「アニメであるからにはこうあらねば」という固定観念から解放されたのでは――鬼才・湯浅政明監最新作「きみと、波にのれたら」公開記念インタビュー!

自由闊達な映像と演出で、日本のアニメシーンの最先端を切り開く鬼才・湯浅政明監督による長編オリジナル最新作「きみと、波にのれたら」が、全国で劇場公開中だ。

本作は「夜明け告げるルーのうた」(2017)、「夜は短し歩けよ乙女」(2017)、「DEVILMAN crybaby」(2018)に続く待望の長編オリジナル作品で、海辺の街を舞台にした、消防士の青年・港(みなと)とサーファーの大学生・ひな子との、運命的な恋を描くラブストーリーとなっている。
スタッフには、脚本に「猫の恩返し」(2002)、「映画けいおん!」(2011)、「若おかみは小学生!」(2018)の吉田玲子さん。音楽を「リトルウィッチアカデミア」シリーズ、「夜は短し歩けよ乙女」(2017)の大島ミチルさんが担当。
またキャストには“港”役に、人気ダンス&ボーカルグループGENERATIONS from EXILE TRIBEでボーカルを務める片寄涼太さん。ヒロイン“ひな子”役には、演技派の女優として抜群の存在感を発揮する川栄李奈さんが名を連ねるなど、豪華な布陣が周りを固める。
そんなこの夏一番の注目作について、湯浅監督に制作秘話をおおいに語っていただいた!

「普通のラブストーリー」への挑戦



──「夜明け告げるルーのうた」に続くオリジナル作品になりますね。吉田玲子さんが脚本を書かれていますが、どのようにして今回のストーリーが生まれたのかについて、まず教えてください。

湯浅 「ルー」の流れで、前回の経験を生かしながら、また一緒にやろうということになりました。前回は元々やろうとしていた企画と、その後にみんなで集まってもんでいくうちに変わっていった点がぶつかって、うまくいかなかった部分があったので、今度はゼロから納得しながら進めていこうね、と。最初から異形のものというか、ちょっと変わった相手とのラブストーリーというお題をいただいて、水になった男の子と女の子が再会するという絵を描いたところから吉田さんたちとストーリーを作っていったわけです。
それから「ルー」の時には、ひとつの街とか多くの人々の群像を描くというコンセプトがありましたが、「もっとひとりのキャラクターに感情移入したかった」という反響をけっこう多く聞いたので、今度は主要人物4人にキャラクターを絞って描いてみることにしました。
もともと僕は群像を描きたい人間だと思っていたんですが、よく考えたら自分が好きな映画には、あまり人が出てこないものがあるな、と。「フレンジ?」(1972)は主要人物3人の中で殺人犯は誰だ、みたいな話をやり遂げていたし、「ゴースト」(1990)なんかも4人くらいしか出てこない中で成立しているラブストーリーですよね。そのほうが、自分がやったことがないので楽しいし伝わりやすい可能性もあるのかなと思って、今回はそういうふうに作ろう、と。
 吉田玲子さん、フジテレビのプロデューサー、サイエンスSARUのプロデューサーという女子3人に男1人の4人で本読みをして、話を作っていく感じになりました。

──湯浅監督がこうした真正面からのラブストーリーを描くことに、すごく驚きました。ご自身としては、ラブストーリーというものに対しては、どのように取り組まれたのでしょうか?

湯浅 自分の好みとしては、若いときはまったく観ませんでしたね。サスペンス映画かホラー映画ならともかく、ラブストーリーがあったら除外みたいな(笑)。
ただ、すこし昔の歌ならほとんどが恋とか愛についての歌だし、自分が作る段になると、やっぱりラブストーリーという題材は避けて通れない。なので演出を始めたころはドラマの作り方もよくわかってなかったので、見よう見まねで「ロミオとジュリエット」式に2人が出会って悲劇になればストーリーらしくなるだろう、みたいなところから安直に始めて、いろいろ作品を作ってきたわけです。
その中で思ったのは、もっと普通の恋愛を描きたいなということ。2人だけの慎ましい思い出というか、ドラマチックな展開もない人に話しても全然同意してもらえないような、「2人で楽しかったってこういう感じだったよね」という感覚を、ちょっと描いてみたかった。そういう普通の恋愛をアニメーションで描いて楽しいのかは未知数なので、「これでいいのかな?」とは思いつつ、それほど大恋愛をしてこなかった人でも共感できる時間を切り取るつもりで、今回は作ってみたわけです。

