「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」公開が待ちきれないあなたのために! GW中にチェックしておきたいおススメ「ガンダムシリーズ」はこの2作!【アキバ総研ライターが選ぶ、アニメ三昧セレクション 第12回】

劇場版「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」の新型コロナウイルス感染症拡大による影響で、2021年5月21日公開へと延期を余儀なくされた。

本作は、昨夏、2020年7月23日に公開予定だったのが、2021年5月7日に延期されたのに続き、2度目の延期となる。すでに完成試写会は行われ、上映を観覧した者からは絶賛の声があがっていただけに、待つ身としては非常に歯がゆいところもあるがこれは致し方ないところ。むしろこの機会に、劇場版「閃光のハサウェイ」という作品の予備知識を増やしておいてはいかがだろうか。というわけで、今回は「アキバ総研ライターが選ぶ、アニメ三昧セレクション」番外編として、劇場版「閃光のハサウェイ」に連なる作品を紹介していく。

ハサウェイの今を形作るアムロとシャアの物語

宇宙世紀0096年を舞台とする「機動戦士ガンダムUC」以降の物語を展開していく「UC NexT 0100」プロジェクト。第1弾は、「UC」の翌年である宇宙世紀0097年に生きる「奇蹟の子供たち」を描き、2018年に劇場公開された「機動戦士ガンダムNT」。そして第2弾が、今回の劇場版「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」である。この、劇場版「閃光のハサウェイ」を味わうために2作品を紹介しておきたい。

1つ目は、劇場版「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」。劇場版「閃光のハサウェイ」は劇場版「逆襲のシャア」を受け継ぐ作品なので当然ではあるが、留意すべき点は、小説「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」は小説「機動戦士ガンダム ベルトーチカ・チルドレン」の続編であるという点。よく知られた話だが、「ベルトーチカ・チルドレン」は劇場版「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」のために書かれた第1稿、最初のシナリオを元に小説化されている。「逆襲のシャア」の小説版となると、「ベルトーチカ・チルドレン」以前に雑誌「アニメージュ」(徳間書店)で連載された小説「機動戦士ガンダム ハイ・ストリーマー」(「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」と改題されて文庫化、のちに「機動戦士ガンダム ハイ・ストリーマー」としても発売)もあるが、どちらも映画のノベライズではない。前述のように時系列を見ても、劇場版「逆襲のシャア」に先立つのが両小説である。つまり、劇場版「閃光のハサウェイ」は劇場版「逆襲のシャア」を素地とする物語となっている。

追記するならば、小説版は小説の特性にのっとって富野由悠季監督が抒情を描くことに注力しており、映像としてのカタルシスやエンターテインメント性を追求しているのが劇場版という側面もある。その意味でも、劇場版「閃光のハサウェイ」は劇場版「逆襲のシャア」を踏襲しており、ハサウェイ・ノアが駆る「Ξ(クスィー)ガンダム」、レーン・エイム中尉搭乗の「ペーネロペー」など、先鋭的で充足したデザインのモビルスーツとその映像表現は小説でも漫画でもなし得ず、また今だからこそ可能だったところで、今作ではモビルスーツ(MS)戦を存分に享楽できる。フィリピンのダバオでの戦闘は、澤野弘之の音楽と相まって、実写映画のようなパニック感とスペクトラル感を兼ね備えてすらいる。

では、あらためて「逆襲のシャア」はいかなる作品かといえば、宇宙世紀0093年に繰り広げられた「第二次ネオ・ジオン抗争」の中で、アムロ・レイとシャア・アズナブルという2人の長きに渡る対決がついに終局を迎えるという内容であった。言葉を介さずに理解しあえる新人類「ニュータイプ」でありながら、アムロ・レイとシャア・アズナブルは、「機動戦士ガンダム」で描かれた「一年戦争」時、地球連邦軍とジオン公国軍という敵味方に属していたがため、互いに刃を交え続けた。本来、父ジオン・ズム・ダイクンが暗殺された復讐を遂げるためにジオンに身を置くシャアと、成り行きでガンダムに登場したがために戦場へ出続けるアムロでは、戦う理由はなかったとも言え、MSを介してわかりあえてもおかしくなかったが、同じくニュータイプの女性ララァ・スンという無二の存在を巡る確執が2人のたもとを分かち続けたとも言えよう。

