林原めぐみとAMラジオの1990年代/「アイドル防衛隊ハミングバード」の先見性【中里キリの“2.5次元”アイドルヒストリア 第2回】

今や定番ジャンルとしてアニメ、ゲームなどで数多くの「アイドル作品」が作られ、またアイドルを演じるキャストによるCDリリースやリアルイベントも毎月のように行われている昨今。

そんな2次元と3次元を自在に行き来する「2.5次元」なアイドルたちは、どのように生まれ、そしてどのようにシーンを形成していったのか。昭和、平成、令和と3つの時代の2.5次元アイドルを見つめ続けたライター・中里キリが、その歴史をまとめる人気連載、第2回がスタート!
80年代のアニメとアイドル~女性声優ユニットの誕生を振り返る!【中里キリの“2.5次元”アイドルヒストリア 第1回】

林原めぐみ、国府田マリ子──AMラジオがつないだファンとの絆

前回はアニメとリアルアイドルとのリンクが華やかなりし時代、1980年代について語りました。その流れを受けての1990年代、キャラクターに声を吹き込む裏方だった“声優”という職業に大きな変化が生まれます。みずからステージに立ち、歌い踊り、キャラクターだけでなく演者自身にも華やかなスポットが当たる。声優は、そんな華やかな存在になっていったのです。1994年に創刊された声優専門誌「声優グランプリ」(主婦の友社発行)はその象徴でした。

そして、声優という職業に求められるものの変化と多様化を語るうえで、欠かすことができないのが、林原めぐみさんという不世出の存在です。

ということで、まずは1990年代を代表する人気声優たちの姿を振り返ってみたいと思います。

林原めぐみさんは1986年に「めぞん一刻」第1話でデビューします。1988年に「魔神英雄伝ワタル」忍部ヒミコという当たり役をつかむと、1989年は「機動警察パトレイバー」桜山桃子、「チンプイ」春日エリ、「天空戦記シュラト」那羅王レンゲ、「魔動王グランゾート」グリグリ、そして前回紹介した「らんま1/2」早乙女らんまといった当たり役を次々に獲得し、一気にブレイクしていきます。1991年3月には、歌手としてもシングルCD「虹色のSneaker」でキングレコード・スターチャイルドレーベルよりメジャーデビューを果たしました。

林原さんの声優としての人気が頂点に達したのは1995年のこと。「新世紀エヴァンゲリオン」綾波レイ、「スレイヤーズ」リナ=インバースという、声優人生の大看板となる役に出会います。それを追いかけるように1996年~97年頃には歌手・林原めぐみとしても絶頂期を迎え、20万枚超えのセールスを連発するオリコン上位の常連となりました。

当時の林原めぐみさんの人気を語ることは、1990年代のアニメ界を語ることとイコールであると言ってもいいぐらい、その人気はすごかったです。当時のアニメファン向けアニメ作品のゴールデンタイムはテレビ東京系列の18時~19時帯でしたが、ちょうどアニメファンが学校から帰ると、毎日のようにテレビから彼女の声が聞こえてきたものです。アニメ、CD、そして……ラジオ。全てを追いかけるファンたちの1週間は、林原めぐみという存在を軸に構成されていたのです。

それでは、林原めぐみさんがすごい人気だったから声優のアイドル化が進んだのか? といえば、必ずしもそうとは言えないのが面白いところです。林原さんはもともと演技のプロフェッショナルとしての裏方志向が強く、また声優という不安定な職業を目指すことを両親に認めさせるため、声優業と並行して看護士資格も取得するという強烈な努力の人でもあります。林原めぐみさんの人となりを知る人なら、彼女のパーソナリティはむしろ声優のアイドル化、アーティスト化とは真逆を向いていると考えるのではないかと思います。キングレコードの大月俊倫氏が彼女の才能を見出し、説得しなければ、そもそも歌手デビューもなかったでしょう。ライブを行なえば簡単に日本武道館を埋められるであろう人気を維持し続けていても、林原さんがアニメのイベントやラジオの公録以外で歌うことはほとんどありませんでした。

そんなストイックな林原めぐみさんの人気の加熱が、アーティストとしての声優の商品価値を世に認めさせ、結果として後の声優アーティストたちの道を拓いていくことになるのが、なんとも面白いところです。

