ホビー業界インサイド第30回:株式会社WAVE・阿部嘉久社長が振り返る、1983年・吉祥寺周辺のホビーシーン

美少女フィギュアや工作用サポートグッズ、また「装甲騎兵ボトムズ」や「マシーネンクリーガー」などのプラモデルキットで、模型ファンにはなじみの深い株式会社WAVE。80年代のガレージキット黎明期にオリジナル商品の開発・販売を始めた老舗メーカーでもある。
そんなWAVEの阿部嘉久社長に、東京・吉祥寺で小売店からスタートしたWAVEの足跡を語っていただいた。


「脱サラして模型店でも経営したい」から、すべてが始まった


──ここに1/100スケールの巨大な軍艦がありますが、これは何なのですか?

阿部 図面を拡大コピーして、僕がプラ板で作りました。こんな大きな物をゼロから作り上げたのは初めてです。「北上」という軽巡洋艦で、うちの親父が乗っていた船なんです。親父が元気なうちに作り上げようと思って、ちゃんと親父の人形も乗ってるんですよ。

──もともと、艦船模型はお好きだったんですか?

阿部 高校生のころから、軍艦のプラモデルはいっぱい作っていました。3年ぐらい前に「艦これ」をプレイしてみたら、船の名前が懐かしくて、また軍艦を作りたくなったんです。軍艦の愛好会を探してみたら、こういう大スケールの模型を自作している人たちがいて、「君も作ってごらん」と言われて作り方を教わったんです。ここまで作るのに、2年ぐらいかかりました。まだ、周囲の海ができていませんけど、面白くてたまらないんです。


──阿部社長は80年代初頭、脱サラして模型店を始めたんでしたよね?

阿部 サラリーマンが嫌になってしまって、のんびりと模型屋でもやって暮らそうかと思ったんです。

──その模型屋が西友の中にあった「吉祥寺LARK」ですね。大船にもLARKという模型店がありましたが?

阿部 大船店を経営していたのは、まったく別の方です。LARKというのは、西友が展開していた模型店のブランド名で、それぞれの経営者はまったく別でした。僕の場合、宮沢模型という問屋さんに行って、「模型店をやりたいんですけど、どうしたらいいですか」と相談したんです。「今度、吉祥寺の西友にLARKがオープンするんだけど、誰もやり手がいないんですよ。やってみませんか?」と誘っていただいたのが最初です。

──西友が模型店を展開することには、何か意図があったのでしょうか?

阿部 もともと、西友の中にはオモチャ売り場があって、プラモデルも売っていたんです。そんな時、西友のバイヤーさんがレコードショップのような専門店を入れて箔をつけようと考えたそうです。その専門店の1ジャンルとして模型店というか、ホビーショップが含まれていたわけです。店舗の設計は西友、仕入れ先は宮沢模型。ですから、宮沢模型さんの社員が経営してもよかったんですけど、外部の人のほうが生活のために真剣に頑張るじゃないですか。そこへ、たまたま僕が来たんです。1983年のことでした。


──1983年というと、ガンプラブームが、ちょうど一段落したですね。

阿部 そう、まだガンプラブームの余熱が残っていて、MSV(モビルスーツバリエーション)が出て「装甲騎兵ボトムズ」と「聖戦士ダンバイン」が放送スタートした年ですね。だから、学校を終えた子供たちが夕方になると、「ザクIIないですか?」「プロトタイプドムは?」と買いに来ましたよ。「ダンバインは、次に何が出るんですか?」「ダーナ・オシーだよ」「ドラムロだよ」とか、そういう時代です。オープンするまで、僕は実在の戦車や飛行機、軍艦や車だけを売るのが模型店だと思っていたんです。だけど、子供たちはザクIIやドラムロなど、アニメプラモの新製品が欲しい。僕自身はガンプラも作ったことがないし、アニメも見たことがありませんでしたから、ちょっととまどいは感じていましたね。

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