「私は櫻井智でいたいんだ」という気持ちを実感できた引退期間を振り返る──1990年代を駆け抜けた人気声優・櫻井智インタビュー!【アイドルからの声優道 第5回】
「声優」を職業としてとらえたとき、どのような側面が浮かび上がってくるだろうか。連載企画「アイドルからの声優道」では、異なる職種ではあるが同じ人気商売の「アイドル」から転身した声優たちを迎え、「声優」が持つ特性を切り取ってみる。
第5回は櫻井智(とも)さんが登場。かつてアイドルとして多くの雑誌に登場したが、声優に転身後もアイドル声優としてトップグループに君臨したレジェンドのひとりである。
櫻井智さんが最初にスポットライトを浴びたのはアニメ「ミッドナイトアニメ・レモンエンジェル」。そこで主演を務めながら、作品から生まれたアイドルグループ「レモンエンジェル」ではトモとしてセンターを張ってもいた。グループ解散後には、声優としての活動も始め、「マクロス7」のミレーヌ・ジーナス役でブレイク、「怪盗セイント・テール」の羽丘芽美(怪盗セイント・テール)役で人気を不動のものとし、CDや写真集も発売。2016年に突然の引退を発表するも、今年5月に復活を宣言した彼女。
アイドル声優としてその名を馳せながら、いっぽうでは地道な経験を重ねながら演技力を獲得していった「櫻井智」が、懐かしい作品群をたどりながら「声優」を語る。
今も櫻井智の仮面を外すとシャイなんです
――中学生のとき、少年隊のミュージカルを見に行ったのがきっかけで芸能界に入ったとお聞きしました。それ以前から芸能界に興味はあったのでしょうか?
櫻井 全然。人前に出るなんてとんでもなくって、学校の授業で手をあげることさえできない子でした。先生に指されようものなら赤面状態で。でも、あのミュージカルで一瞬にして変わってしまいました。
――何がそれほどに衝撃だったんですか?
櫻井 最後にファンサービスとしてメドレーを何曲か歌ってくれたんですけど、そうしたらさっきまで静かに座っていたお客さんが急に立ち上がって黄色い声で叫び始めて。それに圧倒されてしまいました。そのとき、「この人たちってすごいんだ」って思ったんですね。
――少年隊を見てすごさを知るのではなく、お客さんの熱狂ぶりに驚いたんですね。
櫻井 そうです。少年隊のことは素敵だと思いながら見ていたんですけど、それが衝撃でした。すごかったんですよ、「キャーッ!」って。
――内気な女の子から180°転換しましたね。
櫻井 でも、当時から隠れた自我はあったのかもしれないですね。今も櫻井智の仮面を外すとシャイなんですけど、本当にその気がなかったらなりたいとは思わないですよね。
――そのあとは? ご両親に相談したんですか?
櫻井 いえ、ひとりでオーディション雑誌をすぐ買いに行って、その月に行われるオーディションを3つ受けました。
――結果は?
櫻井 全部受かりました。でも、最初に連絡が来たところはお金がかかるということで、次に連絡が来てレッスン料が無料だった事務所に入りました。
――それからレッスンに通われて?
櫻井 ジャズダンスやパントマイムを習いました。でも、すぐ実践に入ったんですよ。事務所内で組んだグループに最年少で入って、最初に立ったステージは新宿のワシントンホテルでした。でも、デビューというよりはマスコットガール的なスタートで、私の中では部活動に近い感覚だったと思います。私の両サイドにお姉さんたちが数人踊ってオリジナルの曲を歌って、という感じだったんですね。
――仕事っていうよりは、自分がただ好きなことをやってる。
櫻井 そうですね。なんか楽しかったのは覚えてます。
――歌に自信はあったんですか?
櫻井 ありませんでした。だから、人生ってね、ほんの1日、1時間、数分で変わりますね。
レッスンを受けたこともないのにアニメの主演を
――それが中3の頃ですよね。そのあと、あまり時間を置かず、レモンエンジェルとしてデビューします。グループに入る経緯を教えていただけますか?
