【インタビュー】「加湿王ゴジラ」「ゴジラバンク」を生んだ男──造形クリエイター・YU-GOに訊く “怪獣”造型一筋の人生

日本映画界が生んだ大スターであり、今や全世界にその名をとどろかせている“キング・オブ・モンスター”、ゴジラ。1954年の第1作「ゴジラ」が大ヒットして以来、いくつものシリーズ映画が作られたゴジラは、膨大なる関連商品を生み出して、幅広い世代のファンに愛されてきた。

2015年11月3日に株式会社シャインから発売された「ゴジラバンク」も、ゴジラ関連商品のひとつ。海面を模したプレートに500円玉などの硬貨を置くと、海中からゴジラの顔と手が現れ、すばやくお金を取っていくといったシンプルな仕組みの貯金箱なのだが、デフォルメされた愛らしさとともに、本来のゴジラが持つ“怪獣”としてのディテールや迫力も決して忘れられていない造型の妙味、そしてゴジラ映画で使用された“本物”のテーマ音楽(伊福部昭氏の作曲)や効果音を使用するなどのこだわりを持たせ、世界的な人気商品となっている。

さらに2017年には、同じくシャインから「加湿王ゴジラ」が発売された。部屋の乾燥を防ぐ加湿器の機能を備えたこの商品は、ゴジラが口から放つ“放射熱線”のエフェクトを、加湿器のミストとして表現する秀逸なアイデアが大いにウケた。そして「ゴジラバンク」と同じくデフォルメされたスタイルでありながら、ゴジラ本来の持つ“カッコよさ”を強く意識し、気合いの入った造型が施されているのも特徴となっている。

アメリカのレジェンダリーピクチャーズが製作した「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」に合わせ、バンダイのベンダーカプセル商品「HG D+」シリーズでは、ゴジラ(2019)、シン・ゴジラ(第4形態)、キングギドラ(2019)、ゴジラ(1954)の4種が第1弾として発売。続いて、ゴジラ(1989)、ビオランテ(花獣)、ヘドラ、3式機龍(メカゴジラ)が第2弾として発売された。いずれも従来のカプセルベンダー玩具に比べて驚くべきハードディテールの造型が施されている。さらにゴジラの表皮をイメージしたカプセルを組みかえ、付属のエフェクトパーツを配置することでジオラマベースになるといった斬新なアイデアが盛り込まれ、ゴジラファンからの絶大な人気を集めた。

これらの意欲的な「ゴジラ」商品を生み出したのは、造型クリエイターとしてこれまでにさまざまな作品に携わってきたYU-GO氏である。ここからは、YU-GO氏にロングインタビューを行い、氏がいかにして造型に魅せられ、アマチュアからプロの道に進むようになったかといった氏の遍歴や、怪獣を好きでいることによって生まれたいくつもの“縁”について、そして大ヒット商品「ゴジラバンク」「加湿王ゴジラ」「HG D+ゴジラシリーズ」の誕生秘話なまで特撮ファンならずとも興味深いお話をたっぷりとうかがった。



関西の造形少年から「ガメラ」でプロフェッショナルの世界へ

――YU-GOさんの“怪獣体験”の原点とは何だったのでしょう。

YU-GO 生まれて初めて映画館で観た怪獣映画は、「ゴジラ対メカゴジラ」「怪獣大戦争」「キングコング対ゴジラ」の3本立て(ゴジラ映画大全集/1979年)でした。僕は京都で生まれ育ったのですが、関西では1978年ごろから1980年にかけ、「ウルトラマン」シリーズをはじめとする特撮作品の再放送がひんぱんにあったんです。「ガメラ」シリーズなんて毎年冬休みの夕方に繰り返しテレビ放送していましたし、「てれびくん」(小学館)「テレビマガジン」(講談社)「テレビランド」(徳間書店)の雑誌記事などの勢いもあり、小学校に上がったころにはすっかり特撮・怪獣にハマっていました。

――“造型”の分野に興味を示されたのはいつごろですか?

