「名探偵コナン ゼロの執行人」で「安室透」の魅力を味わいつくす!【犬も歩けばアニメに当たる。第40回】

心がワクワクするアニメ、明日元気になれるアニメ、ずっと好きと思えるアニメに、もっともっと出会いたい! 新作・長期人気作を問わず、その時々に話題のあるアニメを、アニメライターが紹介していきます。

今回取り上げるのは、現在公開中の「名探偵コナン ゼロの執行人」です。

本作は「名探偵コナン」劇場版アニメ22作目にあたります。前作「から紅の恋歌(からくれないのラブレター)」は、2017年邦画興行収入ランキングで1位を獲得しましたが、その興行収入をうわまわるのではと予想されています。

今回のキーパーソンは、トリプルフェイスの安室透! 今回の映画で改めて彼の虜になった筆者が、テレビシリーズではなかなか見られない魅力が詰まった本作の魅力をご紹介します。


安室透の「公安捜査官」としての顔にクローズアップ


本作の大きな牽引力となっているのが、トリプルフェイス、つまり「3つの顔を持つ謎の男」である安室透という男だ。

ひとつめの顔、出会ったときの姿は、私立探偵。江戸川コナンとは事件をきっかけに知り合い、子供離れした推理力に注目。毛利小五郎の探偵事務所兼住宅の1階にある喫茶店ポアロでアルバイトを始め、コナンの周辺を探るようになった。

やがて判明したふたつめの顔は、コナンを子供の姿にした敵対組織、通称「黒ずくめの組織」の一員、探り屋バーボン。変装の天才ベルモットと組んで、かつての仲間のシェリーや赤井秀一の行方を追う。

最後に明らかになった三つめの顔は、公安捜査官の「降谷零」。降谷は公安警察として捜査のために黒ずくめの組織に潜入し、頭角を現していたのだ。コナンは、「バーボン」の言動と「ゼロ」というあだ名から、彼の正体を知ることになる。

今回の映画では、この安室の三つめの顔である「公安警察」がテーマになっている。「警察庁、警視庁、そして地方検察庁にも公安部がある」といったことが、劇中でかなりていねいに解説されている。

全体に、大人を対象とした警察モノ組織モノの色合いが強くなっているが、その中で、安室が見せるさまざまな表情が、この映画の大きな見どころになっている。

安室のファンなら見て後悔しないし、安室が目当てでなくても、見たら彼に惚れることまちがいなしだ。


公安捜査官として「全力の安室」が見られる!


「僕には命を賭けて、守らなければいけないものがある!」
「何がもっともこの国を守ることになるかを考えるのが、僕たち公安だ!」

予告に登場するこのセリフに象徴されるように、今回の安室が主に見せるのは、シビアな公安捜査員「降谷零」としての顔だ。

私立探偵としての人懐っこさや好青年ぶりはなりをひそめ、彼が貫く「正義」のためなら、ルール破りもいとわない非情さを見せている。

警視庁公安部所属の警察官、風見裕也を相手に指示を出すときの、冷徹なすごみを感じさせるやりとりは、見どころのひとつだ。

風見は、降谷=安室の命令を受けて動く立場であり部下なので、日頃コナンや少年探偵団に見せるのとは、まったく違う一面を見せる。降谷の仕事に対する強い信念を感じさせるセリフも多い。

いっぽうで、大量の犠牲者が予想される危機を目の前に、ギリギリで余裕のなさをみせる降谷の緊張感は、たまらない。

そして、クライマックスの怒涛のカーアクションがものすごい! すごすぎて、何が起こっているのかとっさにはわからず、笑えてくるぐらいありえないことになっているのだが、注目すべきはここでの安室の表情だ。

全神経を集中した命の瀬戸際で見せる笑みには、わずかに狂気すら感じる。だがそれは、私立探偵、バーボン、公安警察というどの立場も意識していない、安室という人間の素の表情かもしれないのだ。



「ヒーロー」で「ダーク」声優・古谷徹の声の魅力を味わいつくす


冷徹なカッコよさが冴えわたる安室だが、今回の映画では、改めて古谷徹の声の魅力を実感した。

「安室透」=「降谷零」というネーミングからして、このキャラクターは原作で誕生したときから、「機動戦士ガンダム」で「アムロ・レイ」を演じた声優、古谷徹が声を演じることを想定されていたといえる。

この作品の中でも、黒ずくめの組織に潜入していたFBIの赤井秀一(声/池田秀一)とは、目的は同じでも立場が異なるライバル的な関係だが、池田秀一は「機動戦士ガンダム」で「赤い彗星」の異名をとるシャア・アズナブルの声を演じていたことで知られる。実際、2人が対決するシーンがあった「名探偵コナン 純黒の悪夢」(2016年)は、ガンダムファンにも話題になった。

