キャラクターデザイナー・吉田すずかが、今だから語るタツノコキャラたちの本当の魅力【アニメ業界ウォッチング第44回】

1962年、吉田竜夫氏によってタツノコプロ(当時は「竜の子プロダクション」)が設立されて以来、同社の生み出したキャラクターは半世紀以上にわたって愛されつづけている。初期作品の原作とキャラクターデザインを兼ねていた竜夫氏の長女・吉田すずかさんは、創設されて間もないタツノコプロの若々しい熱気に包まれながら育った。
現在、タツノコプロのコンテンツビジネス部に所属する吉田すずかさんは、どんな想いで父の背中を見つめていたのだろう? また、同社のキャラクターを時代にフィットさせて生かすために、どんな努力が払われているのだろう? コンテンツビジネス部の松田琢摩さん、専務取締役の野口篤志さんも交えながら、タツノコキャラの尽きぬ魅力、その秘密に迫る。


現在進行形で人気の「アクビガール」は、世代を超えつつあるキャラクター


──今、JR三鷹駅の駅ビル・アトレヴィ三鷹で「アクビガール」とのコラボ企画が継続中ですね。コラボ企画用のイラストは、すべて吉田すずかさんが描かれているのですか?

すずか そうです。原画はけっこう大きめに描いています。アクリルガッシュなどを使って描きました。

──だけど、「アクビガール」のアニメ番組は2006年に放送されたきりですよね。どうして現在も、たくさんのグッズが発売されるほど人気なのでしょうか?

すずか まず、元気でお茶目なところが、アクビちゃんが愛される理由だと思います。若い世代は、私のデザインしたアニメやグッズを通して「アクビガール」を知ってくれて、お父さん・お母さんやお爺ちゃん・お婆ちゃんの世代は「ハクション大魔王」(1969年)のアクビちゃんを覚えていてくださる。家族みんなというか、幅広い世代が好きでいてくれる。そこがいいな、と思っています。

野口 ビジネス的な話をしますと、10年ほど前にマーチャンダイジング用のブランドをつくって、ある小売店さんが「アクビガール」の靴下を商品化しました。その靴下が小中学生の女の子に大ヒットしまして、10年経って、当時の子供たちが現在は20歳を超えています。その層にとっては、「アクビガール」は非常に認知度の高いキャラクターなんです。

松田 定番商材として使っていただけるよう、季節をテーマにした新デザインをすずかに描いてもらっています。

すずか そう、定期的にアクビちゃんの新しい衣装やポーズをどんどん描いています。

松田 いろいろな場所で目にしていただけるよう、セールスをかけて裾野を広げています。逆に「アクビガール」ファンの異業種の方から飛び込みで営業がかかってきて、それで成立する企画もあります。

すずか 私の描いた「アクビガール」を見たことがキッカケで、お話を持ってきてくださる若い方が、最近は多いですね。

──すずか先生はお父さまの吉田竜夫さんがタツノコプロを創設した1962年当初から、さまざまなアイデアを提供していたとうかがいました。

すずか 私は絵を描くのが大好きな子供で、スケッチブックに絵を描いてばかりいました。そのスケッチブックを、父が「ちょっと貸して」と会社に持っていって、タツノコプロのスタッフに見せていたそうです。後から聞いた話なのですが、笹川ひろしさんが父から私の描いたカエルの絵を見せられて「これを企画にできないかな?」と相談されたそうです。それが、「けろっこデメタン」(1973年・笹川ひろし氏は総監督)の生まれるキッカケになったんだそうです。当時は何も知りませんでしたが、小さい頃に描いていた私の絵は、父やスタッフの方たちに面白がってもらえたようです。

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