ストーリーが停止した瞬間、テーマが横方向へ動き出す――「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」に見る押井守の“幕間”演出【懐かしアニメ回顧録第84回】

士郎正宗の漫画「攻殻機動隊」を原作とするアニメの最新作「攻殻機動隊SAC_2045 持続可能戦争」が、11月12日から公開されている。その「攻殻機動隊」をアニメ化した最初の作品が、押井守監督の「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」(1995年)だ。
「GHOST IN THE SHELL」は、公安9課に属するサイボーグの草薙素子が、ネットの情報の海で生じた生命体「人形使い」にアプローチされ、彼と融合して新たな存在へ進化するプロットを簡潔に描いている。そのいっぽうで、押井守ならではの幻想的な演出により、アンニュイな雰囲気が全編を覆う。
たとえば、スキューバダイビングした素子が海上に浮上する直前、鏡と向き合うように、もうひとりの自分と触れ合う。この構図は映画の冒頭、素子の義体(人工のボディ)が水槽内で製造されるシーンと符合する。また同時に、ひとりのキャラクターが水面を媒介してもうひとりの自分と出会うシーンは、押井監督の代表作「天使のたまご」にもある。
もうひとつ、押井監督に顕著な演出が、ストーリーの進行を停止させて、環境や状況に付随する音響効果も消して、音楽を主体に抒情的な風景だけをえんえんと重ねていく休止時間、いわば“幕間”である。

ゴーストのささやきを素子が聞いた瞬間、物語は5分半、進行を停止する


「GHOST IN THE SHELL」の“幕間”は、2か所ある。
まずひとつめは、スキューバダイビング後の素子が、バトーと会話しているとき、謎めいた声を聞いた直後に始まる。この後のプロットの展開には、人形使いが憑依した女性型の義体が車にはねられる重要なシーンがあるにも関わらず、街中を彷徨する素子、雨のふりしきる街路が何カットも重ねられ、物語は進行を停止する。
もうひとつは映画後半、人形使いの義体が持ち去られ、その行方を突き止めた素子がヘリで急行し、ほかの9課メンバーも別行動をとる緊迫したシーン。普通のアクション映画なら、クライマックスに向けて派手に盛り上げるのだろうが、この映画は逆である。素子の内面に入りこむようにカメラが彼女の横顔にズームインし、バトー、トグサ、荒巻課長らを映すのだが、彼らの台詞はない。聞こえるのはヘリの音などのわずかなSE、あとはゆったりとした音楽のみである。
ここでは、ひとつめの幕間、「船上で素子が謎の声を聞く~人形使いの義体がはねられる」、この2つの重要なシーンの合い間に何が映っているかを見ていきたい。素子のアップから画面は白地になり、その白地からフェイドインして、カット(1)へつながる。同時に、音楽がスタートする。

