なぜ今、「モスピーダ」なのか? 監督・メカデザイナーの荒牧伸志氏が、80年代メカのロマンを語る!【アニメ業界ウォッチング第69回】
2020年7月末、タツノコプロから「機甲創世記モスピーダ」の新プロジェクト「GENESIS BREAKER」が発表され、驚いた人も多いだろう。「モスピーダ」がテレビ放送されたのは1983年10月だから、実に37年前。その間、新しい映像作品が製作されることはなかったが、新たな設計による玩具製品は多数つくられ、ファンから歓迎された。
番組は可変戦闘機レギオス、バイクからパワードスーツに変形するモスピーダが同時に活躍する内容だったが、そもそもの企画の発端、そして息長い人気の秘密とは? 当時、メカデザイナーとして「モスピーダ」の中核を担った荒牧伸志さんにお話をうかがった。
最初はポリスアクション物だった? モスピーダの企画初期案
──「機甲創世記モスピーダ」がデビュー作だそうですが?
荒牧 アニメのメカデザインとしては、デビュー作になりますね。それ以前はフリーのデザイナーとして、タカラ(当時)の「ニューミクロマン」をデザインしていました。といっても、上京したのが82年の6月ぐらいで、ミクロマンのデザインを始めたのも同じ頃でした。
そして、その年の11月には「モスピーダ」の企画に関わっていました。その年の夏に、秋から放映の「超時空要塞マクロス」が発表されて、話題になっていました。そのころちょうど、アートミックの鈴木(敏充)さんと知り合いになり、いきなり、「変形する戦闘機の出てくるアニメ企画を」と相談されて、「それじゃあ、バルキリーの後追いだなぁ」と悩みながら柿沼(秀樹)さんと一緒にデザインしたのが、レギオスです。鈴木さんのアイデアは、レギオスの後ろにさらに大型のロボットに変形する爆撃機が合体して、大型のデルタ翼機のようなシルエットになる、というものでしたが、それでもまだ、どう見てもバルキリーの二番煎じな感覚が抜けませんでした。
その頃、まったく別のアイデアとして鈴木さんに「バイクが変形するパワードスーツが登場する近未来のポリスアクションアニメはどうでしょう?」とモスピーダの原型になるデザインを見せたところ、「じゃあ、これも同じ企画に登場させよう」という話になってしまって。私としては、バイクなら(アートミックも関わっていた)「テクノポリス21C」(1982年)のようなポリスアクションができるだろうと考えていました。
──モスピーダの初期デザインでは、車体に「POLICE」と書かれていますね。「バブルガムクライシス」(1987年)のような市街戦を想定していたのですか?
荒牧 そうですね、バイクに乗ったポリスがそのままパワードスーツを着用してロボットと戦ったり、悪いやつを捕まえたりするような話にしたかったんです。そもそも、バイクが変形するモスピーダと可変戦闘機が一緒に出てくるのは違和感がありました。「戦闘機に乗るなら、わざわざバイクで地上を走る必要はないでしょう?」などと言ったんですけど、鈴木さんに「もう企画内容を決めないといけないから」と押し切られてしまって(笑)。
当時、私は「ニューミクロマン」でもミクロチェンジシリーズなどのデザインを手伝っていて、変形メカの奥深さを感じていたし、パワードスーツというアイデアも好きでした。だったら、バイクがパワードスーツになったらどうだろう、と考えたのがモスピーダというメカの出発点なんです。
──スタジオぬえが、文庫本の「宇宙の戦士」(1977年)の挿絵でパワードスーツを描きましたよね。ああいう、重々しい方向ではないんですよね。
荒牧 もちろん、宮武(一貴)さん、加藤(直之)さんのパワードスーツも好きです。というか、そこが原点です。ただ、モスピーダはバイクのイメージに合わせて、動きもデザインも軽快なものにしたかったんです。「宇宙の戦士」の方向性は、後に「メタルスキンパニック MADOX-01」(1987年・荒牧氏は監督/メカデザインを担当)でやっています(笑)。
──すると、スタジオぬえを意識はしていたんですね?
荒牧 意識していたどころか、「すごい人たち」とずっとリスペクトしています。私が「ミクロマン」の仕事をもらっているのと同じタカラの部署で「ダイアクロン」も開発していて、ぬえの河森(正治)さんや宮武さんの描いたデザイン原画を見せてもらったりしていました。それとはまた違う意味で、「河森さんのおかげで、今の私があるんです」と、会うたびに本人にお礼を言っています(笑)。なぜかというと、河森さんは20代前半でメインメカをデザインして大ヒットさせ、そのまま監督になりましたよね。そのキャリアの積みかたが、私のロールモデルになっているんです。上京するとき、「10年ほどがんばれば、メインメカをデザインできるかな?」と思っていたら、上京した年にまかせてもらえた。それは、河森さんがバルキリーをデザインし、さらに「マクロス」の劇場版を監督してどちらも成功させたことで、当時のアニメ業界に「若い人にチャンスを与えてみよう」という風潮が確実につくられていたからです。
──「モスピーダ」放送の1983年は、ロボットアニメの製作本数が非常に多いんですよね。
荒牧 「機動戦士ガンダム」が、1979年放送でしたよね。「ガンダム」を見て「こういうアニメ作品をつくりたいな」と憧れていた私たち1960年代生まれの世代が業界で活動しはじめたのが、1983年ごろなんでしょうね。まわりを見ると、同世代のアニメーターや演出家、デザイナーがたくさんいて、その多くは今でも業界でがんばっている印象があります。
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