そして、1990年代型の声優と切っても切れないのが、AMラジオというメディアです。林原さんの活動は声優、歌、エッセイなど多岐に渡りますが、ファンと彼女をつなぐ一番濃密なチャンネルはなんだったかと言えば、それはラジオでした。1991年にはラジオ関西で「林原めぐみのHeartful Station」が、1992年にはTBSラジオで「林原めぐみのTokyo Boogie Night」がスタートします。リスナーを応援し、相談に乗り、時には叱る姉のような距離感。そんなある意味一番身近な存在が演じるアニメ作品や、歌声が次々と供給されるからこそ、当時の若者たちはさらに夢中になったのだと思います。

同じ時期に時代を担った國府田マリ子さんもまた、声優・歌手としての両輪とは別に、ラジオ大阪の「國府田マリ子のGAME MUSEUM」、文化放送の「ツインビーPARADISE」というカリスマラジオ番組を持っていました。東日本と西日本のAMラジオの両方にホームとなるラジオ番組を持っていることで、広い層に声が届く(そしてコアなファンは雑音と戦いながら両方聴く)というのも当時の二大巨頭の共通点でしょう。声優とアーティスト(歌手)の両輪が相乗効果で大きな人気を生み、カリスマとファンを身近な存在としてつなぐ特別なツールとしてAMラジオがある。それが1990年代のトップ声優像でした。

さて、本当に長い前段になりましたが、この連載のテーマは「2.5次元アイドル」です。ですから、ここまで語ったような当時の声優事情を踏まえたうえで、1990年代の鍵になる作品としてこれから取り上げるのは「スレイヤーズ」でも「新世紀エヴァンゲリオン」でもありません。ここから語りたいのは25年早すぎた異常な作品、OVA「アイドル防衛隊ハミングバード」です。

時代の先を行き過ぎた「アイドル防衛隊ハミングバード」──そして椎名へきる

「アイドル防衛隊ハミングバード」は、吉岡平さんの同名ライトノベルが原作のOVAです。吉岡さんといえば思い出されるのが、1993年1月~7月にテレビ東京系列で放送された「無責任艦長タイラー」です。キングレコードも参加した「タイラープロジェクト」は製作委員会方式の先駆けでした。

セルビデオ第1巻の映像特典として超人気キャラクター、神聖ラアルゴン帝国皇帝、アザリン・ド・エル・クラン・ライクン陛下があられもない姿でプールを泳ぎあそばされる映像を収録し、そのビデオを買うと声優さんが出演するイベントに参加できるという、今では当たり前となったビジネススタイルを築いた先駆者でもありました。

さて、そんな「無責任艦長タイラー」の熱も冷めやらぬ1993年9月にリリースがスタートしたのが、OVA「アイドル防衛隊ハミングバード」です。一応説明しておくと、1990年代はテレビでは放送されず、最初からビデオテープパッケージでリリースされるOVA=オリジナル・ビデオ・アニメが隆盛を極めていました(雑誌「アニメディア」などはかたくなにOAV表記にこだわっていましたが)。OVAは一般的に毎週放送されるアニメよりは長い期間をかけて制作され、テレビで放送されないという知名度的なハンデを克服して売るためにも、テレビアニメよりハイクオリティな作品が多いとされていました。

そんなOVAという形態だからこそアニメにできたのがこの作品、「アイドル防衛隊ハミングバード」です。作品設定を簡単に紹介すると、

“西暦199X年、日本政府は自衛隊の民営化を発表。その分野にいち早く参入したのが芸能界であり、誕生したのが戦闘機パイロット兼アイドル「アイドルパイロット」という存在だった。父の夢を受け継いでパイロットを目指していた取石五姉妹は、アイドルグループ「ハミングバード」としてデビューすることになる。”