YU-GO 小学生のころからすでに、図工の時間に紙粘土でゴジラとかキングギドラを作っていましたから、かなり早いですね(笑)。そのうち「機動戦士ガンダム」が映画化されるにともない、1980年あたりに爆発的な「ガンプラ」ブームが起きて、日本全国の子どもたちはほぼ全員プラモデルを作るようになります。そうこうしているうちに朝日ソノラマの特撮雑誌「宇宙船」が創刊されたり、講談社の「コミックボンボン」で専門的なガンプラ特集が組まれたりするんですが、あるとき「怪獣」のガレージキットというものがあるぞ、みたいな特集を読んで、衝撃を受けました。1983~1984年くらいでしょうか。レンタルビデオ店がちまたに増えてきて、「ゴジラ」がいよいよ“復活”するかもしれないぞ、と特撮ファンの間で盛り上がってきたころです。「ボンボン」をむさぼり読んでいるうちに「怪獣のモデルを作るには、ふつうの紙粘土じゃなくて、“ファンド”というやつを使うらしい」と知り、近所の画材屋にファンドを探しに行くのですが、どこにもなくて、大阪の大きな店に行かないと……とかあちこち駆けずり回って苦心して手に入れました。ファンドを最初に触ったときの興奮と感動は、今でもはっきり覚えています。

――80年代前半のガンプラブーム、そして怪獣ガレージキットブームを受け、関西では大手ホビーショップが少年ファンたちの注目を集めましたね。大阪府門真市の「海洋堂」や大阪市生野区桃谷の「ゼネプロ(ゼネラル・プロダクツ)」などはその代表格だと思いますが、こういったお店にも行かれたのですか。

YU-GO 比較的近くにあるところということで、京都の「ボークス」に行きました。初めて行ったのは、中学1年生になったころですから、1984年あたりですね。あと、東山三条のほうにマニアックな模型店があって、そこでチューブ入りのシリコンを買ってきて、雑誌記事を参考に自作の「ザク」ヘッドを複製したり、ゴジラのガレージキットみたいなものを作ったりしていました。

――少年時代からかなり“本格”志向だったのですね。

YU-GO ボークスに入り浸っていた14歳のころ、怪獣ガレージキットを手がけていた原型師さんと仲良くなって、その方から「怪獣のつくりかたを一から教えてやる」と言われ、弟子入りをしたんです。そのときはもう、将来はガレージキットの原型師になりたい、と思っていました。師匠は実家のお寺を継ぐために造型の道を離れられたので、実質1年くらいしかお付き合いはなかったのですが、ここで「スパチュラ(ヘラ)」をはじめとする工具の使い方、造形物の形のとらえ方などのノウハウを叩きこまれました。その後、東京で開催された「ワンダーフェスティバル」に自作のガレージキットを出品するようになり、それがきっかけでさまざまなメーカーさんから声をかけてもらうようになるなど、交友関係が広がりました。

――京都から東京に来られたのはいつごろですか。

YU-GO 拠点を移したのは「小さき勇者たち~ガメラ~」(2006年)の造型のお手伝いをさせていただいたころ、2005年あたりなのですが、それ以前の90年代から「ゴジラVSメカゴジラ」といった「平成ゴジラ」シリーズの撮影現場を見学させていただいたりして、川北紘一特技監督とも知り合うことができました。その後、川北監督とは懇意にしていただき、毎年の忘年会にも呼んでいただくようになります。しばらくは京都で別の仕事をしながら、ガレージキットの原型を作る日々が続いていましたが、いつかは東京で造型の仕事がしたいと思って、資金をためていました。

あるとき、「ゴジラVSビオランテ」(1989年)のビオランテや、「ゴジラVSキングギドラ」(1991年)のメカキングギドラなどをデザインされた西川伸司さんの“ご実家”を訪問する機会があり、ご本人にお会いする以前にご両親とお話をさせてもらったのですが、そこで「若者が夢を追うのは大切だ。東京に息子がいるから頼って行きなさい」とご紹介していただき、西川さんにお会いすることができました。それまでガレージキットの原型を中心にやってきたので、こんどは大きな“着ぐるみ”怪獣の製作に携わりたいと思っていただけに、「小さき勇者たち~ガメラ~」のスタッフになれたのは本当によかったです。原口智生さんをはじめ、ガメラ造型部の皆さんにはたいへんお世話になりました。

夫婦二人三脚で臨んだゴジラバンク

――2015年に発売された株式会社シャインの「ゴジラバンク」は、YU-GOさんの奥様がプロデュースされ、YU-GOさんが原型を製作されたとうかがいました。お話によれば、奥様もかなりディープなゴジラファン、特撮ファンなんだそうですね。

