キャラクターが「ない」と言ったものは、必ずそこに存在している――「カウボーイビバップ 天国の扉」のシナリオ術【懐かしアニメ回顧録第85回】

Deadline、Varietyなど複数のメディアが、Netflixで配信されている実写ドラマ「カウボーイビバップ」がシーズン1で終了することを報じた。また、原作となったアニメのシリーズ構成と脚本で卓越した手腕を見せた脚本家、信本敬子氏の訃報もファンには寂しい。
今回は、その信本氏が脚本を書いた劇場版アニメ「カウボーイビバップ 天国の扉」を取り上げ、そのシナリオ術に迫ってみたい。

ざっと、本作のあらすじを説明しよう。
大勢の人々が入植している火星の高速道路で、タンクローリーが転倒・炎上する。その事故現場で未知のウイルスがばらまかれたらしいという情報を聞いた賞金稼ぎのスパイクは、独自に調査を始める。スパイクはふとしたことから謎のカプセルを入手、その中には人間の体内に入りこんで死に至らしめるナノマシンが封入されていた。
スパイクは、ヴィンセントという元軍人がナノマシンによる大規模テロを画策していると知り、彼と対決する。同時に、ヴィンセントと同じ特殊部隊に所属していた女性、エレクトラも彼を追い、テロを食い止めようと奔走する。

この事件はナノマシンを開発した製薬会社、警察、軍が関わるなどスケールが大きい。過去の因縁と任務の両面からヴィンセントに追うエレクトラはともかく、第三者であるスパイクが入りこむ余地はないように見える。そのため、スパイクを事件に引き込む狂言回しのようなキャラクターが登場する。ミッキー・カーチスの演じるラシードだ。

1度目の登場で「問い」、2度目の登場で「答え」をスパイクに与える謎のキャラクター


〈ラシードの1度目の登場〉
モロッカン・ストリートと呼ばれるアラブ風の通りで、スパイクは「豆屋」という隠語を使ってウイルス(その時点ではナノマシンとは明かされていない)の手がかりを探す。何も見つからず途方に暮れていたとき、アラビア人のような男が現れる。それが、ラシードだ。

ラシード「豆屋探してるの、あんたか」
スパイク「目に見えないほどの豆もあるか?」
ラシード「もちろんだ。モロッカン・ストリートには何でもある。だから、ここに来たんだろう?」

そう言ってラシードはスパイクを手招きし、たくさんの豆を売っている豆屋の前に案内する。スパイクが「ウイルスはあるんだな?」と聞いたとき、ラシードは「あれはウイルスなんかじゃない」と断言する。しかし、ラシードはどういうわけか、スパイクに大きな壺を買わせる。その壺の中に、ナノマシンの封入された青い球状のカプセルが入っていた。

〈その後の展開〉

製薬会社を探っていたスパイクは、そこで出会ったエレクトラの通信を傍受し、彼女に先んじてヴィンセントを追いつめる。ところがスパイクはヴィンセントに反撃され、半死半生の大けがを負わされてしまう。
回復したスパイクは製薬会社がマカダミアナッツ、すなわち「豆」に偽装してナノマシンを輸送していたことを知り、再びモロッカン・ストリートへおもむく。

〈ラシードの2度目の登場〉
スパイクはラシードに案内された路地や豆屋、壺を買わされた店を訪ねるが、なぜかラシードの姿は見当たらない。スパイクが途方に暮れて階段に座ると、そこへラシードが現れる。

ラシード「望みのものは見つかったか?」
スパイク「いや、いらないものばかりだ」

スパイクは、なぜ自分にナノマシンを渡したのか、ラシードに聞く。ラシードは、ナノマシンの開発者が軍から逃げ出したこと、さらにヴィンセントとナノマシンの関係をスパイクに話す。話を聞き終えたスパイクはラシードを殴って立ち去ろうとするが、軍隊に取り囲まれて捕まってしまう。

つまり、ラシードは唐突にスパイクの前に現れてナノマシンを渡すという「問い」を発して、彼がヴィンセントに敗北して再び訪ねてきたとき、「答え」を与えている。
この映画の長さは、114分。スパイクがヴィンセントに重傷を負わされるのは、映画が始まって59分ごろ、つまりほぼ真ん中である。ラシードの1度目の登場は、映画開始から22分ごろ。2度目の登場は70分ごろ。スパイクの生命が危うくなる前後に、タイミングよく登場する。
この映画のメインプロットは、「スパイクが死ぬか生きるか」ではない。ヴィンセントという悲劇的なキャラクターの行く末だ。だが、「スパイクがヴィンセントに殺されそうになる」というサスペンスを映画のちょうど真ん中に設けて、その前後にスパイクへの「問い」と「答え」を用意することで、スパイクが物語から外れないよう工夫しているのだ。


ラシードを殴ったスパイクは、右手の中に何を持っていた? 何を渡そうとした?


ここで注目したいのは、ラシードの2度目の登場だ。ストーリー上の役割としては、このシーンはヴィンセントが何者なのかを説明しているに過ぎない。なぜラシードがそこまで事情に詳しいかと言えば、彼自身がナノマシンの開発者にほかならないからだろう。だとしても、それはシナリオの段取りでしかない。もっとよく見てみよう。

このシーンは画面の上から下までを覆いつくすような長い階段が舞台となっており、登場人物はスパイクとラシードのみ。夕暮れ時なので画面は琥珀色に沈んでおり、舞台劇のような印象を与える。
スパイクは長い説明を終えたラシードに歩み寄り、「ドクターに渡しといてくれ」と右手を差し出す。ラシードがのぞき込むと、スパイクは右手を握ってラシードのみぞおちに打ち込む。ラシードはその場に倒れ込み、スパイクは「もしまた会ったら…で、いいぜ」と不敵に笑う。
このカットは倒れたラシード越しに、バストショットでスパイクをとらえている。その背後を見てほしい。階段ぞいの建物の電灯が青い球状で、ナノマシンの入っていたカプセルそっくりなのだ。

「ドクターに渡しといてくれ」と差し出したスパイクの右手には、おそらく何も握られていない。殴るのが目的なのだから、当然だろう。しかし、殴られたラシードは「そうしよう(ドクターに渡しておこう)」と、あたかも何かを受け取ったかのように答える。
このシーンには、ナノマシンの入ったカプセルは存在していない。しかし、スパイクの背後の丸い電灯は、確実にそこにある。スパイクとラシード、そして観客の脳裏に、カプセルはあり続けている。画面の中の、ちょっとした暗喩的な要素が、キャラクターとキャラクター、キャラクターと我々を結びつける。
ラシードは「男(ナノマシンの開発者)は、もうここにはいない。存在しない。ヴィンセントを止められる者は、いない」とため息をつく。だが、ナノマシンの開発者はラシード自身であろうし、スパイクやエレクトラはヴィンセントを止めようと必死だ。セリフで「ない」と言われたものを、観客は「ある」と直感する。「あるはずだ」と期待する。観客がちょっと前のめりになる……面白い映画は、観客を能動的にするのだ。

(文/廣田恵介)

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