【実写化映画、大検証!】第2回「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」──賛否両論の実写版ジョジョは最重要テーマ「世代を越えて受け継がれる意志」を正しく再現していた!?

空前のアニメブームを迎えている令和・ニッポン。実写映画の世界でも、アニメ原作、漫画原作モノが以前にもまして存在感を増しつつある。

そのいっぽうで、アニメ原作、漫画原作モノ実写映画というと、「あ~、実写化ね……」というある種の残念な印象を抱いている方も多いのではないだろうか。

しかし! 本当にアニメ、漫画を原作とする実写映画はガッカリなものばかりなのだろうか!? 周りの意見に流されて、ろくに本編を観ないままイメージだけでネタにしてないのかい!?

ということで、全3回にかけて、過去に物議を醸したアニメや、漫画原作モノ実写映画を再評価してみたい。

2回は、第6部「ストーンオーシャン」第2クールの放送・配信が控えている「ジョジョの奇妙な冒険」の実写映画「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」(2017年公開)だ。

第2回 ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章

「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」は「ジョジョの奇妙な冒険」第4部の実写映画版だ。

「ジョジョ」は人気の高いシリーズだが、映画やアニメといったメディアミックスが難しい作品でもある。各部の繋がりが深く、過去のキャラクターや因縁が重要な役割を果たすからで「独立して楽しむことはできるけれど、100%楽しむなら最初からすべて読んだほうがいい」という状態が、メディアミックスの障害となってきた。過去には第3部の要所のみがドラマCD化されたり、第3部のクライマックスからスタートするOVA化が行われているが、こうした「奇妙なメディアミックス」には「ジョジョ」ならではの事情があったわけだ。

そうした中、特に第3部との繋がりが深い第4部を実写映画化するのだから、この「ダイヤモンドは砕けない 第一章」は困難なプロジェクトと言えるだろう。単行本の第29巻~30巻の19話分(第4部開始~バッド・カンパニー戦、「空条承太郎! 東方仗助に会う その1」~「虹村兄弟 その10」)を119分にまとめたうえで、「ジョジョ」初体験の人にも楽しめるようにしなければならないわけで、原作のどこを削り、どこを採用するかについての苦労が見て取れる。

「ダイヤモンドは砕けない 第一章」を言語化するのであれば、「原作の序盤部分を注意深く再構築した作品」といったところだろうか。主人公・東方仗助は、精神から引き出される特殊能力、擬人化された超能力である「スタンド」の持ち主「スタンド使い」。同じスタンド使いであり、甥にあたる空条承太郎とともに、スタンドを悪用する猟奇犯罪者・片桐 安十郎(アンジェロ)や、とある目的でスタンド使いを探す虹村兄弟に立ち向かうこととなる。

本作でピックアップされるのは、原作ではあまり出番がなかった仗助の祖父・東方良平。街を守るために粉骨砕身する、地域密着型の警官だ。原作では台詞でのみ言及されていたアンジェロとの因縁が、映画前半の縦軸となる。この意外なピックアップに加え、仗助、アンジェロ、虹村兄弟を“父”というキーワードで繋ぐ、原作のアレンジが面白い作品なのである。


まず注目すべきは、「スタンドとは何か?」という「ジョジョ」最大の説明をしつつ、原作の時系列を再構築したところだ。これは、後述する「原作通りじゃない」「なんでアンジェロが主役みたいな扱いなんだ」「ジャンルが違う映画を見せられているようだ」というとまどいにも繋がるが、苦心のアレンジであろうことがわかる。

スタンドとは「精神の力」であり、端的に表現すれば「擬人化された超能力」「守護霊のようなもの」である。超能力、たとえば念力は手も触れずにものを動かす。しかし、スタンドの場合は、主人のそばに立つ守護霊的な存在(スタンド)がものを手でつかんで動かしてくれる。そして、スタンドはものを動かすだけでなく、時間を止めたり、触れた者を癒したり、水を操ったりと、能力も多彩である。さまざまな能力を持つスタンドを操る、スタンド使いの戦いが「ジョジョ」の魅力のひとつであるわけだ。

「スタンドとは何?」「スタンドはどのようにして手に入る?」「スタンドを手に入れた人に何が起こるの?」という、「ジョジョ」を読まない人にとって最も理解が難しいがゆえに大切な部分だけに、説明を省略するわけにはいかない。