櫻井 グループに入る子は、グランプリと準グランプリ、もうひとりと決まってたんですけど、そのひとりが入れなくなったんですね。私はオーディションを受けていなかったんですけど、事務所の社長さんのところに話が来たんです。
――プロジェクトの母体となるアニメは「くりいむレモン」の流れをくむ作品ということで、デビュー当初から注目のユニットだったのを覚えています。
櫻井 アニメは深夜番組だったんですけど、視聴率が「さんまのまんま」を抜いたときもあったんですよ!
――急に忙しくなったのでは?
櫻井 忙しくなりましたね。単純にお友達と遊ぶ時間がなくなりましたし、学校でお友達としゃべって遅くなると「どこいってたんだ!」「しゃべっている時間があるならレッスンしろ」みたいに怒られました。体育会系のノリでしたね。
――シングルも速いペースで出していましたから。イベントも多かったのでは?
櫻井 そうですね。ホント、いろんな地方に行かせていただきました。でも、仕事が終わったらすぐホテルに缶詰。夜ご飯はみんなで行ったとしてもホテルの近場でまたすぐに戻ってくるし。みんなで遊びに行くことは一切なかったですね。
――まだ気持ちは部活の延長に近かったんですか?
櫻井 いや、さすがに忙しかったですし、高校生にもなっていたので仕事感覚ではいました。
――仕事は楽しかったですか?
櫻井 楽しかったです。楽しいだけではもちろんないですけど、やっぱり私の中にそういう自分がいたんでしょうね。スポットライトを浴びるのも声援をもらうのもすごく気持ちよかったです。
――レモンエンジェルの活動で苦労したことは?
櫻井 やっぱりアフレコ。レモンエンジェルのアニメに声を当てていましたけど、すっごく難しくて。昔の映像を見ると今では絶対できない!というくらいに棒読みなんですよ(笑)。
――でも、15歳の子がいきなりだったんですよね。レッスンもしたことがなく?
櫻井 なかったんです。それが、「あん」とか「うふん」とか言って、と言われてもね。「ちょっと伸びをする感じで」みたいな指示でしたけど、15歳くらいの女の子には抵抗がありました。こんなはずじゃなかったのに、という気持ちも最初の頃はね。多分、ほかの2人はオーディションを受けているのである程度わかっていたと思うんですけど。私は入ってくださいと言われたとき、ソフトエッチな作品だという認識はあったので、「そういう声はやらないですよね」って言っておいたんですよ。でも、やることになりました(笑)。でも途中からは、「レモンエンジェルってこういう仕事なんだ」って理解できてはいました。
食べ物を我慢できない分、走っていました
――当時のアフレコの様子も教えていただけますか? 絵に合わせて当てていたんですか?
櫻井 絵はついていたりついていなかったりでした。でも、絵がセリフに合わせてくれたと思います。長いセリフはなかったですし、あったとしても口パクのないナレーション的なしゃべりだったので、本当の意味でのアフレコとは違っていたと思いますね。
――やっぱりNGは多かったですか?
櫻井 NGだらけだったと思いますよ。NGというか、私たちが本当のド素人だったので、スタッフの方も大変だったと思います。指導するレベルにないと思ったでしょうね。
――では、声優という仕事を楽しく感じる間もなく?
櫻井 お芝居をするということをなかなかつかめなくて。苦労したというよりはあっぷあっぷだったと思います。
――芸能界に入るとき、演者になるというイメージは持っていましたか?
櫻井 持ってませんでした。漠然とした、歌う人とかアイドルとかそういうイメージだったと思います。グループでも、私が歌担当、もうひとりがおしゃべり担当、もうひとりが演技担当、みたいに得意なところを持ち回りにしていたんですよ。もちろんみんな、一緒に仕事するんですけど。
――では、ステージ仕事のほうが楽しかった感じですね。
櫻井 そうですね。イベントにいっぱいお客さんが来てくれるとテンションは上がりました。やっぱり嬉しいですよね。当時は、カメラ小僧さんもものすごくいっぱいいましたし。「投稿写真」とかあって。パンチラも普通でしたよね? 撮られたらアイドルの仲間入りというイメージがあったくらいで。数が多ければ多いほどやっぱり嬉しかったですね。
――ファンレターやファンからのプレゼントも多かったでしょう?