──アニメーション作家としての湯浅監督は、ある種のアート志向というか、どこか大衆的な表現から背を向けて実験的なアニメーション表現を追求されている芸術家肌の監督という評価をされがちだと思うんですが、今回の「きみと、波にのれたら」は、そんなご自身のパブリック・イメージにも大胆に挑戦されている印象ですね。

湯浅 自分では意識したことはなかったんですが、今回の作品は少し今までとは違うところかもしれません。登場人物もぎゅっと絞って、ストーリーもシンプルにして、主人公ひな子の彼氏になる港以外には、「ルー」のようなファンタジー要素も封印しました。
絵作りの面でも、これまではアニメーションの力で勝負する意味で極力ピントやフォーカスを使わない感じでやってきてたんですけど、それをあえて使ってみるとか、より線を増やして背景をきっちり書き込むとか、むしろアニメであることをそんなに意識しなくても見られる感じを目指しています。

「波にのる」モチーフに込めたもの



──そこで「波にのれたら」というタイトルにもあるように、サーフィンという題材が選ばれた理由についても、おうかがいできますか?

湯浅 あれこれ話し合う中で、まず女の子を主人公にしてサーファーにしようと思いました。僕としても、これまで作ってきた作品をご覧になったことがないような未知の人たちと出会いたいという気持ちがあったので、たぶん自分から一番遠く、イケてるように見える存在がサーファーなのかなと(笑)。もちろん、港の消防士という仕事も絵が難しそうで避けていたものですし、そういう世界を知りたくて、サーファーと消防士のカップルという設定をしていきました。
いろいろ取材をするうちに、サーファーの方にもさまざまなタイプの方がいるのがわかりました。例えば最初に話を聞いた方は、みんなでガチで乗る波を取り合っていくような戦いには入りたくなくて、ひとりで楽しくサーフィンしていたいというタイプ。意外とイケイケな人ばかりではなくて、のんびりやってる方もいるのかなという感触があったんですね。
そういうことも踏まえて、吉田さんからはひな子を自分に自信のない子にしたらという感じが出てきて、何でもできる港くんが引っ張っていく感じがいいんじゃないかと思っていました。

──港くんは、今時の女子が憧れそうな要素をすべて備えた完璧超人ぶりがすごいですよね。あのキャラクター造形は、やはり吉田玲子さんら女性陣が中心になって?

湯浅 本読みは女性のほうが多かったので、どう感じるかを聞きながら考えて言った感じですね。完璧なようでどっか抜けてる部分もあって、何でもできる完璧さは外からの見方であって、一見して自信がなさそうなところは見せなくても、みんなどこか必ず自信がない部分を抱えていることになりました。物語に出てくる4人とも実は全員が、自信がない者たちで、お互いがお互いに助けられた記憶を持っているというふうになっていった。誰もが誰かのヒーローであるというのは、ずっとやりたかったテーマだったので、4人が4人とも自分に自信がないけど気づいていないだけで誰かのためになっているのはいいなと思って、それを意識して作っていきましたね。

──なるほど、特にアニメ好きな文化系の人種からするとサーファーというとイケイケな印象があるわけですけど、その先入観を捨てるところからドラマの軸ができていったと。

湯浅 はい、僕は映画「桐島、部活やめるってよ」(2012)をおもしろく観たんですが、「一見悩みのなさそうに見える人気者でも悩みがあったんだ!」ということが年とってから聞いてみるとわかりますよね。子供の頃は「あいつみたいな立場や能力に替わったら、絶対幸せになるはずなのに」と思いがちなんですけど、実際なったらなったでその人なりの悩みがあるんだということが見えてくる。
ひな子の場合は、サーフィンは逃げ口になっているんですね。就職とか進むべき道が見えない中で楽しいモラトリアムにはなっているけど、でもガチにサーファーとして食べていきたいわけでもない。自分が何者なのか、何をしたいのかがわからない中で、外に出ていけない感じになっていて。
逆に港は、今でこそひな子とは対照的に、立派にがんばって自己確立していそうな立ち位置にいるけど、実はそうではなく、悩みや不安を抱えている。自分が失敗してるところを人に見せたくないとか、いろいろあると思うんですけど、基本的にはそういうがんばっている人たちを応援したいっていう気持ちがあって、気持ちよくもっと気軽に波に乗れたらいいのになっていうふうに思うところから作品を作っていきました。

「サーフィン映画」としての「きみ波」



──映画としてサーフィンを描くうえで、何かインスピレーションとなったものはありますか?

