80年代の「ナウいアニメ」を、どうやって現代に復活させる? 「MUTEKING THE Dancing HERO」の総監督は、あの髙橋良輔さんだ!【アニメ業界ウォッチング第79回】

1980年に放送されたタツノコプロのヒーローアニメ「とんでも戦士ムテキング」が、この秋、「MUTEKING THE Dancing HERO」としてリブートされる。新作の監督は気鋭のサトウユーゾー氏だが、エグゼクティブディレクターを務めるのは、重鎮・笹川ひろし氏。そして、総監督として髙橋良輔氏が名前を連ねている。
今回の「MUTEKING THE Dancing HERO」は、手塚プロダクションとタツノコプロの初めての共同制作となる。サンライズのロボットアニメで知られる髙橋良輔氏が、どうして手塚プロとタツノコプロの最新アニメに参加するにいたったのだろう? ご本人に、お話をうかがってみた。

サンライズでもギャグ物をやろうとしたが、それぞれのスタジオには特性がある


──まず、今回の「MUTEKING THE Dancing HERO」に参加するいきさつを聞かせてください。

髙橋 僕はアニメ業界ではフリーという立場なのですが、ここ10年ほどは手塚プロダクションとの付き合いが復活していました。その中で、「とんでも戦士ムテキング」をリブートする話が耳に入ってきて、虫プロで働いていた若いときにタツノコプロの仕事もしていたものですから、懐かしさもあって「いいねえ」などと気軽に言っていたら、「だったら手伝ってよ」と頼まれてしまったんです。具体的には、よく一緒に企画をやっている手塚プロの宇田川純男プロデューサーに声をかけられて、「笹川ひろしさんともお会いしたいし、やってみるかな」という気持ちになりました。

──肩書きは「総監督」となっていますが?

髙橋 すみません、それは現場サイドからの希望であって、僕自身は総監督という意識は最初から最後までありませんでした。サトウユーゾー監督の手伝いをしたいという程度です。
最近、自分でやりたい企画以外は、若い人に付き合ってあげてほしいという依頼が多くなりました。富野由悠季さんは虫プロ時代の同期ですが、彼も「下の世代に頼まれごとをされたら、断っちゃいけないよ」と、よく言っています。富野さんは雪山登山でいうラッセルのように、道のないところをどんどん切り拓いてくれて、僕は彼のつくった道を辿っているようなものなんです。


──髙橋さんというと、どうしても「太陽の牙ダグラム」(1981年)や「装甲騎兵ボトムズ」(1983年)、「蒼き流星SPTレイズナー」(1985年)のシリアスな印象が強いのですが、「ムテキング」はギャグ物ですよね。

髙橋 だけど、スタジオぎゃろっぷのギャグ物にシリーズ構成や演出協力として参加していますし、自分としてはそれほど違和感はありません。ギャグ物は漫画やアニメーションの王道だと思います。「ダグラム」の素材を使って、自分の企画として「チョロQダグラム」(1983年)というパイロットフィルムをつくったこともあります。まだ自分の作風が固まる前でしたから、次はギャグ物をやりたいなと思って。ところが、サンライズの山浦栄二さんから、やんわりと否定されてしまい、それで「ボトムズ」をつくることになりました。もし「チョロQダグラム」が採用されていたら、サンライズにも「タイムボカンシリーズ」のようなギャグ路線が生まれていた……かと言うと、ちょっと怪しいですね。僕はそれほどギャグのセンスがありませんし、サンライズも実際にギャグ物をつくったこともありましたが、どうしてもスタジオの気質として根づかなかったようです。
その点、タツノコプロは「科学忍者隊ガッチャマン」(1972年)のアクション路線、「昆虫物語 みなしごハッチ」(1970年)などのメルヘン物、そして「タイムボカンシリーズ」のようなギャグ物の三本柱があります。「ガッチャマン」の作画監督は虫プロ出身の宮本貞雄さんですけど、宮本さんの本来の絵柄は、決して明るいタッチではありません。だけど、タツノコ作品を手がけると、ちゃんとタツノコの絵柄になって、きれいに映えるんです。僕は、監督デビュー作「ゼロテスター」(1973年)ではタツノコのスタッフを集めて、打倒「ガッチャマン」を目指しました。ところがフタを開けてみると、足元にも及びませんでした。同じスタッフを集めても、アニメーションの質がまったく違ったんです。

おすすめ記事