「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のために鷺巣詩郎が作り上げた音楽世界 CD「Shiro SAGISU Music from “SHIN EVANGELION”」をレビュー【不破了三の「アニメノオト」Vol.08】
2012年に公開された映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」から8年余りの歳月を経て、その続編であり、新劇場版シリーズの完結編となる第4作「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が2021年3月8日に劇場公開されました。TVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」が放送された1995年から四半世紀、その間、物語の結末とキャラクターたちの行く末を案じ続けてきたファンにとって、待ちに待った「『エヴァ』の完結」。加えて、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、二度の延期を重ねた上での公開となり、ファンのみならず、制作スタッフ、映画・劇場関係者等、誰にとっても、万感の想いをもって迎えた封切りとなりました。
そうした映画本編へのさまざまな想いは別稿に譲るとして、ここでは、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(以降、「シン・」)で使用された音楽を集約した3枚組CD「Shiro SAGISU Music from“SHIN EVANGELION”」(キングレコード/2021年3月17日発売)をご紹介したいと思います。
CDの内容に触れる前に、ひとつ。エヴァンゲリオンの新劇場版シリーズの音楽CDには2つの系統があるのをご存じでしょうか。ひとつは、映画のために作曲された楽曲のフルサイズ版を中心に別アレンジ、劇中未使用曲なども加えられたCD、云わば作曲家:鷺巣詩郎によって制作された楽曲を本来の形で収録した「音楽集」である、「Shiro SAGISU Music from…」と題されたCDの系統。もうひとつは、劇中で使用したサイズやミックスそのままの形の楽曲や劇中曲等が収録されている「サントラ盤」である「オリジナルサウンドトラック」と題されたCDの系統です。
2007年9月1日公開の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」では、公開直後の9月26日に「Shiro SAGISU Music from "EVANGELION 1.0" YOU ARE (NOT) ALONE.」が、その後のDVD発売のタイミングに合わせた2008年5月21日には「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 オリジナルサウンドトラック」が発売されています。2009年6月27日公開の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」では、若干形態が変わり、2009年7月8日発売「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 オリジナルサウンドトラックSPECIAL EDITION」のDisc 1に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 オリジナルサウンドトラック」が、Disc 2に「Shiro SAGISU Music from "EVANGELION 2.0" YOU CAN (NOT) ADVANCE.」が収録される形となりました(通常版はDisc 1のみ)。そして2012年11月17日公開の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」では、やはり公開直後の11月28日に「Shiro SAGISU Music from "EVANGELION 3.0" YOU CAN (NOT) REDO.」が発売されましたが、いっぽうの「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q オリジナルサウンドトラック」は、2013年4月24日発売のBlu-ray・DVD「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.33 YOU CAN (NOT) REDO.」の初回特典CDとして発表されました。