原作では、この説明は第3部冒頭ですでに終了しており、新たにスタンドに目覚めた主人公・承太郎を通してスタンドのルールが語られている(スタンドについて知識がなかった承太郎は、最初はこれを悪霊と呼び、コントロールの方法もわからないので自分を隔離した)。スタンドというアイデアは斬新だが、超能力もので大切になる、「普通の人間だった主人公が、超能力を手に入れた時の反応を描くことで、読者に感情移入させる」という定石はしっかり押さえられているというわけである。

とはいえ、映画では第3部冒頭を長々と回想するわけにはいかない。「それぞれの部は独立して楽しめるけれど、100%楽しむなら最初からすべて読んだほうがいい」という「ジョジョ」特有の事情だ。原作第4部では、映画の後半にあたる部分で仗助の親友・広瀬康一がスタンドに覚醒する部分で説明しているが、そこまで説明を保留し続けるわけにもいかない。

ここで出番となったのは、なんと悪役であるアンジェロだ。虹村形兆に謎めいた「弓と矢」で射られてスタンド能力に覚醒。悪事を働きながら仗助が住む街に現れ、スタンド使い同士の対決となるのである。

そのため、映画の序盤はアンジェロの出番が多く、猟奇犯罪もののような色彩を帯びる。「ジョジョ」ファンからすると「原作通りじゃない」「なんでアンジェロが主役みたいな扱いなんだ」「ジャンルが違う映画を見せられているようだ」ととまどうのもわかる。

なら、主人公・仗助がこの役をやるべきかというとそうもいかない。原作では、登場時にスタンドに覚醒しており、とまどうことなく能力を使いこなす“ヤバいニューヒーロー”としてのインパクトが強烈だったので、彼がスタンドに目覚めた瞬間ととまどいを映画オリジナルで描写するようなことがあれば、それこそ「原作通りじゃない」となるのである。

そして、映画ではアンジェロと良平の因縁がピックアップされ、良平と仗助の日常が多く描写される。良平が皆から頼りにされている様や、懸命に努力する姿が原作よりも多く描かれており、こちらも原作ファンが「人情ものの邦画みたい」「原作通りじゃない」ととまどう理由のひとつになっていると感じられる。

こうした描写は原作コミック通りではないが、そこで描かれるのは原作でも重視される「世代を超えて受け継がれる意志」というテーマだ。

良平がアンジェロに殺害されたことから、仗助はその意志を受け継ぎ、街を守ることを決意するが、良平と仗助の日常が多く描写されることで、説得力と感情移入が深まっている。「世代を超えて受け継がれる意志」という「ジョジョ」全体のテーマ、そして「不良少年が街を守るために人知れず立ち上がる」第4部の構造が、よりわかりやすくなっているとも言えるだろう。


いっぽう、スタンドがからんだアクションやバトルについては、原作を正しく再現したものになっている。「不良にからまれた仗助がこれを撃退しつつ、巻き込まれた亀をスタンド能力で治してやる」というシーンこそないものの、各バトルの流れはおおむね原作通り。

「水に紛れて侵入してきたアンジェロのスタンドを、クレイジー・ダイヤモンドの物体を直す能力を生かした奇策で捕獲」「空間を削り取るスタンド、ザ・ハンドの能力が炸裂。『立入禁止』の看板が削られて『立禁止』になる」などなど、印象深いシーンはちゃんと映画に出てくるのが嬉しいところ。

特に形兆のスタンド、バッド・カンパニーは「GIジョーのような小さい兵隊たちがヘリや戦車で武装し、秩序だった動きで襲ってくる」という代物だが、CGによってその不気味さが強調されている。兵隊たちに銃撃され、針で突かれたような無数の弾痕から血が出る際の描写などは、実写+CGの情報量により、チクチクとした痛みが伝わってくるかのようだ。

もちろん、すべてが原作通りに再現されているわけではない。キャラクターたちの衣装は大幅に簡略化されている。仗助は原作初期だと身長2メートルくらいありそうなイメージだが映画だと小さく感じられるし、逆に康一の場合は原作より身長が高すぎるように見える。原作では若々しい承太郎も映画だと頬がこけているし、形兆役の岡田将生さんはいい感じに上品かつ美形なので、形兆というよりは第3部の花京院のほうに似ている。サイコ系カノジョである山岸由花子は康一への偏愛を見せるものの、スタンド使いとしての対決が描かれないため、原作を知らない人には「このキャラ、なんのためにいるのかわからない」状態。