湯浅 僕が小さいころは名作「ビッグ・ウェンズデー」(1978)とか、「カリフォルニア・ドリーミング」(1978)の海外サーフィンのイメージがあって、それから大学生くらいの頃には、ホイチョイ・ピロダクションや対向の北野武さんの映画「あの夏、いちばん静かな海。」(1991)とか、日本のサーフィン映画も観ていました。
実際、先程も言ったようにサーファーにもいろいろな人がいて、「ハートブルー」(1991)みたいに波に対してすごく哲学的な信念を持ってやってる人もいれば、会社に行く前に友達と早朝1、2時間乗ってから行く、みたいに日々の生活の中にサーフィンが溶け込んでいる人もいる。
ショートボードとロングボードで滑り方が違うとか、ぽかんと海中で浮かんでるだけでも外界とは違う世界なのでそれだけでも楽しいとか、いろいろ話を聞くうちに僕もサーフィンに興味を持って、ちょっと素敵かもしれないと思いました。ロングボードでゆっくり乗ったりするのを見ていると意外と性に合ってそうな気がして1回体験練習に行ったんですね。
そんなに泳げないし、体調も悪かったので「これはたぶん死ぬ」と思って水には入らなかったんですが(笑)、いつかやってみたいと思うようになりました。老後はサーフィンだなって。

──なるほど、今回フジテレビが製作に入っているあたりも、ホイチョイ・ムービーからのマリンスポーツ映画の系譜を湯浅監督なりに消化して打ち返している印象があるんですが、そのあたりはいかがでしょうか。

湯浅 まあ、バブル時代のサーフィンのイメージは、自分は経験していないけどテレビや映画で間接的に接した空気という感覚ですね。それとはちょっと違う、もう少し等身大の感じで描ければいいなと思っていました。そういう華やかなイメージの一番対極にあるサーフィン映画が「あの夏、いちばん静かな海。」で、それは大好きだったんですが、そういうニュアンスも含みつつ、それとも違った重くなりすぎないサーフィンの描き方をしたのが、この作品だと思います。

──サーフィンをめぐる舞台設定ですごくおもしろいと思ったのが、基本的にひな子たちの生活圏になっているのは千葉の海ですよね。でも、ひな子と港が最初にデートに行くのは湘南の海じゃないですか。この劇場(げきば)設定って、どんなふうに考えられたのでしょうか。

湯浅 千葉の海って、本当にサーフィンに特化していて何もないんですよね。大きな波が来るのでサーフィンに適してるというか、けっこう荒くてデートにするような感じじゃない。いっぽう、湘南のほうはもっと穏やかな波ところもあって、港のような初心者がうまく始められるということですね。
ただ、ひな子は自転車なので、湘南には自分では行きたくても行けない。港の車があることによって、カフェとか湘南のおしゃれな場所にひな子を引っ張っていくみたいな感じになればいいなと思って。それぞれの場面の海が、たとえば海水浴もできてサーファーもいるところといったように、どこの海岸かというのも設定してあります。

──同じサーフィンをする海でも、ロケに基づいて日常と非日常を分けられているわけですね。先程のサーファーにもいろいろな姿勢の方がいるというお話や、サーフィン映画についての記憶の振れ幅が、この千葉と湘南の関係で表現されている気がします。単純に移動のシーンで、カップルの何気ない空気感を描けるデートムービー感がすごかったですし。この両方の土地を、港くんが憧れるカフェで結びつけるのも巧みだったと思いました。

湯浅 そうですね、港はそういうカフェ巡りが好きなタイプじゃないかと言ったら、吉田さんが「それはいいと思う!」って乗ってくれたので取り入れたんだと思います。

「夜明け告げるルーのうた」からの継承と変容



──そこで改めて本作のアニメーション表現に着目すると、前作「ルー」から「水」と「火」、それに「歌」という3つのモチーフが共通しているわけですが、「ルー」から「きみ波」への流れの中で、何を引き継いで何を変えようと思ったのか。それぞれの表現要素に即して伺えればと思うんですが。

