リアルタイム世代にとって「エヴァンゲリオン」と庵野秀明とはなんだったのか? 「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」終映&アマプラ配信記念ライター&編集者座談会

「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズを締めくくる集大成となる劇場アニメ「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が2021年7月21日、終映となった。

これに先立つ7月12日には興行成績100億円を突破するなど絶好調だった本作。終映宣言は気が早いようにも思われたが、ほどなくして動画配信サービス「アマゾンプライムビデオ」にて2021年8月13日より、日本を含む世界240以上の国と地域で独占配信がスタートした。劇場作品としての熱が冷めやらぬうちに、配信という世界での勝負に打って出るということだろう。

本稿では、前世紀から庵野秀明作品を見つめ、アニメを生業としている中里キリ(ライター)、清水耕司(編集者)、有田シュン(アキバ総研編集部)の3人に、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を含む「エヴァ」という作品と現象についてたっぷりと語ってもらった。コロナ禍がなければ全国で繰り広げられたであろう、飲み会のひとつでのやりとりと思って気楽に楽しんでほしい。

リアルタイム世代による「シン・エヴァ」評とは?

──今回は、世代として直撃していたみなさんにとって「エヴァ」とはどういうものであったかを総括してもらおうと集まっていただきました。

中里キリ コンテンツとしての「エヴァ」の総括は手にあまるので、自分と自分たちの世代にとっての「エヴァンゲリオン」の私的な総括でお願いしたいです。

有田シュン 僕の場合は「エヴァ」というよりは庵野秀明が好きだった気がするんです。庵野秀明と彼を取り巻く集団のロマンというか。

中里 DAICON FILMからガイナックス、そしてxαpα(カラー)に至る人間関係そのものですね。

──なるほど。では、まずはみなさんと「エヴァンゲリオン」の出会いから聞かせてください。

有田 僕は貞本義行さんのコミック版「新世紀エヴァンゲリオン」の連載が始まった時に14歳でした。ほぼチルドレン世代ですね。TVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」(1995)の本放送は高校受験という人生の大事件にタイミングが重なる感じでした。受験勉強が佳境にさしかかったあたりで「男の戦い」とかが始まっちゃったので(TVシリーズ第拾九話「男の戦い」)、もうどうしたらいいのかわからない感じでしたね。

清水耕司 社会現象的な意味合いで言うと、各人の年代層は結構重要かもしれませんね。作品に対する関わり方が微妙に違ってくるはず。

中里 僕は有田さんより2つ上かな。高校に入ったあたりでTVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の放送が始まったので、全エネルギーをこちらに向けることができました。僕は「エヴァ」から5年前の「ふしぎの海のナディア」(1990)の洗礼をがっつり受けていて、初めてVHSで買い揃えたのがナディアだったんです。だから“あの”庵野秀明とガイナックスの新作ということで第一話から標準録画で、正座してみたOP映像にガツンとやられまして。その日のうちにOPを数十回見返しました。

清水 私も「ふしぎの海のナディア」はアニメ誌やグッズを買うような濃いアニメファンだった時期で、ナディアの同人誌も買いました。でも、それからしばらくは遊びや女の子に興味が行って、ほぼほぼアニメは卒業しかけていた。「エヴァ」をリアルタイムで見たのはTVアニメの最終話が初めてだったんですよ。

中里 それは意外。

清水 地方在住でしたけど話題になっているからあわてて見たらもう最終回で。そこから遡って全部見たから最終回に対する違和感もないし、「エヴァ」に熱狂することもなかったんです。むしろ最終回が軸にあるから、難解な「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」「破」「Q」は嫌いで、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」は喝采、という手のひらを返した側の人間ですね。有田さんは「エヴァ」以前のガイナックス作品は通っているんですか?