YU-GO 妻とは京都で知り合いました。横浜出身なのですが、美大に通うため京都に住んでいたんです。僕も彼女も「ウルトラマンダイナ」が大好きで、結婚相手の条件が「お式でスーパーGUTSの隊員服を着てくれる人」でしたからね(笑)。妻が初めて観た怪獣映画は「ゴジラVSモスラ」(1992年)で、それ以来、川北監督のファンになったそうです。同世代にたくさん存在する「川北チルドレン」のひとりです(笑)。僕といっしょに川北監督の会社「ドリームプラネットジャパン」にうかがうことも多くあり、かわいがっていただきました。彼女が玩具会社(シャイン)に就職してからも、よく気にしてくださっていたようです。

結婚式をあげたのは2015年の4月。川北監督が前年の2014年12月に亡くなられて、とても残念でしたけれど、結婚パーティーには西川さんをはじめ、たくさんの特撮映画関係者の方々がお祝いに来てくださいました。

「ゴジラバンク」の企画は、この結婚式がきっかけとなって動き始めました。式の「ウェルカムボード」に飾る、デフォルメタイプのゴジラやモスラを僕たちが作っていたのですが、それらを見た妻の上司が「ゴジラで商品を出そう」と言ってくれたんです。妻も以前からずっと「ゴジラの関連商品をやりたい!」と企画書を出したりしていたので、そこからはスムーズに企画が進みました。「ゴジラバンク」は妻がプロデュース、僕が原型を作った第1号商品。僕たちの想いとして「川北監督が喜ぶ商品をカタチにしたい」というのが強くありましたので、全力でつくりました。

――ガレージキットにも、怪獣の着ぐるみを忠実再現した「リアルモデル」と、頭身を寸詰まりにしてかわいらしさを出した「デフォルメモデル」がありますが、「ゴジラバンク」はデフォルメ寄りの商品となりました。YU-GOさんにとって、リアルとデフォルメでしたらどちらが作りやすいですか。

YU-GO 基本はどちらも同じくらいエネルギーを使いますね。リアルさを追求する場合、実物の着ぐるみを徹底的に分析して、ひたすら特徴をつかむべく写実的に追求しますが、デフォルメの場合は自分の感性が大事になってきまして、部分的に「ここを強調しよう」「ここのバランスを縮めよう」と、考えるのが大変です。リアルにするにもデフォルメにするにも、とにかく対象キャラクターの資料をたくさん集めて、時には実際に撮影に使われた着ぐるみまで取材して、こだわりぬいて作っています。

「ゴジラバンク」は、もともと猫が箱の中から手を伸ばしてお金を取る「いたずらBANKシリーズ」のバリエーションとして企画されたものですが、ゴジラファンにアピールできるように、細部まで徹底的にこだわってみました。モチーフにするゴジラは「ゴジラVSモスラ」に出てきた通称“バトゴジ”で行こうと決め、海面に浮かぶ艦艇も映画に出てきたミニチュアを意識しているんです。そして水中からゴジラが出てくる際に内部が赤く発光するギミックも、劇中での“海底火山”をイメージした演出なんですよ(笑)。

BANK本体のステッカーには、西川伸司さんにイラストを描いていただきました。上京してから、初めて西川さんとお仕事でご一緒することができたんです。ゴジラが姿を現すときの音声についても、伊福部昭先生の「ゴジラのテーマ」や鳴き声などの効果音を組み合わせた複数の音声パターンが再生される仕様になりました。

――そして、シャインのゴジラ商品としては第2弾となるのが「加湿王ゴジラ」なんですね。加湿器のミスト噴射をゴジラの放射熱線に見立てるギミックは、今までありそうでなかった抜群のアイデアですね。

YU-GO 加湿王ゴジラもまた“バトゴジ”をモチーフにしています。今回はデフォルメモデルのかわいさを打ち出しながら、全身のバランスやディテールの“ゴジラらしさ”を強く意識しています。もともと「ゴジラVSメカゴジラ」(1993年)の特撮現場を見学させていただいたとき、ステージの端に保管されていた「ゴジラVSモスラ」当時の“バトゴジ”スーツを見つけて、細かい特徴や色あいなど、つぶさに観察していたので、バトゴジらしさの再現には徹底的にこだわりました。特に、いかにも「平成ゴジラ」らしい独特の“歯並び”を持つ顔の部分とか背びれの付き方、あとは全体に筋肉質なところとか、平成ゴジラシリーズが公開されていた90年代に玩具店に並んでいた当時の玩具商品を彷彿とさせる雰囲気を大切にしました。“バトゴジ”は、上空を飛ぶモスラやバトラに攻撃をしかける関係上、着ぐるみの首が上を向くギミックがついていましたから、加湿器の噴出口とシンクロしやすかったですね。音声も「メーサーマーチ」を収録するなど、徹底したこだわりを入れています。

