片渕須直監督の「マイマイ新子と千年の魔法」を救った小さな映画館「ラピュタ阿佐ヶ谷」の支配人が10年前を振り返る【アニメ業界ウォッチング第59回】

片渕須直監督の最新作「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の公開が、2019年12月20日に迫っている。
公開から今年で10年を迎える片渕監督の旧作「マイマイ新子と千年の魔法」(2009年)は公開当初、大きなシネコンでは客の入りが悪く、大苦戦を強いられた。前回、岩瀬智彦プロデューサーがインタビューでも触れたように、東京・阿佐ヶ谷の小さな映画館“ラピュタ阿佐ヶ谷”で8日間にわたってレイト上映されたことで、ようやく人気に火がついた。
10年前の上映当時、ラピュタ阿佐ヶ谷の石井紫支配人は、どのように事態を見つめていたのだろう? 当時を振り返っていただいた。

「どうして、ウチのような小さな映画館に?」ととまどった


──現在では日本映画の旧作上映館として知られるラピュタ阿佐ヶ谷ですが、石井さんはどのようにしてラピュタに関わるようになったのでしょう?

石井 もともとは、株式会社ふゅーじょんぷろだくとの配給宣伝の部署に入社しました。そのときは、アレクサンドル・ソクーロフ監督の作品を上映するための人員募集でした。それまで縁のなかった昔の日本映画を新人研修で見て、すっかりハマってしまったんです。確か、高峰秀子さんの「名もなく貧しく美しく」だったと思います。最初に関わったのが、撮影監督・岡崎宏三さんの特集上映のパンフレットを作る仕事で、さらに日本映画にハマっていきました。ところが、その時期は会社内がバタバタしていて、長いことラピュタを支えていたバイトリーダーが家庭の事情で田舎へ帰ってしまって、誰かが代わりにやらなければならない状況になりました。「もう自分がやるしかない」と決意して、ラピュタに出向することにしました。

──すると、もともとラピュタ阿佐ヶ谷専属の社員ではなかったわけですね。

石井 はい、ふゅーじょんぷろだくとの社員でした。自分が手伝っている岡崎宏三さんの特集上映も始まってしまうし、「しばらく映画館へ行ってきます」という感じで、そのまま現在に至ります。当時は映画興行のことは何も知らなかったので、中野武蔵野ホールなど、近くの映画館に細かいことを教えてもらって……。

──「マイマイ新子と千年の魔法」とは、どのようにして出会ったのでしょうか?

石井 当時は、弊社の社長が公開2日目(2009年11月22日)に見に行っただけで、私にとって「マイマイ新子~」を上映したいという申し出は突然の話でした。「どうして、ウチのような小さな映画館に?」と、状況が理解できませんでした。お話があった時点では、私自身は「マイマイ新子~」を見ていませんでした。


──興行的にかんばしくない、という話は聞いていたと思うのですが……。

石井 ラピュタに話が来るということは「あまりお客さんが入ってないから上映してもらいたい」という状況なのでしょうし、最初にお話があったときにも、そのように説明されました。本来そういうお話を受けるべきなのかどうなのか、とても悩みました。ただ、混乱している最中に何本か電話を受けていたとき、「無理して上映しなくてもいい」「1日だけでも構わない」というニュアンスの言葉が出たのです。それで、逆に火がついたようなところがあって、8日間も上映すると決めてしまったんです。興行成績がよくないから、ひとりでも多くのお客様に見てもらいたくて動いているはずなのに、1日だけの上映で形だけ整えても意味がないんじゃないか、と思ってしまったんです。できるだけ日数をかけて「それだけの価値のある作品なんです」と伝えるべきだと、私は考えました。

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