70年代ロボの再生に重ねる、我が人生と人の世と……。鬼才のプラモデル作家、タンゲアキラさんに会ってきた【ホビー業界インサイド第83回】

ロボットのプラモデルといえば、誰しも真っ先にガンプラを想起すると思うが、ガンプラが登場する前の1970年代のロボットたちを覚えているだろうか? バンダイ製の「ゲッターロボ」や「超電磁ロボ コン・バトラーV」などのプラモデルは動力やギミックを重視した不格好なものばかりだったが、あえてその雰囲気を損なわず、ぎっしりと精緻なディテールを加えた作品をつくり続けている異色のモデラーがいる。それが、タンゲアキラさんだ。
タンゲさんのプラモデル作品は近年、「週刊実話ザ・タブー」や「昭和少年カルチャーDX」(おおこしたかのぶ著・辰巳出版)などにカラーで紹介されているため、目にした方も多いのではないだろうか? 今回は、タンゲさんご本人に会うことができたので、「なぜレトロなプラモデルにこだわって作るのか」、直接うかがってみた。

好きなところは好きな方法で作り、嫌いなところはバッサリと切り捨ててもいい


──タンゲさんは本名で、フルスクラッチ作品を作っていた時期もありますよね。もう20年以上前のことだと思いますが……。

タンゲ ええ、「B-CLUB」(バンダイの刊行していた情報誌)などの表紙で使う作品を依頼されて作っていました。だけど、プラモデルはずっと趣味ですね。依頼されて作ったことはありません。

──子どものころから作っていたのですか?

タンゲ 家が貧乏だったので、超合金などのオモチャを買ってもえらなかったんです。プラモデルなら、オモチャよりは安いですから、それで買ってもらえたんです。色はパクトラタミヤという塗料を使って塗っていました。ガンプラが発売されたのは私が中学校に入ったぐらいだったので、小学生のころに作っていたのは「ゲッターロボ」のゲッター3とか、いちばん気に入っていたのは「コン・バトラーV」ですね。あの時代のプラモデルを見ると、「当時の技術でよくここまで製品化したなあ」という愛おしさを感じますし、あの頃の自分は思いどおりに作ろうとしてもうまくできなかったよなあ……という気持ちにもなります。「宇宙戦艦ヤマト」のプラモデルは本体の下部にゼンマイが付いていて、それを切り離すのがうまくいかなかったなあ、とかね(笑)。



──それにしても、タンゲさんの作品はどれもすさまじいディテール表現ですね。

タンゲ いや、ロボットのディテール表現なんて、ほかにもっと上手な人がいっぱいいますよ。ネットにはもっと腕のいいモデラーがいるのに、私が注目されるのはおかしいと思っています。プラモデルに関するそうした技術の話って、人に教えることで情報として価値を持つわけですよね。その情報が、ネットの世界ではうまく回っているように思います。だけど、私は世界に情報を伝えることに興味がないので、その輪の中に入ってないんです。

──タンゲさんの作品は、「ゲッターロボ」シリーズのようにモーターや電飾で動いたり光ったりする作品も多いですよね。それはどうしてですか?

タンゲ オモチャが好きだからです。逆に、ジオラマとかは作ろうと思いません。リアルな汚し塗装なども、やりたいとは思わないですね。現実感にはあまり興味がないんです。ジオラマや汚し塗装のうまい人にとっては、この現実世界とプラモデルの世界が地続きなんだと思います。私の場合は現実感は必要なくて、なるべくこの世界との接点が少ないほうが好きなんです。「アイゼンボーグ」って番組、知ってますか?



──円谷プロダクション制作の「恐竜大戦争アイゼンボーグ」(1977年)ですよね。

タンゲ ええ。「アイゼンボーグ」は恐竜やメカの出てくるシーンは着ぐるみやミニチュアを使った特撮なんですけど、人間が出てくるシーンだけはアニメなんです。実写映像のうえに人物のセルを重ねるのではなく、背景から何から一瞬でアニメになる。これが“世界”なんだと、目からウロコが落ちた想いです。つまり、好きなところは好きな方法で描いてよくて、嫌いなところはバツバツ切って繋いでも世界は成立すると気がついて、頭に雷が落ちたような衝撃を受けたんです。でも、「アイゼンボーグ」のことなんて誰も話題にしないし、あの路線も途絶えてしまったので、やっぱりこの考え方は主流じゃないんでしょうね。

──「仮面ライダー」などの特撮モノはどうですか?

タンゲ 特撮ヒーローは、子どものころから苦手でした。生身の人間が出てくると、覚めてしまって。やっぱり、現実世界を思い起こさせるものが苦手なんでしょうね。

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