと筋縄じゃいかない社会を生かされているというのは、明らかにバブル崩壊後の日本人の鏡像として描かれているんです。
第三章の冒頭で、古代はいよいよ波動砲を撃っちゃうわけですが、いつもだったら「沖田艦長なら、全部自分が引き受けて撃つだろう。だから俺も撃つのだ」っていう流れがあると思います。それはそれで美しいんだけど、でもそうじゃなくて「沖田艦長は覚悟を示せっていうけど、そもそもアンタはこんな目に遭ったことないじゃないか!」って言うわけです。
――確かにそうですね(笑)。
福井 たとえば先代の社長とかやり手の先輩営業マンとかから、「俺が若い頃は、こうしたんだ」っていう話を聞かされて、「そうか! あの人の言っていたのはこういうことだったんだ!」って勝機を見出していくのが昔のドラマだと思うんですが、「でもあなたは少子化っていう時代を体験してないでしょ! 人が減っていく中でどうやって物を売れって言うんですか!」っていうのが今のドラマ。「覚悟ってなんですか!」っていう古代の絶叫は、それとイコールなんですよ。そういった中で、なにをつかまえていくのか。一致団結して何を手に入れていくのか、っていうのが「ヤマト」ならではの面白さですね。
――第三章まで観て感じたのが、古代が悩んでいるテーマが深いというか、いろんなことで悩んでいるな、ということです。そこが成長物語のひとつの見どころなんですかね。
福井 そこで支えになっているのが雪で、第三章でピックアップされています。
福井がボールを投げ、コース修正をするのが岡というコンビネーション
――脚本に関してですが、おおまかには福井さんが全体のプロットを決めて、それを岡さんの方でシナリオ化されている、という形で分担されているんでしょうか?
福井 そうですね。それをこちらでチェックして、また岡さんに戻して最終的に(俺が)フィニッシュ! と思っていたら、絵コンテにいった段階でまた変わるという……(笑)。いつまで経っても終わりゃしない。
岡 脚本の方がそこまで付き合うっていうのは少ないんですか?
羽原 ないですね、基本的には。だいたい、絵コンテ、演出の裁量で決着しています。
――最後まで脚本は書き直しの連続ということですか?
岡 絵コンテに伴走されているのは福井さんなんですが、僕はアフレコには必ず立ち合わせてもらって、ちょっとした食い違いや間違いがないかをチェックさせていただいています。
福井 今の岡さんの仕事って、いわゆる普通のアニメなら必ず立つ「文芸」という役職を、結果的にやってもらっているという感じです(笑)。「この人はこんな言い方しないですよ」とか「前はこういうふうに言ってますよ」っていうのをチェックしてもらっています。
岡 本戦が終わった後に、もうひとつ来たっていう感じですね。
――劇場上映作品としては全七章、テレビシリーズとしては全26話分のボリュームの本作ですが、尺は長いですか? 短いですか?
福井 俺にとっちゃ全然長くないですね。むしろ「こんだけしか入んないの?」って (笑)。ずっとそのせめぎあいですよね。
――もともと150分ほどの映画だった「さらば」を、全七章に伸ばしていくという作業には、もとの映画で省かれたというか、駆け足で持っていったような部分の補足をしていく部分はありましたか?
福井 「さらば」はすごく完成されているんですよ。映画って、「すごくいっぱいいろんなものを見たな」っていう気持ちになる作品と、「ものすごくシンプルなものを見た」っていう作品と、受ける印象が違うと思うんですが、両方とも面白いじゃないですか。その点、「さらば」って「ものすごくいろんなものを見た」と思わせる映画の最たるものだと思うんですね。だから自分が作り手になった時に、「何をすればいろいろ見た気になるんだろう」「いくつくらい山があったらお腹いっぱいになるんだろう」っていう、ある種のお手本にしたくらい。だから、俺からすると「さらば」で過不足ってまったくない。ただ、あれをそのままテレビシリーズにすると、それはそれで無残かもしれないので、アプローチとして「さらば」に対して何かを持っていくということではないな、と思いました。あれと同じ味になるようなものを最終的に作るとしたら、1からセッティングしていくほうが楽。ただ、「さらば」と言えば「これ」という印象の強いところは必ず入れていこう、というつくりですね。
――本作はタイトルから「愛」が入っていて、今回第三章のサブタイトルは「純愛」です。
福井 ものすごい「愛」推しですね(笑)。まず、あの当時の「愛」と言われるものと、今の「愛」と言われるものがそれぞれあって、世代によって受ける感触も印象も全然違うものなので、まずはそこの再構築から行いました。
――第三章だけを観ると、もちろん古代と雪の関係が話の中心になってくるのかな、という印象を受けましたが、おそらくそれだけのことではないんだろうな、という感じもあります。
福井 最初に、敵も「愛が必要だ」って言っていますよね。だから逆説でとらえていくとどうなっていくかっていう話です。今回の古代と雪の選択は結果的にああなったけど、必ずいつもそうなるとは限らない。でも自分が同じ立場に立たされたら、多分古代と同じ選択をするだろうという自信があります。「人間は愛に縛られている」っていうのはそういうことなのかなって思いますね。
それは決して美しいことばかりではなく、ある種の狂気に近い部分があり、エゴに近い部分もあるかもしれない。でも、それがなかったら人間は生きていけないんだろう、というところを、これから順を追って描いていくつもりです。今回のエピソードは、その最初の山みたいなところですね。
――そういうところは岡さんと話し合われてきたんですか?
