【コラム】ヨコハマいちの名探偵のゴールに寄せて――改めて振り返るミルキィホームズという物語(前編)「黎明のアーリーデイズ」

2019年1月28日、月曜日。

「ミルキィホームズ ファイナルライブ Q.E.D.」にて、声優ユニット・ミルキィホームズはゴールを迎えた。

当日の模様は、こちらのライブレポートを確認してほしい。
ありがとう、ヨコハマいちの名探偵たち! 笑って、泣いて、最後にまた笑って!! 「ミルキィホームズ ファイナルライブ Q.E.D.」レポート

今思い出しても、最高のファイナルライブだった。そこにあった10年間の結晶を見て、自分の目から見たミルキィホームズというチームについて、記録を残しておきたいと思った。本稿の性質上、今、新たに探りにくい昔話について、筆者の記憶と主観に基づいて語るコラムとなることをご容赦願いたい。

「ミルキィホームズ」の歴史の起点をどこに置くかと考えた場合、個人的に思い浮かぶのは2007年5月20日、日本青年館ホールで開催された「ルーンエンジェル隊3rdコンサート」だ。今のピカピカにリニューアルされた日本青年館ではなく、バックヤードが地下迷宮のように入り組んでいた旧・日本青年館である。明坂聡美さんらが出演したルーンエンジェル隊のコンサートは大いに盛り上がったが、その日のコンサートには不思議な続きがあった。コンサート終演後のステージ上で、木谷高明社長(当時)が株式会社ブロッコリーを離れ、新たに株式会社ブシロードを立ち上げる報告会が行われたのである。報告会では「デ・ジ・キャラット」のプチ・キャラット役として木谷さんが見出した声優・沢城みゆきさんが司会を担当し、ステージには木谷さんにゆかりのある人々がずらり。さながら決起集会のような雰囲気だった。

重要なのは、2007年5月という時期に、木谷社長が新たな会社を立ち上げてリスタートしたということだ。ブシロードはその名の通り、様々な事情により一旦制作中止となった「熱風海陸ブシロード」という作品を完成させることを目標として立ち上げられた会社だ(2013年12月31日に無事アニメは放送された)。同社はまずは「ヴァイスシュヴァルツ」をはじめとしたトレーディングカードゲームカンパニーとして地歩を固めていった。そんなブシロードが手がける初の自社オリジナルコンテンツが、 2009年10月16日に開催したイベントoにて発表した「探偵オペラ ミルキィホームズ」だったのである。場所はたしか、当時新宿コマ劇場の近くにあった新宿FACEだったと思う。当日は木谷高明社長、中村伸行初代統括プロデューサー、キャストよりシャーロック・シェリンフォード役の三森すずこさん、譲崎ネロ役の徳井青空さん、コーデリア・グラウカ役の橘田いずみさんが出演していた。三森さんはミュージカルやステージの経験が豊富なことが後にわかってくるが、当時は3人共無名な新人という印象だった。

当時のことを三森さんに聞いたことがある。「説明しても、ミルキィホームズがなんなのかお客さんに全然伝わってなかった」。悲しいエピソードなのかと思えば、こう続く。「説明している自分でもよくわかっていないのに、伝わるわけがなかった」。また、「ミルキィホームズ」黎明期のエピソードとして南條愛乃さんが明かしていたのだが、シャロと明智小衣の伝説の掛け合い「ココロちゃん!」「ココロちゃん言うな!」をお客さんの前で披露したところ、まだキャラクターの関係を全く知らないお客さんが(小衣としての)きつい口調にびっくりして、三森さんと南條さんは不仲なのではと誤解したというエピソードがあったそうだ。今となっては笑い話だが、その後南條さんが三森さんからココロちゃんと呼ばれると、「今日だけはいいよぉ」とふにゃふにゃにデレることが多かったのは、予期せぬ不仲説の影響もあったのかもしれない。

脱線したが、ミルキィホームズの発表に登壇したキャストは三森すずこさん、徳井青空さん、橘田いずみさんの3人。ミルキィホームズは3人でスタートしたのである。そしておひろめの同日、発表されたのが「エリーを探せ! ミルキィホームズ声優オーディションツアー」の開催だった。