有田 自分も「ふしぎの海のナディア」からですね。近い時期にハマっていたのは「機動戦士Vガンダム」とかです。

中里 TV版「エヴァ」リアルタイム世代のオタクが「ふしぎの海のナディア」、あるいは「トップをねらえ!」(1988)や「王立宇宙軍 オネアミスの翼」(1987)といった作品を通過しているのは結構重要で、たとえば「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」に登場する機関長の高雄コウジの声優が大塚明夫さんなことに、「ふしぎの海のナディア」のネモ艦長=大塚明夫さんの文脈が乗ってくるんですよね。

清水 機関長の声を聞いて、最初かっこよすぎると思いましたよね(笑)。あのポジションだと永井一郎さん(※「宇宙戦艦ヤマト」の機関長・徳川彦左衛門役)の声が頭に浮かんでくる。だからネモ船長として艦長席に座っていた役者が本作でベテランのポジションに入っているのは世代交代として面白いなと思います。

有田 「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」自体がスーパー庵野秀明大戦的な面白さ、おいしいところを全部集めてきた感じがありますね。

中里 「宇宙戦艦ヤマト」をオマージュした戦艦は庵野作品に繰り返し登場しますし、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」でミサトが槍を届ける作戦は「ヤマト作戦」でした。「ゴジラ」「仮面ライダー」「ウルトラマン」と作っても、やはり庵野さんは「ヤマト」を作りたいんだと思いますよ(笑)。

清水 作ればいいのにね、「シン・ヤマト」。

中里 「シン・ヤマト」と言うと何やら「ガンダムSEED」っぽいですが……やっぱり「ヤマト」に関しては出渕裕さん(※「宇宙戦艦ヤマト2199」総監督)の領分という感覚なのではないでしょうか。

──四半世紀に渡るシリーズを締めくくる作品としての「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」には賛否もあります。皆さんから見た作品の評価はいかがですか?

有田 庵野秀明監督が作品の中でやりたかったこと、テーマは最後までブレなかったと感じています。

清水 そこがすごい。

有田 旧劇場版(「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」(1997))から、庵野監督の“オタクよ現実に帰れ”というメッセージは変わっていないんだと思います。旧劇ではそれを暴力的な映像とメッセージに込めて叩きつけていたのが、本作ではオタクの両肩をつかんで「卒業しよう、な?」と説得している感じ。上から目線になってしまいますが、庵野秀明大人になったな、という感じです。それと終わってくれてありがとうという感謝ですね。

中里 自分の中で2つの見方があって、エンターテインメント性を求める人、活劇が見たい人、さまざまな謎を散りばめた衒学性を求める人、人間ドラマが見たい人……いろんな要望がある中で、ありとあらゆる視点から見て75点、及第点以上の作品にまとめ上げているというのがひとつ。そのうえで、自分のような旧劇場版に魂を囚われている人間からすれば120点のエンディングを用意してくれたな、という印象です。

清水 賛否両論ではあるけれど、今までの「エヴァ」の中ではもっとも賛、それも絶賛に近いものが多い気がします。第一に「エヴァ」を完結させたという点で。そこで明確に否を唱えているのが批評家の宇野常寛さんですけど。かくいう私も絶賛派です。素晴らしい。

中里 やはりTVシリーズ~旧劇世代は「シン・エヴァ」に対して賛が多い気がしますね。

有田 映像オタク的に楽しむ人、SF考察がしたい人もいれば、「なかよひモグダン」のエロ同人誌を買っていた人もいる。見方はさまざまにある中で、今回怒り狂っていた層のひとつにキャラ萌え属性の人たちがいると思います。

中里 ああ、いわゆるLAS(ラブラブ・アスカ・シンジ)の人たちですね。それは怒るだろうし、怒っていますね。

有田 カップリング的に収まるべきところを外してきたのも、公式からのある意味での裏切りというか、卒業をうながす意味合いがあるのかなと思いました。

清水 私にとっては組み合わせも含めて完璧に近い終わり方でしたよ。

中里 おじさん的には、シンジとアスカが結ばれましためでたしめでたしよりも、あの頃好きだったと思う、ありがとう僕もアスカのことが好きだったと思う、というやりとりの余韻のほうがグッとくるんですよね。

清水 そう、グッと来ますね。

有田 おっさん的にはたまんないですよね。

──公式カップリング的には、シンジはマリと、アスカは相田ケンスケと。そしてレイに関しては、公式冊子でカヲルと家庭を築いたようにも見えるイラストがあります。

清水 レイとカヲルのイラスト(カヲルはシンジそっくりの子供を肩車している)は現実的には絶対にありえない、すごいサービスカットですよね。ラストシーンでも、シンジとマリがこちら側ホーム、レイとカヲルは向かい側ホームにいて、現実と幽界(かくりよ)みたいな感じがありました。

中里 みなさんヒロイン的に誰派とかはあったんですか?