このように、発売形態は変化しつつも、「音楽集」である「Shiro SAGISU Music from…」シリーズと、「サントラ盤」である「オリジナルサウンドトラック」という区分に変わりはなく、今回、3月17日に発売された本CDも、「音楽集」である「Shiro SAGISU Music from…」シリーズの「シン・」版ということになります。いっぽうの「オリジナルサウンドトラック」盤の発売スケジュールは原稿執筆時点では発表になっていませんが、エヴァンゲリオン公式アプリ「EVA-EXTRA」にて、一部の楽曲が試聴できるようになっています。この新劇場版音楽CDの2つの系統を聴き比べることによって、作曲家:鷺巣詩郎氏が意図した本来の楽曲の姿を知ることも、それが映画本編ではどのように編集・調整されてフィルムと解け合っているのかも、ともに知ることができるわけです。「シン・」を観終えた今、あらためて新劇場版の音楽を探究してみたいと考えている方は、ぜひ参考にしてください。
本題に入りますが、TVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」で聴きなじんだ楽曲をベースに、「:序」「:破」と積み重ねられてきた新劇場版の音楽が、「:Q」に至って大きく飛躍し、オーケストラサウンドや合唱を中心とした壮大な新楽曲中心に変化を遂げたのは、ファンの方にはご存じのとおりです。またTVアニメ「ふしぎの海のナディア」(1990)や「彼氏彼女の事情」(1998)など、庵野秀明総監督と作曲家:鷺巣詩郎氏によって作り出された過去の作品音楽からの大胆な引用も含まれ、それが大きな効果をあげてきたことも周知の事実かと思います。続く今回の「シン・」は、さすがは完結編、「エヴァンゲリオン」シリーズの総決算といった趣きで、これらの要素をすべて内包するかのような、豊かな振り幅と重厚さをたたえた素晴らしい音楽群に仕上がっています。なにせ3枚組という大ボリュームのCDゆえ、本稿ですべての楽曲に触れることはできませんが、その魅力の一端でもつかんでいただければ幸いです。なお、以下のレビューには映画本編の内容に関わるネタバレ箇所が多く含まれていますので、映画をまだ観ていない方は、鑑賞後に読まれることをお勧めします。
DISC-1
DISC-1の01「paris」、02「if a cause is worth dying for then be」、03「euro nerv」の3曲は、冒頭のパリ市街戦での使用楽曲。このパートは2019年7月6日に札幌、東京、名古屋、大阪、福岡、パリ、ロサンゼルス、上海で同時開催されたイベント「0706作戦」で公開された「シン・エヴァンゲリオン劇場版 AVANT1(冒頭 10 分 40 秒 00 コマ) 0706 版」ですでに披露済みで、同年8月28日にはハイレゾ配信限定ですが音源発売もされています。ですが本CDは「Shiro SAGISU Music from…」シリーズ。既発のハイレゾ音源とは別のフルサイズ版が収録されているのが聴きどころでもあります。「paris」は印象的なハンドクラップから始まる7拍子の曲、「if a cause is worth dying for then be」は、「:破」で、空から落下してくる「第8の使徒」戦の音楽として使われた「Destiny」のモチーフが踏襲されています。サンプリングマシンの登場により80年代にポピュラーミュージックや劇伴音楽のスパイスとして大流行したサウンド「オーケストラヒット」を、サンプリングではなく、本物のオーケストラに演奏させているという贅沢極まる緊迫・戦闘劇伴です。20世紀初頭の音を電子模倣した20世紀末の音、それを更に21世紀に生音で逆行模倣するという遊びは、まさしく鷺巣詩郎氏ならではの豪快さと言えるでしょう。そして「euro nerv」は、TVアニメから映画「シン・ゴジラ」(2016)まで、もはや庵野秀明作品にはなくてはならないサウンドとなった、あのティンパニから始まる曲「DECISIVE BATTLE(E-1)」(TVアニメでの呼称)、「EM20」(「新劇場版」シリーズでの呼称)の最新バージョン。パリ市街の復元作業残り30秒から流れ始め、「花の都」が美しい姿を取り戻していくシークエンスを彩るこの曲に、テンションが上がらなかった観客はひとりもいないでしょう。しかし「シン・」で最初に流れた音楽が「paris」ではないのは、映画をご覧になった方であればご存じのとおり。マリによる「昭和歌謡の鼻歌」でアヴァンが開幕するというのが、「:破」「:Q」「シン・」を通じたお約束となったわけです(鼻歌はセリフ扱いなので残念ながらCDには収録されていせんが)。
