まだまだ元気な79歳! 劇場版『Gのレコンギスタ Ⅲ』「宇宙からの遺産」は富野由悠季を救い、そして地獄を見せている……?【アニメ業界ウォッチング第80回】

テレビアニメ版の全26話を、映画全5部作に構成しなおしたシリーズの第3部である劇場版『Gのレコンギスタ Ⅲ』「宇宙からの遺産」が公開中だ。劇場版『Gのレコンギスタ Ⅲ』(『G-レコ Ⅲ』)は、膨大な情報量が音楽のように重奏的なドライブ感をかもす異色の作品だ。
その『G-レコ』シリーズの総監督・富野由悠季さんは今年80歳を迎えるが、背筋はシャンと伸び、舌鋒は鋭く、好奇心も旺盛だ。今回は編集の技、音楽性、そして観客の年齢層についてまで、幅広くお話をうかがった。

デジタルで何でも“らしく”撮れてしまう時代だからこそ、正攻法を探らねばならない!


──劇場版『Gのレコンギスタ Ⅲ』「宇宙からの遺産」を見て思い出したのは、まず『2001年宇宙の旅』の冗長な編集。それと、あらすじを字幕で説明した黒澤明の『白痴』です。そういう雑な映画に比べると、『G-レコ』の編集には特別な秘密があるように思うのですが?

富野 「何か頭のいいことを言え」という意図で黒澤の名前を出したのかも知れないけど、だとしたら困ってしまう。なぜなら、テレビアニメ版の『G-レコ』がバタバタしてしまったので、その部分を整理しただけのことだからです。ほかに脚本家がいたら大喧嘩になるんだけど、『G-レコ』は自分で脚本も書いているから、テレビアニメ版で不足していた部分を勝手に入れることができました。素直にまとめることができたおかげで、映画5本を底支えする背骨が通りました。それと、総量のバランスをとってあげたので、見映えもよくなりました。僕の場合、ありがたいことに反省できる自分の作品が、過去にたくさんある。『(機動戦士ガンダム)逆襲のシャア』を10年たってから見ると、戦闘シーンを倍ぐらい長く感じるんです。制作している間は「同じ戦闘を2度やらせてないぞ」といううぬぼれもあったけど、『2001年宇宙の旅』の猿のシーンと同じように「長いよ、半分切れよ」って、腹が立っちゃう。10年も経過すると、そういう感度が育ってくるんです。では、どうしてそこまでバランスが重要かというと、映画は観客が選択の余地なく終わるまで座っていなくちゃいけないわけだから、観客の生理に合わせた長さに調整してあげる──それだけのことであって、黒澤明なんて眼中にありません。
もう少しわかりやすい例をあげると、最近のポピュラーソングって、昔の3倍も5倍も長いでしょう? 昔の歌謡曲のレコードは3分ぐらいで、3番まで歌詞があった。1分がものすごく長くて、これだけの感情を歌いこめられるのかと、中学生のころに気がつきました。好きな歌なら3分ぐらい聴いていられるけど、嫌いな曲なら1分でも我慢できない。その実感が、映画のバランスにおいて、僕の決定的な基準になっています。
第1作目の『ゴジラ』で、特撮のカットと人物だけのカットを同じ長さだけ見せられて、とても腹が立ったんです。しかも、特撮はピントがぼけているのに、人物にはシャープに照明が当たっていてピントも合っている。小学6年生だったけど、とても1本の映画として見ることができなかったんです。それが『モスラ』になるとカラーでシネスコで、それでもまだ、合成カットのピントがぼやけている。ザ・ピーナッツは別に好きではなかったけど、彼女たちまでピンボケにしたのは本当に許せない(笑)。映画を見せるということは、観客をその場にフィックスするわけだから、1時間半が生理的な限度だと、本当は思っています。だから、『ガンダム』の第1作目を90分にまとめられなかった自分の無能ぶりを痛感していて、その敗北感が今にいたっても続いている。……それが、僕の映画に対する感覚のすべてです。


──最近の娯楽映画は2時間半がザラにあって、なかには3時間を超えるものもあります。

富野 ここ10年ほどはデジタル化によって簡便に映画がつくれるようになったおかげで、作り手の感覚がルーズになっていると感じます。だから、デジタルに慣れ切った今のお客さんに対して「もう一度、基本に立ち戻りましょうよ」という言い方もできるんだけど、正しい映画のつくり方は、やはり確実にあると思います。
というのは、1か月ぐらい前に、「音楽映画コレクション」10作品のDVDセットを買ってきて、ぜんぶを見たんです。いちばん古い作品が、1937年製作の『楽聖ベートーヴェン』。ベートーヴェンの生涯を描いているんだけど、どう見てもベートーヴェン役の俳優が60歳すぎなんです。その俳優に向かって、若い女優さんが「あなたの高貴な音楽性を愛しています」なんて言っている。後から調べてみると、フランスの名優が20~30代のベートーヴェンを無理に演じていて、そんな歳をとった俳優に向かって「あなたを愛しています」と若い女優に言わせるのははばかられるから、「あなたの“音楽性”を愛しています」と逃げていたんだとわかる。だけど、イントロから物語にスッと入っていけるし、台本の構成は間違っていない。決して、無定見な映画ではないんです。何よりも必殺兵器だと思ったのは、ずっとサイレントだったのに、ベートーヴェンの楽曲だけトーキーになるところ。サイレントとトーキーの見事な合わせ技。俳優の年齢だとか、仕方のない事情を積み重ねながらも、歯切れがいい。その鮮やかさを見てしまうと、何でもかんでも“らしく”撮れてしまう、人間が空を飛んでいるような映像でも平気で撮ってしまう我々は、実は「物語を組む」ことをちゃんとやれていないのではないか……と、どうしても思ってしまうんです。

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