湯浅 海は不思議で、「ルー」の時は海を生命の源でありながら、人間が生きることができない死の世界の象徴として描き、ルーが操る水はそれを超越するファンタジーでした。「きみ波」も、港の水は生き死にを超越する役割を持ち、海は生死の世界であるという描き方をしています。そして今回は波に着目して、サーファーたちがそうであるように波を人や出来事にたとえ、それに乗ったり、乗り損なったり、乗り越えたりすることに意味付けながら作っていきました。
いっぽうの「火」については、前回は太陽と水の対比で出しましたが、今回は悲恋ものの定番の相容れない境遇ということで、水を操るサーファーの子に対する、炎の専門家の消防士という設定になりました。また、消防士が水の力を使って火を消していく。そのときの水が水蒸気になって泡になって消えていくことで、2人の想いが昇華されていくという表現にもなるという感じで。

──まさに水と火の相剋が、それぞれのキャラクターの感情表現と見事に結びついていますよね。その2人をつなぐのが歌じゃないですか。「ルー」のときも歌によって不思議なことが起こりましたが、今回は2人がつながる歌の力によって、ひな子の元からいなくなった港が復活してくるというファンタジーが「ルー」の時から受け継がれていますね。

湯浅 音楽もまたフィーチャーしていこうという話は最初からありました。今回の歌の使い方としては、過去の記憶と結びついたものにしています。もともとは港の思い出の曲なんですが、港がある意味いたずらな感じでかけたことで(笑)、ひな子との2人の思い出の曲になって、後追いでひな子が歌の意味と秘められていた記憶を知っていくという仕掛けですね。

主題歌/劇中歌「Brand New Story」をめぐって



──主題歌でもある劇中歌「Brand New Story」が、本作では本当に何度も何度も印象的に歌われるんですけど、この曲はどんなふうにできたのでしょうか?

湯浅 ストーリーを考えていくのと合わせて、最初にこういう歌詞になるといいなみたいな案を出してたと思うんですけど、ちょっと覚えてないですね(笑)。上がってきたのは、ストーリーの内容をかみ砕いてもらった、いかにも青春ヒットソングという曲でよかったです。

──なんというか、この歌は劇中での歌い方も含めて、ファンタジックな不思議現象のキーにするにはすごく俗っぽいというか、ありふれた感じのポップソングに寄せてきたな、という印象でした。従来のアニメ映画の演出レパートリーだと、もっとディズニー的に歌い上げるミュージカル風だったり、郷愁を誘う童謡風だったり、あるいは神秘的な調べの民族音楽風にして、特別感のある楽曲にしてしまうと思うんですよね。そうではなく、普通にサーフィン好きの若者が聞いてそうなGENERATIONSの主題歌にして、若者世代にとってのちょい懐メロという位置づけにしている点にも本作の姿勢が出ていると思うんですが、いかがでしょうか?

湯浅 まあ、普通に浜辺で流れていたヒットソングということですよね。何か曲や歌詞に2人を結ぶような特別な意味があったわけではなく、大きな出来事があった時にたまたまその曲が流れていたことで、彼らの中で後から特別になった曲という描き方にしました。実際にはその後の2人のストーリーが描かれているので、港からひな子へのラブソングとしてエンディングで聞いてもらえるといいなと思います。

──「Brand New Story」については、ひな子と港がカップルとして「普通」の恋愛を楽しむ日々のディテール描写に重ねて、2人で一緒にふざけながら歌っている歌を流す前半のシーンが、生っぽい恋人同士の空気感が凝縮されていて非常に素晴らしかったです。あれは収録現場で港役の片寄涼太さんが出されたアイデアだったとプレスシートに書かれてたんですが、そのへんをもうすこし詳しく教えていただけますでしょうか?

湯浅 予定では口ずさむのシーンは2回あって、それぞれひとりずつ歌ってもらうつもりだったんです。収録当日はまず片寄さんが歌って、ひな子役の川栄李奈さんも待機していて次に歌う順番を待っていました。それで片寄さんには「じゃれあって歌ってるようなラフな感じで歌ってほしい」というオーダーをしたんですが、「それなら2人で歌うのはどうですか? もともとひとりで歌ってる歌じゃないですし、2人のほうが感じ出るのでは」と提案してくれて、それは全然アリだなと思って。なのでもう片方のシーンでは劇伴を流すことにして、2人で歌うパターンを録ってみたんです。
実際、歌い始めると片寄さんが川栄さんをうまくリードしてくれて、本当に目指していた他愛もない2人が等身大で楽しんでいる表情の声が、ほぼ一発テイクで録れたんですね。
過去の映画の中でも、こういうシーンはなかなかないんじゃないかな。この映画の中でも、一番斬新なシーンだと思います。