続く04「tema principale: orchestra dedicata ai maestri」は、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」というタイトル文字が大写しになり、メインスタッフのクレジットが表示されるという、「:序」「:破」「:Q」にはなかった新劇場版シリーズ初のメインタイトルを染め上げた重厚な大編成オーケストラ曲。赤くコア化した大地を放浪するアスカ、シンジ、レイ(仮称)という、「:Q」のラストシーンと直接つながる重要シーンではあるものの、セリフや効果音はなく、この音楽と絵のみで状況が語られていきます。まさしくメインタイトル曲にふさわしい、1950~70年代の大作長編映画のような深みのある曲です。鷺巣氏自身もライナーノーツでのこの曲の説明において、ニーノ・ロータ、ヘンリー・マンシーニ、ヴィクター・ヤング等の名をあげ、映画音楽における大作家時代にオマージュを捧げています。
05「berceuse: piano」からは、ニアサードインパクトの避難民村「第3村」での生活と、シンジ、アスカ、レイ(仮称)らの心情を描写するパートの使用楽曲群が続きます。「berceuse: piano」は、鈴原トウジの診療所、06「l'homme n'est ni ange ni bête」(劇中で流れているのはそのピアノソロアレンジ版で、「:Q」でも使用されている曲)はトウジの自宅での夕飯シーン、いずれもレイ(仮称)が第3村の風物やトウジとヒカリの娘・ツバメに興味を示し、質問攻めにする一連のシーンに流れている曲です。レイ(仮称)の自我と人間性の芽生えに寄り添ったメロディと言えるでしょう。07「prettiest star」、08「karma」はともに、「:破」で使用された「彼氏彼女の事情」楽曲の再々アレンジ曲。歌はキャサリン・ボットによるもの。「シン・ゴジラ」で、ゴジラによる熱焔の放出によって東京都心部が壊滅へと至るシーンに付けられた「Who will know /悲劇」という曲で、哀しいまでに美しいソプラノを聴かせてくれた彼女が、またしても鷺巣劇伴に登場してくれたことになります。
「第3村」での生活を辿って物語が進む中、やわらかなギターの音色に導かれ、英語のやさしい歌がそっと流れ出すシーンをご記憶でしょうか。レイ(仮称)が田植えの作業で汗水をたらし、風呂に入るシーンで聞こえてくる09「yearning for your love」がそれです。「エヴァのBGMになぜ洋楽が?」と思われた方もいたと思いますが、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」(1997)のクライマックスで、ARIANNEが歌う挿入歌「Komm, s üsser Tod/甘き死よ、来たれ」が流れていたことを覚えている方には、それほどの違和感はなかったはずです。この歌声はイギリスのシンガーソングライター、マイク・ウィズゴウスキのもの。まさにその「Komm, s üsser Tod」の庵野総監督による原詞の英訳を担当したり、1997年のコンサート「エヴァンゲリオン交響楽」ではギターで演奏参加するなど、エヴァとの縁は古く深い人物であり、エヴァの世界とシンクロ率が高いのも道理というわけです。同様に11「hand of fate」は、女性ヴォーカル&ギターを核とした洋楽風の曲。ジャミロクワイの現メンバー、ヘイゼル・フェルナンデスが歌っています。驚くことに、この曲が書かれたのは「新劇場版」シリーズの制作が発表された2006年のこと。「:序」のための新曲として用意していたものが15年かけて磨き上げられ、ついに「シン・」で日の目を見たということになります。エヴァンゲリオンが歩んできた軌跡と、音楽制作作業の歴史の奥深さを象徴するような楽曲です。