一年戦争から7年後の宇宙世紀0087年、ともに地球連邦軍の流れを汲む軍事組織ティターンズとエウーゴ、そしてジオン公国の残党であるアクシズの三つ巴による「グリプス戦役」(「機動戦士Zガンダム」)では、エウーゴの主要メンバーであるシャア(クワトロ・バジーナ)と、同じく反ティターンズ組織であるカラバに属するアムロは一時的に共闘することにはなった。

しかし、「逆襲のシャア」において、地球を保全するために地球上の人々を「アクシズ落とし」で殲滅するとうたうシャアに対し、アムロは人々を守ろうとし、2人は再びあいまみえるが、その裏にはララァの喪失による因縁が2人にとって尾を引いていた。特にシャアにおけるララァの亡霊は強く、それは「逆襲のシャア」に登場したニュータイプの少女、クェス・パラヤにも影響を与え、ひいては彼女が初恋の相手であったハサウェイ・ノアにも暗い影を落とす結果ともなっている。

だがハサウェイは、アムロとシャアという2人のニュータイプに接しながら、「閃光のハサウェイ」で描かれるように、反地球連邦組織のリーダー「マフティー・ナビーユ・エリン」としての道を進んでおり、ハサウェイがシャアの思想を受け継いだことを意味する。つまり、「逆襲のシャア」でアムロとシャアの間で決着はつけられたものの、その陰でハサウェイという新たな種火が生まれてしまったのだ。「逆襲のシャア」の真なる決着がいかにつけられるのか、「閃光のハサウェイ」ではその行く末を目に焼き付けたい。

後継者としてのカミーユ、カツ、ハサウェイ

いっぽう、アムロとシャアの後継者という点で浮かび上がるのが、カミーユ・ビダンである。「閃光のハサウェイ」を味わうための第2アイテムは「機動戦士Zガンダム」だ。

「Zガンダム」でエゥーゴの一員として戦ったカミーユは、類まれなる素質を有したニュータイプとしてアムロとシャア(クワトロ・バジーナ)のどちらからも目をかけられていた。特に、カミーユが敵ティターンズのパイロットで強化人間、いわゆる人工ニュータイプのフォウ・ムラサメと心を通わせ、そののちに辛い別れを経験した際、アムロとシャアはララァを喪失した自分たちの過去と重ねてもいた。カミーユにとってアムロやシャア(クワトロ)は偉大なる先輩であり、同志であり、同時に兄的存在であった。

ただし、フォウ以外にも、強化人間のロザミア・バダム、ティターンズの少女パイロットであるサラ・ザビアロフ、姉的存在だったエマ・シーン、幼なじみのファ・ユイリィ、と数々の女性と出会ったカミーユの周囲は、セイラ・マス、マチルダ・アジャン、フラウ・ボゥと関わったアムロと近い状況にあった。また、あくまでいちパイロットとして生きたという点でもカミーユはアムロと似ている。

さらに言えば、スペースノイドの独立を説いたジオン・ズム・ダイクンという政治家の父を持つシャアと、ガンダムの開発技術者だったテム・レイが父というアムロ。ここでも、ハサウェイとカミーユは似た対称性を持っている。ハサウェイの父は言うまでもなく一年戦争における英雄のひとりで地球連邦軍所属のブライト・ノア大佐であり、カミーユの父はガンダムMk-IIを開発したひとりで、地球連邦軍の技術大尉だった。

結果的にシャアは、父ジオン・ダイクンを掲げ、多くの部下を従えつつも、心のうちではアムロとの決着に固執し、過去につながれ、劇場版「逆襲のシャア」ではナナイ・ミゲルに包まれるも最後まで孤独であった。

だが、アムロは一年戦争後に抑圧された日々を過ごす時期もあったが、劇場版「逆襲のシャア」ではチェーン・アギという恋人を得て、地球へのアクシズ落下を多くの同胞と共に回避させる。カミーユにとっても寄り添い続けてくれたファという存在は大きい。「閃光のハサウェイ」のハサウェイを見つめ、考えるとき、比較対象としてカミーユの存在は欠かせない。