運命の転換点・「エリーを探せ!」オーディション

「エリーを探せ! ミルキィホームズ声優オーディション」のコンセプトは明確だ。合格者は、2010年冬にPSPで発売予定の探偵ロマンアドベンチャーゲーム「探偵オペラ ミルキィホームズ」にて、エルキュール・バートン役の声優を務めることができる。声優を目指す少女たちにとって、事務所への所属を一足飛びに超えて、直接ゲームやアニメでのデビューにつながる大きなチャンスだ。

決勝大会は2010年2月6日、中野サンプラザで開催された。このオーディションでたったひとつの合格の座を射止めたのが、仙台地区代表の佐々木未来さんだった。個人的な印象としては、決勝に進出した8人の中で、佐々木さんは決して派手ではないが、しっかりした技術がある実力派という印象だった。そんな佐々木さんを大きく後押ししたのが、ニコニコ生放送ユーザーたちだった。決勝大会の模様はニコニコ生放送で中継されており、どの候補者に可能性を感じるかの投票が行われていたのである。佐々木さんが推されているのを見て、ニコニコユーザーは見る目があるというか、ちゃんと見ているな、と思った記憶がある。

ニコニコでの投票は参考で、実際の選考はステージ裏で木谷社長をはじめとした大人たちによって行われたのだが、ニコニコ生放送投票の強い追い風が選考に影響を与えたのは間違いないと思う。

「エルキュール・バートン役・佐々木未来」が誕生した瞬間だった。

佐々木さん本人に当時の気持ちを聞いたことはあまりないのだが、そのオーディションに参加していた人からは、何度も佐々木さんに対する同じ評価を聞いた。「みころんは本当にいい子」「負けた相手が、みころんでよかった」。たったひとつの椅子を争った少女たちがそう口を揃えることからも、彼女の人柄の輪郭が伝わってきた。

2010年2月にエリー役を射止めた佐々木さんはレッスンを重ね、半年後の2010年8月には「Animelo Summer Live 2010 - evolution -」でミルキィホームズの一員としてさいたまスーパーアリーナのステージに立つ。それは現代のシンデレラストーリーだった。

ミルキィホームズの企画が立ち上がった頃、声優としての経験が多少なりともあったのは橘田さんぐらいだった。徳井さんと佐々木さんは、立場は違えどアニメが大好きで、声優を夢見る少女だった。その中で少し毛色が違ったのが、ミュージカルやステージキャストの経験が豊富だった三森すずこさんだ。「ミルキィホームズ」最初の楽曲、「雨上がりのミライ」の間奏のソロダンスを見ると、企画スタート時点では三森さんのダンス力がずば抜けていた名残が感じられる。後に2012年の武道館ライブで三森さん自身が語っていたことだが、三森さんだけは声優になることを特に望まないまま、「ミルキィホームズ」という状況に飛びこんだのだった。

個人的にすごく印象に残っているのが、2011年10月22日、横浜・神奈川県民ホールで開催された「Milky Holmes Live Tour 2011 Autumn "To-gather!!!!"」のツアーファイナルだ。この会場は三森さんが高校時代に、バレエでステージに立った思い出の場所だった。かつて「白鳥の湖」で主役の後ろ、後ろから二番目に立っていた自分が、今はソロでここに立っている……と本当に嬉しそうに、ステージから両親に報告する三森さんの姿を覚えている。この公演は声優ユニットとしてのミルキィホームズが本格的に花開き始めたツアーの集大成であり、ミルキィホームズ初の日本武道館ライブ開催を発表した場所でもある。終演後、思わず中村さんとかわした握手の力強さを覚えている。

そして2012年5月20日、ミルキィホームズは「ミルキィホームズライブ in 武道館」でついに日本武道館のステージに立った。声優ユニットとしてのミルキィホームズが、大きな一歩を踏み出した瞬間だった。当日のステージがどんなものであったかは、DVD/Blu-ray「ミルキィホームズ ライブ in 武道館」などをチェックしてほしい。敢えて注目すべき要素を挙げるとすれば、それは徳井さんが演じる譲崎ネロがフライングで武道館の空を舞ったことだろう。7年後の「ミルキィホームズ ファイナルライブ Q.E.D.」で、徳井さんは再び武道館を飛んだ。

(後編につづく!)

(文・中里キリ)

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