(1) 看板に飾られたビルの上を、飛行機の真っ黒なシルエットが横切る。
(2) ビルのガラス面に、飛行機の黒いシルエットが映っている。
(3) 看板で埋め尽くされた細い水路を、黄色いボートが進んでいく。
(4) 黄色いボートが画面手前に向かって、ゆっくりとカーブする。
(5) 看板の向こう、よどんだ水路を進むボートを俯瞰でとらえる。
(6) 水面にゴミが浮かんでいる。そこへ、ボートの影が映る。
(7) シンメトリーの構図で、左右をビルに挟まれた水路を黄色いボートが進む。
(8) ボート内より、船べりから地上の街路を眺めている人々を背後からとらえる。
(9) ボートからの主観カットで、ビル内の喫茶店をあおりでとらえる。
(10) その喫茶店の窓、素子と同じ顔の赤い服の女が振り返る。
(11) ボートの上の素子、赤い服の女に気がついたのか、振り返る。
(12) ビルの方角を見ていた素子のアップ。正面に向きなおり、遠くを見る。
(13) 看板の向こうに、廃墟のような巨大な建物が見える(ボートからの主観カット)。
(14) ボートからの主観カット、斜めにかかった橋の向こうにビルがある。
(15) 橋の下の信号機が、黄色いライトを点滅させている。
(16) よどんだ川面。自転車などが捨てられている。
(17) 路地から、黄色いボートをとらえる。手前には買い物袋を持った人たちが歩いている。
(18) ボートからの主観カット、橋の上から犬が尻尾をふって見ている。
(19) 洋服店のショーウインドウ、2体のマネキン人形が立っている。ガラス面にボートが映る。
(20) マネキンのアップ。その顔は、素子にそっくり。
(21) 川面に雨がポツポツと落ちて、あちこちに波紋ができる。
(22) 古ぼけたホテル。雨が降っている。
(23) 信号機。雨が降っている。
(24) 高速道路と水路に挟まれた、雑然としたビル群を俯瞰でとらえる。
(25) 奥に超高層ビル、手前に古いビルの集まった水路。黄色い傘をさした子どもたちが走る。
(26) 街中の坂道。傘をさして歩く人たち。
(27) 古いビルの裏手。壁に、文字だけの同じポスターがぎっしりと貼ってある。
(28) 逆光になった看板。その向こうにはネオンの明かりが見える。
(29) 雨の中、雑然とした街の中を路面電車が走ってきて、停まる。
(30) 両側に電光掲示板の看板をつけた小さな船が、狭い水路を進んでいる。
(31) その看板の模様や文字が、地上のガラス扉に映る。ぼんやりと看板を見ている男。
(32) 水路に面したビルの一室から、光がこぼれている。周囲には雨が波紋をつくっている。
(33) 手前に小さな船、奥にビル。ガラス窓の中では、何体かのマネキン人形が立っている。
(34) そのアップ。顔のない女性型のマネキン人形が立っている。

ここでフェードアウトして音楽が終わり、夜の高速道路へとシーンは変わる。手前に人間の足が映りこんでおり、次のカットで、裸の女が道路にたたずんでいるとわかる。それは、人形使いの憑依した義体である。義体がトラックにはねられて、ストーリーは大きく進展する。
全32カット、約5分半にわたって水路や雨の町が映され、ストーリーは休止していたことになる。しかし、ストーリーの停止は、映画の停止を意味しない。この“幕間”の32カットを少し掘り下げてみよう。


水は、海→川→雨へと状態を変える。そして、素子は「もうひとりの自分」と出会う


まず、この“幕間”の前半は素子の主観で描かれる。素子の乗った黄色いボートは(3)で登場し、以降、(20)まで何らかの形でフレーム内に映っている。(13)~(15)は人物のいない背景画のみだが、BOOK(切り抜いた背景)を重ねることで、船が川を遡行する運動を表現している。
(21)で雨が降りはじめ、素子もボートも姿を消す。雨の降りしきる後半は、雨の高速道路に現われる人形使いの予兆として機能している。また、素子が謎の声を聞いた海、川、雨……と、水の状態が変化することで、ドラマの向かう先を暗示しているようにも見える。

人形使いの予兆という意味では、(19)、(33)、(34)に映るマネキン人形も見逃せない。人形使いの義体は女性型なので、このシーンに登場するマネキンも女性型だ。
さらに、(20)では素子そっくりのマネキン人形がアップになる。(19)で映るマネキンとはポーズも服装も微妙に異なるので、別の人形なのだろうか。それとも、服を着替えた素子なのだろうか。では、(10)の喫茶店に座っている素子そっくりの女性は誰なのか。素子と同じタイプの義体なのか、それとも素子にだけ見えた幻覚なのだろうか?
いずれにしても、この“幕間”には別の素子が2人も登場する。最初に触れたように、直前のスキューバダイビングのシーンで素子は海面を介して、すでに「もうひとりの自分」と会っている。そして、マネキン人形の素子も、喫茶店の素子もガラスの向こう側にいる。ガラスも水面も、鏡となって自分自身を映し出す。同時に、ガラスも水面も、向こう側にいる実体を透視させる。はたして、草薙素子は幻覚を見ているのだろうか。それとも、素子はひとりではなく、たくさんの素子が実在しているのか。
台詞と芝居が縦方向へ物語を推し進めるとするなら、物語が停滞しているかに見える“幕間”は、作品のテーマを横方向から輪切りにしているのである。


(文/廣田恵介)

おすすめ記事