清水 キャラクターはアスカ派でしたが、「エヴァ」に夢中になった人種ではなかったのでシンジとくっついてほしいとかはなかった。中里さんは?

中里 自分はサブキャラ好きなオタクだったので、伊吹マヤが好きでした。メインヒロインで言えばTVシリーズ当時はレイ派でしたが、だんだんアスカがかわいいなと思うようになりました。ただ「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」に関しては、レイでもアスカでもないヒロインと結ばれることが大事だったのかなと思っています。

清水 遅まきながら、私も、マリの存在意義を「シン・エヴァ」で見い出せました。それまでは役割が読み取れていなかったんですが。シンジは綾波ともアスカともくっつけられない、そこにおさまったら「成長」を描けない。実際、「好きだった」という台詞は少年時代からの卒業を意味してますよね。そのとき、青年になったシンジと一緒に歩いてくれるマリという存在が必要だったと理解できました。

中里 「Q」があまりにもシンジと視聴者に負荷が大きい作品だったので、シンジを受容する緩衝材としての存在が必要だった気がします。あとはTVシリーズではゲンドウが単なる抑圧装置になってしまっていたので、ゲンドウと冬月を人間として描くために、ゲンドウ、冬月、ユイを対等の立場で知るマリが必要だったのかなと思います。

清水 シンジもレイもアスカも含めて、冬月もゲンドウも登場するキャラクターはみんなそれぞれに痛みを持っているけれども、マリに関してはそれが見えにくくて。きっと痛みはあるだろうことは予測できるけれども、それを見せずに明るく元気に振る舞う様は魅力的だし、それができている唯一のキャラクターでもある。だからシンジ君と一緒に歩めるんじゃないかなと思います。ホント、今さらですがすごく好きなキャラクターになりました。

有田 自分的には、「エヴァ」は庵野秀明監督の箱庭療法的作品として見ている部分が大きくてですね。

中里 有田さんの好きなキャラ?は庵野監督ということですか(笑)。

有田 そうなりますね(笑)。庵野さんってこんなことを考えているんだ、こんなキャラクターが庵野さんの中にいるのか、みたいなことを投影して見ているんですね。旧劇場版がああなったのは、全てを庵野さんの中の世界で解決しようとしてオーバーフローしてしまった結果なんじゃないかと思っています。それからの25年で、庵野さんは結婚して、会社を作って、鶴巻和哉さんをはじめとしたスタッフとより世界を共有できるようになった気がするんです。マリというのは旧劇場版の頃にはなかった外的要素の象徴なんじゃないかなと思います。庵野秀明を救済する外側の存在。

清水 マリ=安野モヨコさんという解釈については庵野監督自身が否定していますね。安野モヨコさんもあんな光の側のパーソナリティでもないと思います。

中里 マリに関しては鶴巻和哉さんの趣味が濃厚に盛りこまれているのは結構いろんなところで語られていますね。

有田 だから、あえて言うならアスカかな、TVシリーズではアスカが壊れていく過程を見ているのが好きでした。

清水 お2人としてはカップリングとしての結末はいかがでしたか?

中里 うーん……。有田さんが、旧劇場版から変わらぬモチーフとして、「エヴァンゲリオン」とオタク的なものからの卒業をうながすメッセージがあるとおっしゃっていたじゃないですか。その意味でいうと、実は重要なのはヒロインズよりも、トウジとケンスケなんじゃないかと思うんです。あの頃同世代で同じ世界を生きていたトウジが委員長と大人の男として家庭を持ち、ケンスケも成長してアスカを見守っている。シンジ君に自分を投影するオタクはある意味置いていかれた存在で、加持さんの側、大人になったケンスケがアスカの保護者になるというのは、ある意味一番意味のあるカップリングなのかな、と思います。

有田 14年間囚われたままのシンジと、その間、年を重ねてしまったアスカ。

清水 ただ、アスカは内面の成長があまり描かれていない感じはありますね。シンジ君にとってのマリがそうであるように、まだ中学生であるアスカの自意識を受け止めてくれるのは大人になったケンスケだった、ということですね。

中里 マリはアスカのことも相当あまやかしていて、それも(アスカの)内面が変わらないように見える一因かもしれません。

有田 やはりチルドレンに必要なのは恋人の前に親の愛情だったということでしょう。

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