──本当にそうだと思います。他にもシーン作りでおもしろかったのは、中盤に港くんが歌に応じて水の中に現れるようになってから、ひな子ちゃんが水入りビニールのスナメリを常に持ち歩くようになりますよね。その奇異な様子が一見コミカルに描かれているわけですが、あれは周囲から見ればホラーチックな絵面だよ、という視点も伝わってくる気がしました。

湯浅 そうですね。考えてみれば地縛霊みたいな存在ですから、終盤にもっと普通じゃない絵面が入ってくるまでのつなぎとして、そんなネタも入れてみました。若い恋人同士なら触れたいだろうという感情をどう表現するかの意味も含めて、ああいうビニールのぬいぐるみの中に入れて持ち歩くみたいな、ちょっとありえないシーンがあってもいいよねと。

アニメーションで「映画」を作るということ



──ここまでのお話で、いろいろな実写映画の名前が出てきたのが印象的でした。もしかすると湯浅監督としては、本作はアニメ映画というよりも日本映画として作ろうという意識がおありだったのかでしょうか?

湯浅 いや、そこまでのつもりは特にはなかったです。ただ、前作の「ルー」の場合はむしろ逆に、アニメーションならではの表現を追求しようとする部分が強かった。そこからすると、今度のほうが「アニメであるからにはこうあらねばならない」という固定観念にとらわれない作品になってるのではないかと思います。

──だとすると、実写ではなくアニメーションという表現を選ぶ理由については、湯浅監督はどのようにお考えでしょうか。

湯浅 なぜ自分が小さい頃からアニメーションが好きだったのかを考えていくと、かつては現実というものがわかりづらかったので、現実とはかけ離れた部分がおもしろいと思っていました。ただ、自分が大人になって設定の仕事とかをやり始めると、「ああ、世の中ってけっこうおもしろいんだな、そのおもしろいところがアニメに入ってたんだな」と、現実のおもしろさを要約して抽出しているところにこそ、アニメーションの絵のよさがあるのかなというところに気づけてきたんですね。
たとえば実写で人間を撮る場合、歩いたり食べたりといった現実の生活でやっている身体の動作は、特別な計画なしにできますよね。そのうえで、お芝居の問題とかカット割りの問題が映画としての表現になっていくわけですけど、アニメの場合はそうはいかない。ただ歩かせるだけでも、わざわざ描かなければいけなくて大変なので、現実の人間なら何でもない「普通」の動作をさせるだけでも、それが表現として意味を持ってしまうんです。
なので、その部分から現実を計画的に要約・抽出する必要がある点に、アニメーションの醍醐味があったわけですね。実写の場合は逆に、いざ撮ってみると計画しきれないハプニングがいっぱい絵の中に入ってくるので、現場でできることが限られている中、それをどう乗り切っていくかみたいな楽しさがあるわけですけど。

──つまり今回の「きみ波」は、だいぶ実写映画寄りの題材や設定の中、湯浅監督が培われてきたアニメーション表現の力によって、現実の人生では見過ごしてしまいがちな「普通」のおもしろさを計画的に描き出そうという挑戦になっているわけですね。

湯浅 はい。観てくれた方が、映画を通じて「へー、そうなんだ!」と現実のおもしろさに気づいてくれるといいなと思います。

人生の大波に乗るために



──そして、クライマックスのシーンは圧巻でした。この記事が出るのは映画公開直後なので詳しくはネタバレできませんが、序盤から積み重ねてきた波や炎の表現と、登場人物4人それぞれの心情や行動原理の変化が、ある建造物で起こる事件の中で非常に高度に結びついて、怒濤のカタルシスにつながっていきますよね。このシーン設計は、どのようにされたのでしょうか?

湯浅 サーファーと消防士の話ですから、最後はやはり火事の現場だろうというところには自然にたどり着きましたが、どうやったらクライマックスにふさわしい大火事が起こるだろう、ということから考えていきました。そこで防火学が専門の大学教授にも相談してみたんですが、今の日本の一般的なビルなどの建物だと意外と燃えるところが限られていて、全体が燃えるということはほぼないそうなんです。海外の大火事のケースなんかも探したんですが、日本ではもう使ってないような素材だったりとかで、リアリティ上は非常に難しい。
では、そこに何があれば大きく燃えるだろうという発想になって、以前に聞いた世界一大きなクリスマスツリーを作ろうというニュースなんかも手がかりにしながら、ああいう構造物を考えてみたわけです。