という感じ。美少女たちが戦闘機に乗りこみ戦うミリタリー+美少女という文脈と、ステージでアイドルたちが歌って踊るアイドル物を組み合わせた、と欲張りすぎるコラボレーションです。ミリタリー、美少女、アイドルといえば、単体でも作画カロリーはトップクラスですから、OVAだからこそ実現できたコンセプトと言えるでしょう。アニメ「ストライクウィッチーズ」が世に出るのが約14年後の2007年、「ガールズ&パンツァー」が19年後の2012年ですから、その先見性は驚異的です。逆に、借り切った空母エンタープライズ上の特設プールで行なうのが「アイドル水泳大会」というあたりが80年代の残滓(ざんし)を感じさせます。作中に登場するライバルアイドルグループが「SNAP」(男性アイドル)や「フィーバーガールズ」(肉体派女性アイドル)といったあたりも、時代を反映しています。

そしてこの作品がもうひとつ時代を先取りしていたのが、作品と声優キャストの関係性です。「アイドル防衛隊ハミングバード」のヒロイン・取石姉妹を演じる声優5人は、そのまま声優ユニット・ハミングバードとしても活動し、コンサートでステージに立ちました。そのメンバーを見てみると、三女・取石五月役が三石琴乃さん。主人公格です。長女・取石神無役が玉川紗己子(現・玉川砂記子)さん。次女・取石弥生役が天野由梨さん。四女・取石卯月役が草地章江さん。五女・取石水無役が椎名へきるさんという顔ぶれです。

三石琴乃さんは1991年の「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」菅生あすか役や1992年の「美少女戦士セーラームーン」月野うさぎ役で大ブレイク。天野由梨さんは「無責任艦長タイラー」のヒロイン、ユリコ・スター役からの吉岡平作品続投です。玉川さんは「NG騎士ラムネ&40」ココア役、「ゲンジ通信あげだま」九鬼麗役などでおなじみといった具合に、長女から三女までは当時の若手人気声優で固めました。

特記すべきがここからで、四女・卯月役の草地章江さんは1989年にデビューしたシンガーです。ロックテイストもあって、いわゆるアイドルとはちょっと毛色が違いましたが、その歌唱力とステージングを買われて本作で声優に初挑戦しました。そして、五女・水無役を担当したのが、当時若干19歳の椎名へきるさんでした。

椎名さんは前年(1992年)に角川書店とソニーレコード(現ソニー・ミュージックレコーズ)が主催するオーディションでもチャンスをつかんでおり、「ハミングバード」で声優としてデビューした翌年(1994年)にはソニーレコードからアーティストデビューを果たしています。椎名さんが日本ナレーション演技研究所所属時代、声優アイドルユニット「クリスタル・A」のメンバーとして一度売り出しを試みられていることからも、声優であり歌手、アーティスト、アイドルでもある、という存在を生み出そうとする流れが驚くほど早くからあったことがわかると思います。なお、本作に出演する三石琴乃さん、天野由梨さん、椎名へきるさんは日ナレ→アーツビジョンという経歴が共通しています。

椎名へきるさんは前述の通り、本作出演の翌年に歌手デビュー。瞬く間にスターダムを駆けあがると、1997年にはライブツアー「椎名へきる -STARTING LEGEND'97 With a Will」にて、初めて日本武道館単独公演を成し遂げた女性声優となります。声優でありアーティストでもある、という2000年型の声優アーティストの雛形となったのは、間違いなく彼女だったのではないかと思います。

「演技にたけた若手人気声優と、本職のシンガー、そしてブレイク前夜の新人声優アーティストがユニットを組んで一緒に歌う」というコンセプト。言葉にしてみると、2010年代のアイドル作品では親の顔よりよく見られた構図なのがわかると思います。その意味でもやはり、「ハミングバード」はあまりにも早すぎた作品でした。

ユニットとしてのハミングバードといえば、挿入歌「Love Wing」の5人バージョンが代名詞です。シンプルな振り付けが時代を感じさせますが、椎名へきるさんのはっとするほど印象的なボーカルを玉川さんの声優ならではの表現力の歌声が受け、姉妹がつないだバトンをサビ前に草地さんの本職ならではのボーカルがビシッと締める。そしてサビの合唱に入っていく流れは、異なるルーツを持つ役者が融合したユニットならではのよさがあります。声優コンサートの客席にコールなど、コテコテのアイドル応援文化を持ちこんだという意味でも、歴史的に重要なのではないかと思います。

次回は2000年代。ゲームセンターの片隅で、アイドルコンテンツの新たな形が産声を上げます。

(文・中里キリ)

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