ネタ的に話題になることが多いが、今回、改めて「この声があって、安室のカッコよさは完成するんだな」と感じた。

古谷徹といえば、ヒーローの声なのだ。

真っ先に思い出すのは、「聖闘士星矢」(1986年)のペガサス星矢だ。そして、「巨人の星」(1968年)の星飛雄馬であり、「ドラゴンボール」(1986年)のヤムチャであり、「セーラームーン」(1992年)のタキシード仮面だ。

正義を目指し、時には迷い、傷つきながらも、先頭にたって一途に光を目指す。まわりのものに、道標を示す。

ヒーローの多くは、若く、青臭くて、不器用で、熱い。大人になって現実と折り合いをつけると、大体そういうものは、思い出や空想の中にとどめて、フタをして生きていくことになる。しかし古谷徹の声には、芸歴を重ね、年を経た今もそういう響きがある。もしかしたら、見る方が条件反射でイメージしているのかもしれないが。

いっぽうで、世界は単純な正義では割り切れない。むしろ、複数の正義がぶつかりあうことが、無数の対立や不幸を招いているという現実がある。だからこそ、ダークでシビアな作品が、人を惹きつける。

筆者が印象的に記憶しているのは、「闘牌伝説アカギ 〜闇に舞い降りた天才〜」(2005年)で古谷徹が担当したナレーションだ。「ざわ…ざわ…」で有名な、精神を極限まで追い込むギリギリの麻雀勝負において、淡々としているからこそ怖い深みを感じさせるナレーションが、絶妙のバランスだった。

「魍魎の匣」(2008年)では、謎の男/久保竣公役を演じたが、この存在感も見事だった。ダークな古谷徹ボイスの魅力に開眼した。

安室透というのは、この振れ幅すべてをもったキャラクターなのだ。

全国の公安警察を束ねる警察庁警備局警備企画課「ゼロ」の捜査官として、日本の公共の安定と秩序の維持のために、「正義」を貫く覚悟と信念を持っている。
そのためにはときに、違法な手段をとることもちゅうちょしない。敵対する相手や、手段として利用される者にとっては怖い相手だ。

捜査のためには、さわやかで理知的な、親しみやすい顔を前面に出す。要領がよくちゃっかりしていて、必要とあらばぐいぐいくる。

そして、過去の因縁から憎んでいる赤井秀一に対しては、ときに熱い感情を噴出させる。これこそ、安室の素の表情なのではと思えることもある……。

考えれば考えるほど、安室の魅力は「全方位的」で最強だ。

何をやらせてもカッコいいうえに、こんないろいろな表情を見せられたら、「そりゃ惚れるでしょ!」と思うし、「で、どれが本当の顔なの?」と謎めく正体が気にかかる。

今回の映画では、この中でも公安としての「正義」と「ダーク」の両方を全開にしている。結果として、「公安警察の降谷零」とはどんな男か、掘り下げて新たな一面を見せてくれたといえるだろう。


安室とコナンの緊張感をはらんだ関係は続く


「真実はいつもひとつ!」というコナンと、信じる「正義を貫く」安室は、小五郎が爆発事件の被疑者となったことで対立する。

公安が求める正義のために、傷ついた者も、人生を翻弄された者も、劇中には登場する。

すべてが決着したあと、見ている方にもモヤモヤといろんな思いが残るのだが、最後に流れる福山雅治が歌う「零-ZERO-」がすばらしい。一流のアーティストが、作品のテーマをこの1曲で表現しきった感がある。安室の語られない内面を歌ったかのような歌詞だ。それで、全部許せるような気がしてしまう。


今回、公安警察に協力する「協力者」という存在が、劇中でクローズアップされる。

「協力者」とは、公安警察の捜査官が、捜査のために有意義と判断して協力関係を結ぶ一般人のこと。捜査官に情報を提供したり、指示に従って動くが、安室が所属する「ゼロ」以外、捜査官同士は互いの協力者が誰かを知りえない。

信念で家族以上に強い絆で捜査官と結びついた協力者もいれば、利害の一致で結びついたクールな関係もあるという。

かなりていねいに説明されたこの設定、公安の安室が登場する以上、もしかしたら今後の本編にも生きてきたりして? と考えてしまう。

安室は、コナンが尋常ではないスゴイ小学生だと一目置いているが、黒ずくめの組織が追っている「工藤新一」が、極秘の毒薬で小さくなった姿だとはまだ知らない。

また、コナンの方も、自分はもちろん灰原哀の正体など、安室に明かしていない情報もある。

互いを認めつつも、緊張をはらんだふたりの関係が、今後どう変化していくのか、目が離せない。

「安室透」を理解するうえで欠かせない本作は、ちょっと渋い大人向けのようにも見えるが、2度3度鑑賞して、味わいつくすのもまた一興ではないだろうか。


(文・やまゆー)

(C) 2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会

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