「Zガンダム」にはもうひとり、ハサウェイへの系譜に交わってくるニュータイプがいる。カツ・コバヤシ(ハヤト・コバヤシとフラウ・ボゥの養子、旧姓・ハウィン)である。一年戦争の終結時には次代のニュータイプとして期待をかけられた彼は、反連邦組織であるカラバの一員として活動する父・ハヤトを追ってカラバに参加し、アムロ・レイとも行動するようになり、その中でティターンズのサラ・ザビアロフに魅了されてしまう。そのサラはティターンズのパプテマス・シロッコ大尉に心酔しており、三者の関係はアムロ、ララァ、シャアのそれを思い起こさせると同時に、ハサウェイ、クェス、シャアの関係とも似ている。戦争というマクロな事象、ニュータイプという超越した存在を描きつつも男女の関係性に物語が帰結するところは、富野由悠季監督が生み出してきた「ガンダム」シリーズの特徴でもあろう。

「ガンダム」シリーズで富野由悠季監督は、「個人的な理由」で戦争に関わっていく人々を描いてきた。その視点からは、大義名分や御大層な旗を掲げても、所詮はエゴが支配する世界が見える。

シャアにとってもアムロにとっても、そしてハサウェイにとっても、戦う理由の源泉は私的なもので、先に述べたように「女性」の存在が大きかった。シャアは女性に張り詰めた人生を癒す母性的な安らぎを求めた。アムロも、小説「ベルトーチカ・チルドレン」に至ってようやくベルトーチカをパートナーと呼ぶようになったが、やさしさと自分を認めてくれる大らかさをもたらすことを女性に期待してきた。それゆえ劇場版「逆襲のシャア」で実父を嫌悪するクェス・パラヤは、代理父として最初に「やさしい」アムロ・レイを、だがチェーン・アギの存在を知ってアムロを離れたあとは、力強い父性を期待してシャアの元へ身を寄せる。結果、シャアにとって能力者(=ニュータイプ)以上ではないクェスは悲劇的な結末を迎え、ハサウェイも被害を受けたことは先でも少し触れた。

劇場版「閃光のハサウェイ」にあたって、「機動戦士ガンダム」や「機動戦士Zガンダム」、「機動戦士ガンダムZZ」、そして劇場版と小説「逆襲のシャア」といった一連の作品全てを踏まえたうえで鑑賞するべき、という枷(かせ)をはめるつもりはない。あるいは、劇場版「閃光のハサウェイ」においては、もはやアムロとシャアを伝説上の人物とし、ハサウェイという若者の抗いを独立したものとして捉えることもひとつの楽しみ方ではある。

だが、ハサウェイという若者が時代を生き抜く様は非常に魅力的であり、彼の思考と行動の原動力を探ることは、物語により一層深みを感じさせる。

「機動戦士ガンダムF91」など、宇宙世紀サーガは「閃光のハサウェイ」以降も続いていくがそれらが描かれているのはすでに新時代のことである。ニュータイプたちにおける、父から子へ受け継がれるある種の業(カルマ)、女性が持つ母性や慈愛への依存、そして生きる力をリフレインしつつ描いてきた物語の最後のピースが「閃光のハサウェイ」なのである。

しかも、アムロ、シャア、カミーユ、カツと、父親と複雑な関係性にあるニュータイプたちと違い、ハサウェイは父との関係は良好で、かつ父は健在である。加えておくならば、ミライ・ノア(旧姓ヤシマ)という母、チェーミンという妹とも円満なる家庭環境にあった。そんな彼を駆り立てるものは何か、そんな彼が行き着く先はどこなのか。

地球という重力に囚われた人々に翻弄されるニュータイプの群像劇であり、彼や彼女たちに翻弄されたオールドタイプたちの物語でもある宇宙世紀サーガの、ひとつの終着点が「閃光のハサウェイ」では描かれることになる。


(文/清水耕司)

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