櫻井 そうそう。「あんぱんが好き」って言うと本当にあんぱんがいっぱい届きました。ただ、当時は高校生でぽちゃっとしてたんですよ。今と体重は2、3キロしか変わらないんですけど、両サイドのメンバーが痩せていたので、すごくぽっちゃり見えちゃうんです。だから、本当はいただいたものを全部食べたかったんですけど……。
――ティーンの時期は太りやすいですよね
櫻井 もうね、ボディコントロールがすごく大変。辛かったー。それに、事務所にもやっぱり怒られました。衣装さんが持ってきた衣装が私だけ入らないんですから(笑)。情けないですよね。でも、1週間後に撮影があるとなると余計食べたくなっちゃうんですよ、ストレスで。だから、事務所の人が見ていないところで食べては、走っていました。食べ物の我慢はできないので。それでも体重が増えていったんですよね。だから、いまだに走ることはやめられないです。
――Twitterにも写真を上げられていますよね。
櫻井 私の場合、走ることが一番ボディコントロールにいいし、やっぱりあのときに戻りたくないという思いがインプットされているんでしょうね。
なんでもない私が違う人物になれるのが楽しくて
――レモンエンジェルが解散すると決まったときはどんな思いでしたか?
櫻井 解散ライブをやる直前にひとり脱退してたので、すでに終わる実感はあったし、終わったほうがいいよね、っていうような気持ちがあったと思います。
――櫻井さんとしては今後どういう道を進む気持ちでいたんですか?
櫻井 正直、ソロにはなりたかったんです。けれども、ソロになっても仕事はないし、低迷してました。「どうしよう? 何もやることがないな」って思っていたときに舞台の話がきたんですよ。
――それが「あしながおじさん」ですか?
櫻井 その前に「イエローサブマリン~スラムの国のアリス」という、「不思議な国のアリス」をアレンジした作品に出演しました。うさぎ役でした。そのとき、お芝居って楽しいかも、と思い始めました。
――何が一番楽しかったのですか? 違う自分になれるとか。
櫻井 まさにそれ! ホント、素の私ってなんでもないんですよ。ぼんやりしてて、自分の意見を出すこともなく。なので、違う人物になれたり、違う世界に行けたりするのが楽しくて。
――その次の「あしながおじさん」もオファーが来たんですか?
櫻井 実は、よく事務所の周りを夜に走っていたんですけど、そしたらミュージカル会社の社長さんが私を見ていたんです。がんばって走っている子がいる、絶対根性がある、って思って、どうやって探し当てたのか、うちの事務所に電話をかけてきたんです。それで会ったら、「僕のこと覚えてないかい?」って。
――怪しい(笑)。
櫻井 でも、私はすぐわかったんです。なぜかというと、走っている途中で「ねえ、君」って声をかけられたことがあったんです。真っ黒のサングラスにパンチパーマでひげを生やした人に。ものすごく怖かったので一所懸命走って逃げて、事務所の人にも「ちょっと怖いおじさんに声をかけられた」って話したんですけど(笑)。だから、すぐに「あっ!」って。それで主役のジュディ役をお願いされました。ありがたいですね。その後、事務所内に劇団が作られて、毎年1、2回は公演をやっていました。
――舞台の仕事が中心の時期ですね。
櫻井 72公演だったかな? で、全国を回りましたし、すごく勉強になりましたよね。舞台の怖さも知れたので。
――何が怖かったですか?
櫻井 やっぱり生というのが。何かひとつを間違えると、演じる人も見ている人も素になっちゃう、という怖さがありました。大失敗したことはなかったですけど。
――そのときの自分を評価するとしたら?
櫻井 結構がんばったと思いますよ。今もたまーに、VHSに録ったものを見返すんです。何がいいというのではなく、すごくエネルギッシュでしたね。そういう役ではあったんですけど。そう思います。
――では、いいスタートでしたね。
櫻井 本当にいい経験をさせていただきました。その後も「若草物語」の三女ベス役や「義経と弁慶」の静御前役といったオファーもいただきました。
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