12「unwelcome: piano」からは主に、アスカとシンジがヴィレの旗艦「AAA ヴンダー」に戻った後に使用された楽曲がまとめられています。「unwelcome: piano」は、ヴンダーに戻ったシンジが意識を取り戻し、鈴原サクラに感情をぶつけられるシーンに流れている、まさしくunwelcome=お呼びでない …という、シンジが乗艦することに対するサクラや北上ミドリの心情を描写したような、重苦しいピアノ曲です。続く13「m & r: piano」は、ヴンダー館内の自室でマリとアスカが再会するシーン、さらにミサトとリツコの会話から、ヴンダー本来の建造目的と加持の死の様子が語られるシーンにかけて流れている曲です(m & rとはミサト&リツコの意)。「:Q」ではほとんど描かれなかった14年の間の出来事やヴンダーの詳細、乗組員間の心情の違いなどが凝縮されている、この重要なシークエンスに付けられた曲は、大きくリアレンジされていますが、やはり「:破」でも使用された「彼氏彼女の事情」楽曲が元になっています。
14「lost in the memory」は、ネルフ本部が南極に到着し、いよいよヴンダー艦内が最終決戦に向けての準備で緊張していくプロセスに響く、前述のマイク・ウィズゴウスキによるボーカル曲。レイ(仮称)の田植えの音楽とは対照的な沈鬱な曲ですが、このシーンの緊迫感をあおるような、あるいは戦い臨む勇ましい劇伴曲等ではなく、線の細い美しいボーカル曲で支えるという選曲にはうならされます。鷺巣氏もライナーノーツにおいて、「《unwelcome》から《m & r》を経て《lost in the memory》を連ねた庵野監督のDJセンス(繋ぎかた)は完璧!」と太鼓判を押しています。
16「EM10A alterne」からは、旧南極爆心地のNERV本部めがけて大気圏外からヴンダーで強襲をかける「ヤマト作戦」パートの音楽になります。「EM10」とは、前述の「あのティンパニの曲」=DECISIVE BATTLE(E-1)/EM20の重厚なスローテンポ版のこと。「:序」のヤシマ作戦準備作業シーンなど、これまでにもさまざまなバージョンが使われてきましたが、「シン・」でも最終決戦に臨む出撃のテーマとしてやはりこの曲が登場することになりました。そして次のシーン。ミサトの「タイマン上等!」の叫びとともに戦艦対戦艦の激戦が開始されるわけですが、ここで「シン・」の音楽演出は最初のピークを迎えることになります。これまでのエヴァンゲリオン・ミュージックとは明らかに手触りの異なる、しかし、なんだか最高にカッコいい戦闘音楽がスクリーンから聴こえ始めるのです。それが18「激突!轟天対大魔艦」。1977年の東宝映画「惑星大戦争」の劇伴音楽(作曲:津島利章)からのまさかの引用ですが、当時の音源をそのまま使ったのではなく、ホンモノそっくりの「完コピ(ちょい足し)」(※鷺巣氏による表現)で作り上げられた再演奏録音版がその正体であることが本CDで明かされました。以前にも庵野&鷺巣氏は、「:破」では沢田研二主演映画「太陽を盗んだ男」(1979)の劇伴音楽「YAMASHITA」(作曲:井上尭之)を完コピ再演奏で引用するという離れ業を演じて見せていますし、「シン・ゴジラ」においては、伊福部昭による数十年前のモノラル音源を劇場の5.1ch環境になじむようにするため、「上から演奏をなぞり、オリジナル音源に微かに配合する」(CD「シン・ゴジラ音楽集」各曲解説より)という仰天の荒業を成し遂げています。その熟練の技が「シン・」でも発揮されたというわけです。鷺巣氏は「惑星大戦争」公開の1977年の演奏ニュアンスを再現するために、スタジオ・ミュージシャンとして、あるいは名ピアニスト・鈴木宏昌氏のクロスオーバーバンド「コルゲンバンド」、「ザ・プレイヤーズ」のレギュラードラマーとして当時から既に第一線で活躍していた大ベテラン・渡嘉敷祐一氏をドラムに招聘(渡嘉敷氏は「:破」の音楽録音等にも参加済み)。そこで1977年のドラムのスタイルと音色が見事に再現され、それまで「なんか違うなコレ」と感じていた庵野総監督が、一転、「思わず涙しました」と鷺巣氏に漏らすほどに完成度を上げることに成功したということです。
鷺巣氏は、CD「シン・ゴジラ音楽集」各曲解説でも、「譜面上の再現だけなら自筆スコアに遡れば済むが、演奏と音響の完コピはやっかいだ」と、こうした過去の楽曲の「完コピ(ちょい足し)」作業が、「作曲・編曲」という領分を超え、録音当時の演奏ニュアンスやレコーディング機材、スタジオの残響感等までを踏まえなくてはいけない繊細な仕事であることを告白していますが、それを可能にしてしまうのが、「エヴァ」という作品、「エヴァ」という環境ということではないでしょうか。庵野秀明×鷺巣詩郎の共犯関係が作り出す音楽世界は、まさに「タイマン上等」。映画を面白くするためには、他作品・他作曲家の音楽すら取り込み、飲み下してしまうという、常識を軽く飛び越える豪胆な采配に満ち満ちているのです。
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