──なるほど。さすがにあそこまでのものは現実にはないでしょうから、アニメのファンタジーとして入れ込まれていったわけですね。

湯浅 そうですね。どんなに大きくとも30数mくらいだったかな? なのでビルのサイズも厳密に何階建てとは決めず、あえてあやふやに描いています。そこに人が入り込んで、ひな子と港の出会いのきっかけになった序盤と同じ事件が起これば、一気に燃え上がっていくという状況が作れるかなと思いました。
あとは普通の消防ではできない消火の仕方を考えつつ、なおかつそこにサーフィンをからめられるようなシチュエーションを、いかにギャグにならないように作っていくかという検討をしていて、最終的にああいうシーンになりました。

──本当、まずアニメーション表現として大迫力でしたし、それが人物の感情と緊密に結びついていく脚本と演出のマッチングがすごい。この場面までの演出は極力、ひな子たちの身の丈レベルのディテール描写とか心の成長にフォーカスしてきたと思うんですけど、ここから一気に湯浅監督らしいダイナミックなイメージの奔流の解放感が、とにかく素晴らしかったです。

湯浅 最後のスペクタクルはかなり荒唐無稽な表現になったので、そこで「あれ?」って思われるんじゃないかが心配だったんですけど、意外にみんな素直に受け入れてくれたのは、ありがたかったですね。そこで感じていただいた解放感というのは、なりたくてもなれない自分とか、恋人との別れとか、誰もが直面する人生のどうにもならない部分に対して、それでも立ち向かってみたときに起こる、自分の中での爆発的な変化のことなのかなという気がします。
ぶんそれは、ビルを燃やし尽くすような火事さえ押し流し尽くしてしまうくらいのデカい何かであるはずで、そういうものこそが映画の最後にふさわしいと思って描きました。大げさと言えば大げさなのかもしれないですけど。

──まさに、人生の波に乗るというテーマが、これ以上ないくらいにアニメイトされていたクライマックスシーンだったと思います。湯浅監督にとっても本作は、劇場長編初監督作品「マインド・ゲーム」(2004)から最近作「DEVILMAN crybaby」にかけて確立されたエッジの立った路線から、新たな波に乗ってみた一歩だったのでしょうか?

湯浅 まあ、「デビルマン」自体もポピュラーな人気のあるタイトルでしたし、より間口の広い作品づくりを目指すこと自体は、少しずつやってきたつもりでした。 今回の「きみ波」が他の作品と違うとすれば、やはり先程話した何気ない「普通」への着目とか、集まってきたスタッフ陣の力との化学反応があってのことだと思います。そうした中で、どうしたら届くのかを考えながらボールを投げ続けているつもりですが、いつもより大きく腕が振れたなと思っていますね。

──はい、いまのアニメーションは、こんな映画も描けるようになったんだという可能性を、つよく感じさせてくれた作品だと思います。

湯浅 ありがとうございます。だといいなと思います。


(取材・文/中川大地)

【作品情報】※敬称略
■「きみと、波にのれたら」

6月21日(金)、全国ロードショー!

<ストーリー>

大学入学を機に海辺の街へ越してきたひな子。
サーフィンが大好きで、波の上では怖いものなしだが自分の未来については自信を持てずにいた。
ある火事騒動をきっかけに、ひな子は消防士の港(みなと)と出会い、二人は恋に落ちる。
お互いがなくてはならない存在となった二人だが、港は海の事故で命を落としてしまう。
大好きな海が見られなくなるほど憔悴するひな子が、ある日ふと二人の思い出の歌を口ずさむと、水の中から港が現れる。
「ひな子のこと、ずっと助けるって約束したろ?」
再び会えたことを喜ぶひな子だが…。
二人はずっと一緒にいることができるのだろうか? 港が再び姿を見せた本当の目的とは?

<スタッフ>

監督:湯浅政明
脚本:吉田玲子
音楽:大島ミチル
キャラクターデザイン・総作画監督:小島崇史

出演:片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)、川栄李奈、松本穂香、伊藤健太郎
主題歌: 「Brand New Story」GENERATIONS from EXILE TRIBE(rhythm zone)

アニメーション制作:サイエンスSARU
配給:東宝


<キャラクター>
●雛罌粟 港(ひなげし みなと):消防士。21 歳。
正義感が強く仕事でも信頼されている。器用で何でもそつなくこなすように見えるが、実は人一倍努力家。

●向水 ひな子(むかいみず ひなこ):大学生。19 歳。
サーフィンが大好きでその腕前もかなりのもの。明るくあっけらかんとした性格だが、自分の未来については自信を持てずにいる。


(C)2019「きみと、波にのれたら」製作委員会

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