アニメ業界ウォッチング第38回:キャラクターデザイナー毛利和昭さんに聞く、「ミスター味っ子」のアクの強いキャラたちの作り方

「料理の味」という目に見えない感覚を、ありとあらゆる手を尽くして表現し、結果的にアクション物、ロボット物のような時空を超越した演出が続出した異色の料理対決アニメ「ミスター味っ子」。原作は寺沢大介さんの漫画だが、アニメ化にあたっては「ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日 -」「機動武闘伝Gガンダム」などの今川泰宏さんが監督を務め、サンライズが制作。後半のキャラクターデザインを担当したのが、「ポケットモンスター」シリーズでも知られる毛利和昭さんだ。
今回は「ミスター味っ子」のBlu-ray BOX発売を前に、毛利さんに制作当時の様子を赤裸々に語っていただいた。


ロボット物の作画に明け暮れていたアニメアール時代


──毛利さんは谷口守泰さんの主催していたスタジオ「アニメアール」に所属して、サンライズのロボット物のアニメに参加されていたそうですね。

毛利 ええ、当初はキャラクターよりメカの作画が多かったです。

──「伝説巨神イデオン」(1980年)が、最初の原画ですか?

毛利 はい、原画デビューは「イデオン」です。僕は岡山県の出身で、19歳のときに大阪デザイナー学院(現・大阪デザイナー専門学校)に入学しまして、卒業してからアニメアールに入りました。と言っても、当時のアニメアールはまだ会社ではなくて、フリーのアニメーターの集まっているスタジオでした。

──谷口守泰さんは、どんな方でしたか?

毛利 あれこれと指示せず、とても自由に描かせてくれました。描いた原画に対して「もうちょっとこう直したらよくなるよ」と助言された程度です。ほかのアニメーターにも、うるさく言っているのを見たことがありません。自由に描かせるのが、谷口さんの主義だったんでしょうね。「イデオン」と「太陽の牙ダグラム」(1981年)は谷口さんが作画監督でしたから、谷口さんの絵に合わせようと努めました。だけど、「これは谷口さんの絵だ」と誰が見てもわかるようになるのは、「装甲騎兵ボトムズ」(1983年)からですよね。その頃は、僕はあまりロボット物の作画はやっていなかったので、谷口さんの絵から、それほど強い影響は受けていないようです。


──その当時のアニメアールのメンバーだと、沖浦啓之さんや逢坂浩司さんがいらしたと思うのですが?

毛利 はい、沖浦くんは「ダグラム」の終わりごろに入ってきたように思います。ちょっと遅れて、逢坂くんが入ってきましたね。みんなでワイワイ言いながら仕事していて、にぎやかな雰囲気でした。

──毛利さんご自身は、アクションが得意だったんですか?

毛利 ええ、アクションが好きでした。ギャグ物もやりかったのですが、あまりギャグだけの企画は回ってきませんでしたね。

──「ドリームハンター麗夢」(1985年)で、初めてキャラクターデザインを担当されますね。

毛利 最初はアダルト物としてスタートして、人気が出たので、後から一般向け作品になった作品です。半分をスタジオ・ムー、もう半分の話数をアニメアールで制作していました。僕がメインのキャラデをやって、ゲストキャラの一部を谷口さんや逢坂くんがデザインしました。

──その次のキャラデが「ミスター味っ子」(1987年)ですね。前半はアニメアールの加瀬政広さんがキャラデをなさっていますが、メインキャラから描きなおしたわけではありませんよね?

毛利 メインキャラは加瀬さんのままで、僕が担当したのは途中から出てくるゲストキャラたちです。当時のアニメアールでは、部屋の角に谷口さんが座っていて、その隣が加瀬さん。加瀬さんの背中合わせに僕が座っていました。2人ともヘビースモーカーだったので、タバコを吸わない僕は副流煙を気にしながら「味っ子」の仕事をしていた記憶があります(笑)。

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