岡 話し合いですか? それはないです。……ないよね?
福井 一方的に俺がしゃべって聞いてもらうことはあったような気がする(笑)。
岡 基本的には「2202」っていうのは、福井さんがとらえたもので作られているんで。「ヤマト」の歴史をどう感じるか?「2199」をどう受け継ぐか? 現在の時代性をどう反映させるか? 全部そうです。「愛の戦士たち」というワードを副題に掲げて、「重層的に愛を語る『ヤマト』を作るべきだ」という結論を、福井さんは我々が合流する前に企画書で書かれていたわけです。その時点から最終回まで、軸がまったくブレていないので、これはもう徹頭徹尾、福井さんの世界です。ただ、その描き方というか、球の投げ方というか、球の微妙なコース調整みたいな部分で、「『ヤマト』っぽいものがあるとしたら、こっちのほうがいいんじゃないか?」というお話をする機会は多かったですね。
艱難辛苦をくぐりぬけた先に見える風景とは
――今回の新しい要素として、「時間断層」という設定がありますね。前回のインタビューでも福井さんからうかがいましたが、改めてこの設定が出てきた経緯をおしえていただけますか?
福井 今の岡さんが話したことをまるでひっくり返すような答えなんですが(笑)、あれは岡さんのアイデアなんですよ。というのも、岡さんは岡さんで羽原さんと一緒に「ヤマト」をやるとしたらこういうものかな、というプロットをすでに一度作っていたんです。それを合流した時に俺が見て、「時間断層っていいな!」「その発想はなかった」と思ったといったところです。「時代性」という点で言うと、「2202」は震災後の日本をどこかで意識に入れていかなきゃいけないんだけど、復興がうまくいっていなくて偏っていく感じとか、負債が積まれていく感じがうまくこれで表現できるんじゃないかと思ったのと同時に、「これだったらアンドロメダ出し放題じゃん!」って (笑)。この設定があることの負債っていうのもこれから描かれていく予定です。今後、この設定がどんどん効いてきます。
――時間断層が生み出す歪み、みたいなものも当然生まれてくるわけですね。
岡 福井さんから「社会にとってのネガティブなものとして時間断層を描きたい」と言われた時に、「なるほど」とすぐに思ったし、それがどういう効果をもたらすかも大体わかったんですが、今までの「ヤマト」の歴史の中にまったく存在しなかった、とんでもなく大仕掛けな設定を取り入れる、というのはけっこうデリケートな問題です。スタッフ間でもかなり意見の応酬をしたと思います。でも福井さんの中には揺るがないものがあって、これは必要、ということになりました。「時間断層」は物語全体に作用してくる要素ですね。
――ファンの方が一番気にしているのは、やはりこの後どうなっていくのか、最後はどうなるのかというところだと思います。こちらで勝手に思っているのは、「みんな死んじゃう」みたいなレベルまでの不幸は起こらないんじゃないかな、ということなのですが、何か少しだけでもヒントをいただけませんか?
