目に見えない「人の心」を目に見える形で描く——、テレビ版「新世紀エヴァンゲリオン」の研ぎ澄まされた演出力【懐かしアニメ回顧録第77回】

2021年3月8日に公開された「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が、快調にヒットを飛ばしている。この機会に、旧作「新世紀エヴァンゲリオン」(1995年)の魅力を再発見してみたい。
テレビ版「エヴァ」といえば、第25話・第26話の会話劇を主体にした作劇が大きな賛否両論を呼んだことで知られている。第25話が過去エピソードから動画を流用していたのに対し、第26話では絵コンテに着彩したようなラフな絵、さらには台本そのものを画面に映すなど、「アニメを構成する素材」をそのまま撮影しているのが特徴だ。

第1話~第13話までが作画枚数を多く使ったリッチな絵づくりだった分、「動画がない」「セル画ですらない」後半の演出に衝撃を受けた人は多いだろう。
そのようなシリーズ後半の演出スタイルが出そろったのは、第16話「死に至る病、そして」ではないだろうか。球体形の第十二使徒レリエルが第3新東京市の上空に出現し、その球体の影に初号機がとりこまれて、シンジの生死が危うくなるエピソードだ。少し、詳しく見てみよう。

アフレコ用の「線」を使って、「目に見えないもの」を見せる


影にとりこまれた初号機のコクピットで、脱出不可能の極限状態に置かれたシンジは、もうひとりの自分と出会う。夕陽に染まった路面電車の中で、現在のシンジが過去の幼いシンジと向かい合って座る。このシーンでは、キャラクターの目や口を動かすだけでなく、単なる「線」によっても会話が行われる。
手で引かれた不安定な「線」は、縦線が現在のシンジ、横線が過去のシンジだ。ゲンドウの過去のセリフは、縦と横が組み合わさった複雑な線。ミサトの過去のセリフは十字に走る。

これらの「線」は、きっちりセリフと同じタイミングで流れる。フィルムでアニメを制作していた時代、このような「アフレコリール」が多用されていた。作画がアフレコに間に合わないとき、何も映っていないフィルムに、セリフの必要なコマ数だけ線を書きこんで使っていたのだ。
シンジの内面世界、自問自答、そうした「目に見えないもの」をアニメーションで描く……そのために使えるなら、アフレコ用の線といった素材レベルのものまで動員する。そして、心や感情のような「目に見えないもの」を描く試みは、すでに第1話から行われていた。


「驚き」や「衝突」などの「目に見えないもの」を、物理的に表現する


第1話でシンジは、ゲンドウからエヴァ初号機に乗るよう強要される。シンジはかたくなに拒むが、シンジの頭上に破片が落ちてきた瞬間、初号機の右手が勝手に動いて、シンジを守る。初号機の右手に当たった破片のひとつが、ゲンドウの顔面(正確にはゲンドウの顔の前のガラス)に当たる。ゲンドウはまったく動かないが、彼の顔に破片が激突することで、彼が心に受けた衝撃、驚きを表現している。
このバリエーションとしては、第1話と似たシチュエーションをくりかえす第19話「男の戦い」にも見られる。ただし、第1話とは異なり、シンジは自発的に初号機に乗る。初号機は使徒と死闘を繰り広げ、それを間近に見ているゲンドウの半身にエヴァの血液がかかる。やはりゲンドウは、まったく動かない。しかし、シンジの予想外の行動にゲンドウが驚いていることは、「体に血液がかかる」絵によって鮮烈に伝わってくる。

第16話でミサトとリツコが対立するシーンでも、物理的なモチーフを使って感情表現している。
使徒にとりこまれた初号機を回収するための作戦を、リツコが立案する。「この際、パイロットの生死は問いません」と断言するリツコを、シンジを案ずるミサトは平手で叩く。叩いた瞬間、2人の背後をヘリコプターが大きな音を立てて横切る。単に「ミサトがリツコを叩いた」芝居以上に、ヘリコプターの唐突な音や光が、2人の間に生じた衝突の大きさを物語っている。
第20話にも、似たシーンがある。シンジは、今度は使徒ではなくエヴァにとりこまれてしまう。第16話と同様、シンジの命を軽視した態度のリツコをミサトが叩く。しかし、叩いた瞬間は画面に映らない。「パシッ」という平手打ちの音が響いたとき、コンソールの前に座った伊吹マヤと日向マコトが映るのだ。
つまり、ミサトがリツコを叩いた事実、叩かざるを得ないような事態を、周囲の人間は重たく受け止めている。人間が感じる驚き、人間同士の対立や関係は、会話や表情を入念に描けば伝わるのだろうか? 「目に見えない感情」をもっとも鮮やかに描き出したのが、第21話「ネルフ、誕生」だ。


止め絵を静かに重ねることで「言葉にできない不安」を感じさせる


第21話のラストで、スパイとして暗躍していた加持リョウジが殺害されたと思わせる表現が描かれる。恋人のミサトは「彼は?」とネルフの諜報部員にたずねるが、「存じません」という冷たい返事を聞いて、加持の死を予感したようだ。
シンジと暮らすマンションに、ミサトは帰宅する。

1.「葛城」と表札の貼られた玄関ドアがスライドし、そこに「ただいま」というミサトの声がかぶさる。

2.ヘッドホンで音楽を聴いているシンジのバストショット(動きのない止め絵)。

3.缶ビールの入った冷蔵庫を開くミサトの手(スライドのみ)。

4.シンジの聞いているカセットレコーダーが、秒数を刻むアップ(止め絵)。

5.テーブルの上に缶ビールを置いて、頭に手を当てて目を閉じているミサトのバストショット(止め絵、遠くに救急車の音が聞こえる)。

6.シンジの耳に、イヤホンが挿入されているアップ(止め絵)。

7. 目を閉じているミサトのアップ(5と同じ構図)。

8. ヘッドホンで音楽を聴いているシンジのアップ(2と同じ構図)。

9. 目を閉じているミサト(7の続き)、何かに気がついて目を開き、息をのむ。

10.留守番電話のランプが点滅しているアップ。

11.目を見開くミサトのアップ。

ミサトは留守番電話に録音されていた加持のメッセージを聞いて、泣き崩れる。その鳴き声に気がついたシンジだが、かける言葉もなく、枕で耳をふさぐ。
ミサトがテーブルに突っ伏して泣く芝居が、作画としては最大の見せ場だ。だが、泣くまでにいたる静かな「止め」カットの積み重ねが、ミサトの言うに言われぬ重たい不安を、雄弁に語っているように見えないだろうか? 救急車の遠い音も、不安をあおる。
枚数を使って動かすだけが、アニメではない。止まった絵のもつ表現力の強さを、テレビ版「エヴァ」は縦横に駆使している。


(文/廣田恵介)

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