絵による“例え話”で怪異に説得力を持たせる「化物語」の発想【懐かしアニメ回顧録第58回】

2019年9月から、「グリザイア:ファントムトリガー THE ANIMATION」が地上波で放映されている。キャラクターデザイン/総作画監督は、渡辺明夫氏。渡辺氏がキャラデを担当した作品といえば、「化物語」(2009年)を思い出す人も多いだろう。ここでは、第1話「ひたぎクラブ 其ノ壹」を振り返ってみたい。

ひたぎの戦闘スタイルは“蟹”にそっくり


前後編となった第1話と第2話は、妖怪“おもし蟹”に体重を奪われた戦場ヶ原ひたぎが、呪術師の忍野メメの助けで体重を取りもどすまでを描いている。
第1話の冒頭、ひたぎの体重は5キロまで減っているため、階段から落ちてきた彼女を受け止めた主人公の阿良々木暦は、その軽さに驚く。
“おもし蟹”は第2話で姿を現わすが、第1話ではひたぎと忍野の口から語られる、観念上の存在にすぎない。どんな形なのか想像もつかない“おもし蟹”を祓(はら)おうと決めるところで第1話が終わるので、何らかの方法で、視聴者に“おもし蟹”の実在を信じさせねばならない。しかし、一体どうやって――?

第1話前半、ひたぎは、自分の体重が1匹の蟹に奪われたことを暦に告白し、口封じのためにカッターナイフとホチキスを武器にして彼を脅す。
それでも暦がひたぎに関わろうとしたため、彼女は服の下に仕込んだセロテープや定規、コンパスなど、大量の文房具を両手に構える。言うまでもなく、尖った文房具を構えたひたぎのシルエットは、両手にハサミをもった蟹を思い起こさせる。
ひたぎが文房具で蟹のように武装しているのは何も“おもし蟹”の影響ではないし、この描写自体は原作小説にも書かれている。しかし、具体的な「絵」を例え話のように使うことで、視聴者は視覚的に“蟹”の存在を感じとっていく。


ひたぎの“軽さ”を表現するため、鳩の羽毛を使う


次に、5キロまで減ってしまった、ひたぎの体重の“軽さ”も、説得力をもって視聴者に伝えておかねばならない。
冒頭、暦が階段を駆け上がるシーンで、白い鳩が何羽もとまっているのが見える。そして、ひたぎが足を滑らせると同時に、鳩が一斉に飛び立つ。落下するひだきを見上げる暦の前に、白い羽毛がひらひらと舞う。そして、ひたぎを受け止めると、画面いっぱいにフワッと羽毛が舞い上がる。いや、正確には羽毛ではなく魚の形をした白いこよりのようだが、鳩が飛び立った描写と考え合わせると、羽毛ととらえても問題ないだろう。
「彼女の体は、とても、とてつもなく軽かったからだ。そう。彼女、戦場ヶ原にはおよそ体重と呼べるものがまったくと言っていいほど、なかったのである」という暦のセリフだけで、ひたぎの“軽さ”が伝わるだろうか? 小説ならば、その記述を信用するしかない。しかし映像では羽毛を舞い上がらせ、“軽い”物体の運動を視覚的に見せねば、視聴者は「とてつもなく軽かった」という暦のセリフに、説得力を感じられないだろう。


「ラピュタ」で描かれた“空から落ちてくる少女”


「天空の城ラピュタ」で空から落ちてきたヒロインのシータを、主人公のパズーが受け止めるシーンを思い出してみよう。最初はたくさんの作画枚数を使って、シータがゆっくりと落下していく様を描き、彼女に体重が戻った瞬間にカットを切り変え、パズーの芝居でシータの重みを描写している。
つまり、実写映画と同様に被写体(この場合はパズーとシータ)の動きとカット割りのみで、“軽さ”と“重さ”を正攻法で描いている。

だが、それは実写映画に隷属した表現とは言えないだろうか? 「化物語」の原作小説は暦の一人称で書かれており、視覚的とは言いがたい。だからこそ映像化に際しては、言語による抽象表現を“例え話”のように絵で敷衍するアイデア――蟹のように武装するひたぎ、暦の目の前で舞う羽毛――が必要だった、というわけだ。


(文/廣田恵介)

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