おまけに、シリーズで最も重要なキャラクターであるDIOは、映画版では存在を抹消されている。このあたりの改変を列挙するときりがないが、全て原作通りにするとどれだけ時間があっても足りないという、大河連載ゆえの事情だ。


キャスト陣の外見については、原作主義者の筆者であってもしばらくすると慣れた。熱演はもちろんのこと、仗助や億泰の後頭部にあるアンテナのように跳ねた髪や、承太郎のトレードマークである、後ろ髪と一体化した帽子が再現されている芸の細かさもあり、「これはこれでアリ!」となるのではないだろうか。

個人的に注目したいのが、原作の再構築とファンサービスだ。たとえば、「良平の死後、仗助は良平が集めた街の事件ファイルを見る」という映画オリジナルのシーン。そのファイルには、杉本家で起きた惨殺事件と、そこから辛うじて逃れ「鈴美おねえちゃんが逃がしてくれた」と繰り返し供述する4歳の少年のことが書かれている。良平はこの事件の犯人を捕まえられなかったことを悔やみ、街の警察官として骨を埋めることを選んだという。

これは言うまでもなく第4部のラスボスである吉良吉影が起こした事件であり、4歳の少年とは、NHKの実写ドラマでもおなじみのスタンド使い漫画家・岸辺露伴のことだ。良平が捜査に関わっていたというのは映画版オリジナルの設定ではあるが、原作とは矛盾せずに良平のキャラクターを立て、仗助と吉良の因縁も強化する、よい改変と言えるだろう。

仗助と母、そして良平が食卓を囲むシーンも映画オリジナルだ。ここで良平は仗助に対し「お前は13年前に死にかけたが、今は無事に生きている。周囲に生かされているようなものなので、感謝を忘れるな」とさとすと、仗助は自分の頭を触りつつ感慨にふける。こちらも言うまでもなく、原作後半に描かれた、仗助の精神的原点にまつわるエピソードを取り上げたもの。仗助は13年前に高熱を出して生死の境をさまよったが、リーゼントの学生に助けられ、彼に憧れて髪型を同じにしている。温厚な仗助が髪型をけなされるとプッツンキレるのは、このエピソードが理由なわけだ。

原作を知らない人が映画を見てもよくわからないとは思うのだが、仗助というキャラクターを深彫りするうえでは重要な部分であり、原作へのリスペクトが感じられる。細かい部分ではあるが、康一がBMXで登校するのは、映画化された部分の続きとなる玉美編(ザ・ロック)を受けてのこと。また、仗助の母が行こうとするレストラン「トラサルディー」は、後に登場するスタンド使いの料理人が経営する店である。いずれもファンならニヤリとできるサービスだ。

そして、映画版ではアンジェロ編~形兆編を一気に見るわけだが、「アンジェロが自分の父を恨んでいる」という映画オリジナル設定を加えたことで、「父」という新たなテーマが強調されている。父のせいで自分は犯罪者になったとうそぶくアンジェロ。父不在の家庭で育ち、父代わりだった祖父を失った仗助。怪物化した父を殺して救おうとし、これを成し遂げることで初めて自分の人生が始まると叫ぶ形兆。元々の形兆編にあった父というキーワードを仗助と強く結びつけ、アンジェロにオリジナル設定を加えることにより、父というものに対する三者三様の関わりが浮き彫りにされている。

そして父とは息子に何かを受け継がせるもの。前述の通り「世代を越えて受け継がれる意志」とは「ジョジョ」における重要なテーマでもある。いかにも邦画的と感じる人もいるかもしれないが、原作に対してのひとつの解釈と言えるだろう。

そういう意味においては、「ダイヤモンドは砕けない 第一章」は原作をきちんと再構築した作品である。印象的な台詞やシーンの中に映画で使われないものがあるのは原作ファンとして残念ではあるものの、「ジョジョ」の中でも、特に途中からエントリーするのが難しい第4部を再構築したという意味では評価されるべき作品と言えるだろう。映画のラストでは、ラスボスである吉良の登場もほのめかされている。第一章に続く作品を同じスタッフで見てみたいと、改めて感じた筆者であった。

(文/箭本進一)

【商品情報】
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(c) 2017 映画「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」製作委員会
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