「デビルマン」で自分が受けた衝撃を今の人たちにも感じてもらいたい。湯浅政明が永井豪から受け取った“意気込み”――「DEVILMAN crybaby」監督インタビュー

永井豪画業50周年記念作品のひとつであるアニメシリーズ「DEVILMAN crybaby」が、2018年1月5日よりNetflixで全世界同時配信を開始する。原作「デビルマン」は1972年にアニメとマンガが同時期に発表され、それぞれがまったく違う結末をたどった。それぞれ人間と悪魔の戦いを描きつつも、あくまでヒーロー作品のスタイルを通したアニメ版に対して、マンガ版はホラーや残虐的な描写を通じて人間の中に潜む悪魔的要素を暴き出し、物語は衝撃的な結末を迎えた歴史的傑作。今回の「DEVILMAN crybaby」はそのマンガ版に準拠したストーリーを構成している。
湯浅政明監督は、2017年公開の劇場アニメ「夜明け告げるルーのうた」でアヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリとなる長編部門クリスタル賞を獲ったことが記憶に新しいが、本作はさわやかな作風のそれとは違い、ある種、過去の「マインド・ゲーム」(2004年)や「ケモノヅメ」(2006年)といったアーティスティックでドラッギーな作風への回帰を感じ取れた。湯浅監督の作家性が、「デビルマン」という作品とどのようなケミストリーを生み出し、今回のアニメ化に至ったのか、お話をうかがった。


「Netflixという媒体だからこそ許された」セクシャル・バイオレント描写


──「DEVILMAN crybaby」は永井豪先生のマンガ版「デビルマン」のストーリーにのっとりつつも舞台や設定が現代に置き換えられています。それにあたり意識されたことは何でしょうか?

湯浅 自分が最初に永井先生のマンガを読んだのは35年前頃でしたが、同時代感があったんですね。その感覚と同じように、今の視聴者が見て「今起こることかもしれない」と感じてもらえるよう、さまざまな工夫を行っています。SNSや携帯電話を出すこともそうですし、キャラクターについても、「番長グループ」をラッパーに置き換えました。当時はリアリティがあった「番長グループ」は現代には存在しないし、不良と呼ばれる人たちも面と向かって意見をぶつけてくることはない。そこで、今どき歯に衣着せぬ言葉で正面からディスってくるのは誰かなと思ったら、ラッパーだろうと。それに彼らは「コイツ信じられるな」と思ったら、信奉する律義さもあるように見え、置かれている状況をリリックで表現するので、立ち位置としても現代における吟遊詩人のようにもはたらくと思って。また、デビルマンにしても、マンガ版で悪魔と人間の境界にいたのは不動明だけでしたが、「DEVILMAN crybaby」ではより複雑に、デビルマンの中でも人間側へ行く人、悪魔側へ行く人とさまざまな形で描いたほうがいいだろうと、揺れ動く存在も描いています。

──今回のアニメシリーズ化にあたり、主人公の不動明と飛鳥了のキャラクター像をどのように再構築されましたか?

湯浅 マンガ版は永井先生ご自身も最後にああなるとはまったく考えないままスタートした話だったそうですが、今回読み直してラストシーンの意味などを考えていくと、永井先生のなかで、本編には描かれていない、キャラクターの生い立ちをも含んだ上で考えてそう描かれているのかなと思う部分がありました。当時もちろん衝撃を受けましたが、自分は飛鳥了という人物をはっきり把握していなかったなという思いもあったので、今回の視聴者に対してはそこをもうちょっと補完してあげるような感じで作っていますね。たとえば、了はなぜ明が好きなのかという理由を彼の生い立ちから含め、明確に説明しています。2人の結びつきを描いて、2人の性格の違いをハッキリさせています。了はそのルーツゆえに、物事を大きく、合理的にしか考えなくて、些末なことがわからない。そういう寂しい生い立ちがゆえ、自分で「愛はない」と決めつけているところがあって、自分の気持ちに気が付かないというキャラクター性をハッキリと設定しています。明も、彼が主人公たる理由として、なぜ選ばれたかを明確にしました。誰にでもやさしくする博愛主義者で、ちょっと危ない了にさえ愛情を注ぐ人間であって、それゆえ好かれる。なおかつ、相手の感情を感じて泣く人間であるという新しい設定を入れています。だから明だけは了が泣いているのを最初からわかっていて、それを「あなたも感じているはずだ」とずっと伝えようとする、そんな話にしています。


──本作での新しい設定として不動明と牧村美樹が陸上部に入っています。これにはどんな意図が?

湯浅 それも補完のひとつで、明や美樹が何を守ろうとしたのか、何が了に伝わって何が伝わらなかったのかをよりイメージさせるためです。了は彼の大きな考えのもとで「人間なんて、走ったところで犬や猫より遅いのに、何秒タイムが縮んだなんて意味がないことだ」と考えている。そこで、了が価値を見出せないものと、明たちが賭けているものの意味合いを明確にしたかったという意図があります。バトンの受け渡しを繰り返すことで、自分は誰かに伝え、誰かが倒れてもまた次へ繋がっていくということを経て、みんなが了に伝えようとしているという、“救い”の部分としても描いています。映像的にも、走るときに横並びにで身体能力の差がはっきりするところがわかりやすいなと思ったのが最初ですが。

──第1話の構成ではどんな工夫をされましたか?

湯浅 この世界に既に不穏な動きがあるところを少しずつ出していき、デビルマンになるところまでの話を描いています。陸上部で男子が女子をいやらしい目で見ていたり、妖しげな雰囲気がありつつ、若者を商売に使おうとする悪意を持った人間も出てきたり。現代よりも治安の悪そうな空気にし、あちこちで「サバト」という祭も行われ、力を手に入れる為に自ら飛び込んでくる人たちもいるとしたら、マンガ版のようなヤバい雰囲気も身近になるだろうと考えました。サバトではかなりバイオレントでセクシャルな場面がありますが、これはNetflixという媒体だからこそできた部分であるともいえます。最近の海外の(配信やケーブルの)ドラマって、けっこうエグいところまで描いているので。アニメだからといってソフトにするのではなく、何か激しい人間の根源がむき出しになっているからこそ、あそこまでイッてしまうのだという雰囲気になるように描いています。

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