おかげさまで「加湿王ゴジラ」は、2018年4月に開催された「ライセンシングジャパン2018」において、日本キャラクター大賞「プロダクトライセンシー賞」を受賞いたしました。僕たちの狙いとこだわりが多くの方々に受け入れられたと思って、とても嬉しく思いました。

――シャインの新製品として、2020年1月に「バーニングゴジラバンク」が“限定版”として発売されました。こちらは「ゴジラバンク」のバリエーションですが、真赤なゴジラは「ゴジラVSデストロイア」(1995年)で熱暴走を起こした“バーニングゴジラ”をイメージされているんですね。

YU-GO VSシリーズの最終作にして川北監督が手がけた最後のゴジラ映画ということで、僕たちも「ゴジラVSデストロイア」には強い思い入れがありますから、こちらの商品にもこだわりポイントがたくさんあります。ゴジラ全体のカラーリングや、眼球を“バーニング”仕様にしたほか、西川さんによるイラストも、サウンドギミックも全て変更しています。あとはパッケージにもこだわりがあって、白黒の箱に「限定版」と書かれた金色のシールが貼られたデザインにしました。わかる人には必ず“響く”デザインだと思います。



こだわりの最新アイテム「HG D+」シリーズ

――バンダイ「HG D+」シリーズについてのお話を聞かせてください。

YU-GO HGシリーズに携わるキッカケは、川北監督のお引き合わせがありました。監督主催の忘年会に毎年参加させていただいたのは先に述べましたが、その際に川北組恒例のジャンケン大会があったんです。僕は自作の怪獣レジンキットを景品用として持参しており、偶然にも僕のキットがバンダイのコレクター事業部の方に当たったんですね。その方が僕のことを覚えてくださっていて、数年後のワンフェスのブースでふたたびお会いする機会がありました。お話をすると、その時はベンダー事業部に異動されていたそうで、そこから僕に「ゴジラのHGシリーズをやってみないか」とオファーをいただいたんです。もともとは川北監督の忘年会があったからこそのご縁ですから、本当にありがたいことですね。


HGシリーズといえば、僕も大好きで集めていた歴史あるシリーズなので最初はプレッシャーもありましたが、全力で面白いプロダクツにしようという想いから「従来のHGシリーズを超える!」をコンセプトに、今まで以上にハードディテールで、リアルな感覚のモデルを作ろうと挑みました。

「HG D+」シリーズでは、ゴジラの表皮をイメージしたカプセルを組みかえることで、モデルを立たせる台座にするアイデアを提案しました。担当の方もゴジラをはじめとする特撮作品に造詣が深く柔軟な発想を持っている方なので、商品がより面白くなるようにお互いディスカッションしながら、作り上げていきました。おかげさまで「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」が公開される前に完売してしまった上映館や店舗もあったそうで、反響の大きさに驚きました。

「HG D+」は、ファンの皆さまと作ってゆくシリーズだと思っています。現在は造型マテリアルも手に入りやすいので、組み替え遊びや改造、リペイント、ジオラマ等々、いろいろな遊び方を楽しんでください!! そうやって皆さまが作られたものを、僕自身もぜひ見てみたいです!!

――YU-GOさんが“怪獣”のモデルを作る際、常に心がけられていることとは何ですか?

YU-GO 怪獣の商品原型を製作するときは、まず対象となる怪獣の資料を徹底的に収集し、場合によっては現存している着ぐるみを取材したりして、愛情とこだわりを持ちながら取り組むようにしています。カタチをただ再現するのではなく、対象キャラクターの持つ「ドラマ性」や、映画公開当時に僕たちが感じた「ワクワク感」が得られるような造型にするべく、心がけています。

――小型精密モデル、デフォルメモデル、撮影用着ぐるみなど、幅広く“怪獣”造型に携わられているYU-GOさんですが、今後どんなことをやっていきたいといった目標はありますか?

YU-GO 「ゴジラ」の映画にはこれまで一度も関わったことがありませんので、ぜひゴジラ映画に造型として携わりたいと思っています。また、ゴジラに限らずいろいろな怪獣やキャラクターをつくっていきたいので、これからも全力で突っ走ります!!

(取材/秋田英夫)

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