脚本家・小中千昭の体験した90年代後半のアニメ制作現場、そして「serial experiments lain」で試みたこと【アニメ業界ウォッチング第51回】

1995年に夕方から放映されていた「新世紀エヴァンゲリオン」が大ブレイクして、アニメ業界はにわかに活気づいた。アニメだけではなく「ガメラ」や「ウルトラマン」、「仮面ライダー」が復活し、日本の映像文化は新しいビジュアルセンスを貪欲に吸収していった。
小中千昭さんがシリーズ構成と全話の脚本を担当した「serial experiments lain」は、アニメ業界が活気に沸いていた1998年、深夜枠でひっそりと放映された異色のサイコサスペンスアニメだ。その「lain」が20周年を迎えて関連イベントが開催された今年、小中さんの胸には、どんな想いが去来したのだろう? 師走の西新宿で、お話をうかがった。

自分のためだけにつくりはじめた「lain」は、贅沢な作品だった


──2018年7月に「serial experiments lain」(1998年)の20周年記念イベント“クラブサイベリア”が渋谷Circus Tokyoで開かれ、12月頭にはゲーム版「lain」の記念イベントも大阪で開催されたそうですね。

小中 ええ、ゲーム版の発売が11月末だったので、大阪で開催した“クラブサイベリア”は、ゲームに寄ったイベントになりました。イベントを企画してくれたファンたちもそうなんですが、なぜか今「lain」を推してくれる人たちは若い人が多いんです。放送当時、生まれていなかった年齢の人がファンアートを描いて、Twitterにアップしてくれたりする。僕自身は、映像作品はその時代に消費されるものであって、20年後にコンテンツとして生き残らせようなんて考えていなかったし、「lain」を特別な作品だと思っていたわけでもありません。その時代ごとの流行りを描いていれば、いずれは陳腐化するだろうし、実際に「lain」で描いたネットワークの世界は陳腐化していると思います。逆の見方をすれば、リアルとネットの対比構造や関係性は、この20年、そう大きく変化していないとも言えます。20年の間に視聴環境が変化して、ネット配信で初めて「lain」を初めて見た人が増えているんです。

──1998年当時は深夜からの放送でしたし、「こんなアニメを見ているのは俺だけだろう」と思っていました。

小中 そう、Twitterで感想を読んでいても「lain」なんて誰も見てないよね……という前提のツイートが多いんです。一定の割合で「lain」をオススメしてくれる人もいるのですが、「きっと誰にもわかってもらえないだろう」と、ちょっとペシミスティックな薦め方をしている。だけど、“クラブサイベリア”を企画してくれたファンたちはもっと若い世代で、作品の難解さやアングラな部分を「キャラクターがかわいい」ことに収斂させて、今なおエンジョイするというか消費しつづけている。僕からすると、びっくりするような新しい楽しみ方をしているんです。

──地上波放送のアニメ企画として、「lain」は誰に向けてつくっていたのでしょう?

小中 プレイステーション用ゲームを出すことが決まっていましたから、「アニメはゲームを売るためのプロモーション」という建前がありました。そうは言っても、コアなゲームユーザーがどんなアニメを好むかまで考えていたわけではないので、結局は野放しで自分たちの好きなアニメをつくっていました。シリーズ作品はどれもそうなんですけど、作品にとりかかるときのモチベーションと最終回に向けてまとめていくときの心境は、結構シフトしているんです。「lain」の初期は、とにかく自分のためだけにつくっていました。第5話で主人公・玲音のお姉ちゃんが精神的に壊れてしまうんだけど、そこまでをまずやりたかったんです。ゲーム版はエグいサイコホラーだったので、アニメもそうなるのかなと思っていたら、中村隆太郎監督は、しっかりとドラマを見せる方向へシフトしていったんです。 「lain」の制作現場は、ギリギリまでシナリオを待ってもらえたので、前半のアフレコの演技を見てから、その印象を終盤のシナリオにフィードバックすることができました。大林隆之介(現:大林隆介)さんの演じたお父さんが、意外と説得力のあることをしゃべっていることに気づかされたりしました。キャラクターデザインの岸田隆宏さんは現場にベタで付いていてくださったし、プロデューサーの上田耕行とは喧嘩もしたし、それぐらい真剣につくっていたんです。予算はなかったけど、贅沢な作品でしたね。

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