福井 みんな死んで別の星で生まれ変わります(笑)。
――それは別のアニメになっちゃいます(笑)。
岡 でも、命を失うほどの艱難辛苦がなかったら、お客さんも「さらば」のリメイクを観てる気がしないんじゃないかな。とはいえ、ただ「殺せば盛り上がるだろ?」って、物語をそっちの方向に歪曲するなんて馬鹿な真似はしていないつもりです。福井さんが描きたいテーマに沿ってストーリーを運んでいく過程で、数々の艱難辛苦がこれから先出てくる、それはもう保証付きです。その中で、過去の「ヤマト」の歴史で見てきたいろいろな映像やディテールが、より拡大されたり描きこまれたり、もっとすごいことになったりして表現されていく……予定です。
羽原 今は作っている僕らが艱難辛苦の真っ最中です(笑)。
岡 そうならざるを得ないような話の流れが待ち受けてます。そこを突き抜けた先に何があるのか、どう突き抜けるのか、というのが皆さんが一番気にされているところなんだと思いますが、まあまあ、まだ第三章じゃないですか(笑)。ゆっくりいきましょうよ。
羽原 まだ半分もいってませんからね。
福井 でも「さらば」の時間軸を2時間半で考えた時に、各イベントを26話に振り分けたとしたら、そんなに引き伸ばしているわけでもないですからね。テレザート星に着くのなんて1時間以上後だからね。実は、全部単純に尺を拡大して、エピソードを入れているというところはあります。
ただ、第三章あたりからここから先はそのままふくらましているわけではない、というのが見え始めるはずです。これから第四章、第五章と進んでいく中で、「ああ懐かしい。こういうのがあった」という場面が定期的にありつつ、「え?」「ええ??」「ええええっ!?」っていう展開になっていくと思います。
――今回は「愛」が大きなテーマとしてうたわれていて、先ほどのお話でも「愛の形」を大事にしたいというお話が出ていましたが、全七章を通じて、一番この作品で伝えたいところ、大きな主題というのはどんなところなのか教えていただけますか?
福井 観ているお客さんの中心である子育て真っ盛りか、終わっているような世代の人たちの歳になると、「死んだほうがマシ」って思う経験って何度もしたことがあると思うんですよ。そういうことを経験している世代に伝える「生き死に」の話って、若者に向けるものとは全く別の語り口が必要だと思うんだよね。
「さらば」が当時の言葉で言うところの「ヤング層」の胸を打つように作られていたんだとしたら、今回は今の主体となっているお客さんたちの胸をえぐるものにしなければいけない。そうなることで必然的に変わっていくことがあります。「死んだほうがマシ」っていう難題であったり、自分の魂を裏切るようなことを強いられたり、いろんなことを経験していく中で、でも最終的に「生きていることには価値がある」って思えるようなものを見せていくことですよね。劇中で、普通に生きていく中ではカタルシスできないことを、ちゃんとカタルシスしてみせようっていうところは、今回は本当に意識しています。
さっきは「電波」って言いましたけど、「さらば」の切実さっていうのはある種の狂気だと思います。最後、古代が正気を失っていくところなんて、異様な空気になっているわけじゃない?
ラストで白色彗星の内部爆破に成功して、それを見ながら古代は「大きな犠牲だった、真田さん」って言いますけど、あのシーンでは雪の名前を言わないんだよね。長年、それはなぜかと不思議に思ってて、当時、雪の死はもっと最後にもってこなきゃいけないんじゃないかって思ってたんだよね。
でもあの時点で、多分古代は雪が死んだことを忘れている。っていうか受け止めてないということに気づいたんです。意識をずらしてる。今はもう発進しなきゃいけないから命令を実行するといって、やった結果精神ズタズタになって戻ってきて、沖田との対話になるわけだけど、前作の沖田だと「命を武器にしろ」なんてことを言うとは思えない。多くのファンが、命を大事にしていた沖田さんが言うわけがないだろ、と思ったはず。でもあの時の古代にはそう聞こえちゃった、というか沖田にそう言ってもらいたい古代が見せている幻なんですよ。そういう風に解釈していくと、あの異様な空気っていうのはそういうことなのかってわかってくるんだよね。
「君には何もしてあげられなくてごめんね」とか、死んでることをわかってないのかなっていう、そういう狂気とスレスレの怖さというのが、当時の子どもたちの胸にも突き刺さったんだと思うんだよね。あれが「私は地球を救うために犠牲になって死ぬのです」という話だったら何も刺さらないと思う。その異様さを再現できないかなと思ってますね。再現したうえでカタルシスにできないかなと。
――その異様さというか、雰囲気はやっぱり大事ですか?
福井 それは単にストーリーラインで似たようなエピソードを積み重ねていけばいいというものではまったくなく、その宿題をこなせたら自動的に、今の世の中に「愛の戦士たち」という恥ずかしいタイトルを持ってきたということに対しての意味が解けるんじゃないかと思いますね。
――なるほど。本日は、ありがとうございました。
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