「∀ガンダム」が会話で聞かせる、品のいい「ミリタリー趣味」【懐かしアニメ回顧録第55回】

前々回の当コラムでは「∀ガンダム」がオーソドックスな「活劇」の構造を持っていること、前回では「機動戦士Vガンダム」に「御伽噺(おとぎばなし)」的な要素が混入していることを指摘した。いずれも、宇宙世紀的(というより書籍「ガンダムセンチュリー」的)なミリタリー観に対する富野由悠季監督の距離感を強調するため、逆説的に「活劇」「御伽噺」の側面をあぶり出してみた。
シド・ミード氏のデザイン画稿をまとめた大著「MEAD GUNDAM」から、富野監督のミード氏にあてた言葉を拾ってみよう。“まず、市場は保守的だということ” “この市場の好みを端的にいえば、「ミリタリー趣味」につきます”--巨大なバスーカやプロペラントタンクを備えた巨大人型兵器が愛好される「ミリタリー趣味」への冷静な分析と批判を読みとることができる。しかし今回、ふたたび「∀ガンダム」を取り上げた理由は、本作が鮮やかな「ミリタリー趣味」を見せてくれたからにほかならない。

生まれも育ちも違う人々が、ひとつの場所に集うと……


第46話「再び、地球へ」は、敵であるギム・ギンガナムの艦隊を追って、主人公・ロランやディアナ姫が月から地球へ向けて出航するエピソードだ。これまでのガンダムシリーズすべてを太古の出来事とした“黒歴史”の暴露によって、「∀ガンダム」が秘めていた「御伽噺」性は極限まで高まっており、第46話にのみ登場する強力な敵メカとの空中戦も盛りこまれ、「活劇」要素も申し分ない。
では、第46話における「御伽噺」でもなく「活劇」でもない見せ場とは何か? ディアナ姫の呼びかけで集まった月都市に暮らす民間人たちが、地球から来た軍人たちと力を合わせて新しい艦を艤装する群像劇だ。

■月都市の民間人(主人公ロランの幼なじみら)
■地球から来たスエサイド部隊(ジョン、エイムズら)
■ディアナ姫の親衛隊(ハリー中尉ら)
■イングレッサ・ミリシャ(ソシエ、メシェーら)

月に暮らしている人々は、冷凍睡眠技術によって、見た目よりも歳をとっている場合がある。地球から来た軍人たちのうち、スエサイド部隊はプロの軍人だが、イングレッサ・ミリシャには民間の女性たちもいる。生きてきた背景のまちまちな人たちが、1か所に集って力を合わせるわけだ。
まず、スエサイド部隊のジョンとエイムズの会話を拾ってみよう。2人は小型の作業用ロボットに乗っている。

ジョン「こんなのが民間用で使われてるんだから、戦争になったら勝てねえよな」
エイムズ「だから、これも(地球に)持ってきゃいいんだよ」

月都市での民生機が、地球生まれのプロの軍人からすれば驚愕する高性能。1機のメカを本来使うべきでないキャラクターに使わせることで、月と地球の技術的ギャップをさり気なく感じさせる。同じメカを地球に持ち帰れば月の軍隊も怖くない、と言わんばかりのエイムズの楽観的な性格も垣間見える。興味深い会話劇は、まだある。


メカは、人と人とを語らせる蝶番のようなもの


シリーズ前半から登場していた小型ロボットのウァッドに、月都市の青年とイングレッサ・ミリシャ所属の女性兵士メシェーが乗っている。青年は、ウァッドの腹に荷物をはさんで運ぶ。

メシェー「へえー、アルマジロってこう使えるんだ」
青年「ウァッドはもともと、こういう風に使うんです」
メシェー「これ、アルジマロっていうんだよ」
青年「ウァッドですよ」
メシェー「アルマジロのほうがいいよ」
青年「じゃあ、そうします」
メシェー「うふふふ」

呼び名と呼び名に対する愛着を、ややくどく聞かせることで、メカに対する距離感の違いを出している。プロとアマの違い、と言い換えてもいい。月生まれの青年は民間人だがメカに関してはプロに徹しており、メシェーは地球ではプロの軍人だが、月製のメカについては素人同然だ。2人の立場が、戦時下では倒立してしまう。
そうした戦時下ならではの混乱を、兵器を小道具に使うことでスマートに見せる。それこそが創造性ある「ミリタリー趣味」ではないのだろうか?

ロランにサインをせがむ双子姉妹の整備士の発言も面白く、「スモー(ディアナ親衛隊の使うメカ)のパイロットが、そんなことも知らないのか!」と、最初はロランを怒鳴る。ロランは愛機の∀ガンダムを敵に奪われているので、やむなくハリー中尉からスモーを借りているに過ぎない。ロランの素性を知り、姉妹の態度は豹変する。
「本来そこにいるべきではない人たちが出会う」のが戦場であり、だから情感豊かに悲喜劇を描けるのだと、「∀ガンダム」は教えてくれる。


(文/廣田恵介)

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