「やがて君になる」加藤誠監督ロングインタビュー 監督として飛躍できた大きな手応え

少女同士の恋愛をモチーフに10代の心情の機微を丹念に描いた「やがて君になる」。2018年10月から12月まで放送されたアニメーションにおいても、その作品性を映像へと見事に昇華させ、高品質な芝居とフィルム感で視聴者を魅了した。本作ではいかにしてあの映像美が生まれたのか、加藤誠監督に作品づくりにおける重点を聞いたところ、演出の思考法から現場監督としてのプロデュース論まで熱く語っていただいた。

侑と燈子2人の作品にする


──まず、加藤監督が監督作としてこの原作を選ばれた理由からうかがえればと思います。

加藤 原作元のKADOKAWAさんから最初にいくつか原作をいただきまして、「この中で監督をやりたいと思うものがあったら」というお話をいただきました。どれも魅力的な作品ばかりだったのですが、直感的に目を惹いたのが「やがて君になる」という作品でした。読んでみると、好きになった相手が同性の女性という形ではあるけれども、内容は普遍的な愛がテーマの作品でした。僕自身はいわゆる「百合」というジャンルはまったく知らない人間でしたが、映像作品を作っていくうえでは原作のファンの方を問わずひとりでも多くのお客さんを巻き込んで広げていきたいと思うんですね。そのときに普遍性というものは大事な要素で、それがこの原作にはきちんとあるなと感じました。

──監督をしていくうえでこれはチャレンジングな作品になりそうだという予感はありました?

加藤 「やがて君になる」の原作を百合作品として好きだったりする人もいるので、百合の知識がない僕が作ることについて、ある種の身構える思いがあったのは確かです。でも逆に、自分がすごく百合が好きで「俺が一番わかってる」というタイプだったらもっと偏った狭いターゲットに向けた作品になっていたのではと思います。一歩引いたというか、作品を描きながら「百合という世界観は何だろう」と探す行為が、もしかしたらこの作品を面白くしていたんじゃないかなと思います。

──探すというのは?

加藤 原作の仲谷(鳰)先生は、この作品を作る際に、周りにいるキャラクターを、それぞれ主人公に対してのメッセージのあるキャラクターとして置いているんですね。そう考えると構成に隙がないんです。だから、各キャラクターに向き合って、何でこのキャラクターはこういう表情・仕草をして、この台詞をしゃべっているか、コアの部分を先生以上に探る必要があります。もちろん、メインの小糸侑も七海燈子も簡単には説明できないキャラクター設定でしたので、探り甲斐のある作品だなと思いました。そして先生もアニメ作品をご覧になるのは好きな方ですので、そういったところでも、プレッシャーというか、期待に応えられるだろうかという緊張はありました(笑)。でも最初にお会いしたときも変につくるのはやめて「僕はこう思いました」、「これが作品を作るうえでの武器になると思います。僕はこういう作りをします」みたいなことを宣言した記憶があります。プロデューサーも、「思ったとおりに伝えればいい」と言っていたので、僕の姿勢と作ったものを見ていただければ伝わると思いました。


──全13話の構成はシリーズ構成の花田(十輝)さんとどのように作られていきましたか?

加藤 構成に関しては僕のほうで最初に、原作のこの部分は入れたいという叩き台を提出しました。そのうえで花田さんに一度揉んでもらって、きちんとした構成案としてまとめていただきました。その際に重視したのは、どこで終わりにするかですね。たぶん、原作を読んだ人がアニメ化を想像するとした場合、多くの方が生徒会劇までやりきるだろうと考えるのではないでしょうか。確かに見せ場としてはあります。でも、そこまでやってしまったら、これはもはや七海燈子だけの作品になってしまうと思ったんです。これはあくまで侑と燈子2人の作品でなくてはいけないという点で花田さんと同意見だったし、1クールの中で生徒会劇までやると原作の大事な部分をオミットしてしまうことになり、それももったいない。ということできちんと最初から描いて行こうと考えました。それは正解だったと思っています。

──侑と燈子2人の作品にするうえで意識されたことは?

加藤 2人の物語にしなくてはいけなかったので、侑が「私は恋愛がわからない」というところからスタートするのですが、彼女の内にある光が彼女自身を満たしていく過程を段階を追って描けたらいいなということは意識しました。彼女の中に宇宙があって、虚無だと思っていた心に何光年も先から光が飛んできて満たされていく。第12話でのプラネタリウムのシーンで星が重なるというところでそれとかけているのですが。燈子に関しては1クールでできることは限られていて、お姉ちゃんの影を追うこと。それは絶対にぶれないようにしました。それでもやっぱりひとりは寂しくて誰かを求めている、素の燈子の叫びをどうしたらちゃんと描けるかなということを意識して作りました。


──完成度の高い原作ゆえの難しさは感じられましたか?

加藤 初めて監督をさせてもらった「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」(以下、「櫻子さん」)は小説原作だったのに対して今回はマンガ原作で、仲谷先生は本当に絵がお上手なので、コンテを描いているときに、いい意味で引っ張られてしまうという点で難しかったですね(笑)。この作品はマンガではあるんですけれども、コマ割りとか流れがすごく映像的なんですよ。だからコマと同じような画面づくりについ陥りがちなのですが、ただ原作の絵をなぞるだけだったら、アニメにする意味がない。もちろん、読んでいる中でこのコマはこの通り見たいだろうなと思うところは拾ってリスペクトしつつ、もっとアニメとしての膨らませ方をしようとする。マンガのコマとコマの間にある何か、存在感を拾うべきだなと思いました。なので、余すことなく原作を読んでいた記憶があります。本当にちょっとした小さなコマにこれは何か意味があるんじゃないかというところを拾ったら、先生も「よく気づきましたね」とおっしゃってくれました。

──今のお話を具体的に深めて行くと、読むときにどういうところを留意されましたか?

加藤 一番は空気感を大事にとにかく大事に。キャラクターの表情を映してダイレクトに見せるのではなく、もっと見ている人に映像から探ってもらいたいという思いがあるんです。キャラクターが泣きそうになるときに木のゆらぎがあったりとか、片足が陰に突っ込んでるとか、ちょっと手がピクッと反応するとかそういった比喩表現などでもっと可能性を広げたい。いいんですよ、それが僕が考えた解釈ではなくても。それを見て、「もしかしたらこのキャラクターはこういうことを考えていたんじゃないか?」ということを視聴者のほうで考えてくれたら、その人の作品になるので。だから、本当に空気感は大事でしたね。このコマをどうにかして別の方法で描けないかという可能性をとにかく探っていきました。

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