「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」のSF設定は、アニメーションの構造に作用してドラマを革新する。【懐かしアニメ回顧録第65回】

2020年4月23日により、新作WEBアニメ「攻殻機動隊 SAC_2045」が配信される。2002年に始まった「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」シリーズから、今回は「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」を振り返ってみたい。

電脳通信は、「行ってこい」をスキップできる


第1話冒頭。主人公である草薙素子(通称「少佐」)ら公安9課のメンバーが、対テロ活動が遂行中の大使館ビルに介入しようとしている。少佐とバトーとトグサ、イシカワとボーマ、サイトー、9課のメンバーは3か所に散っている。ヘリコプターやバンに分乗しているにも関わらず、彼らは口を開かずにブリーフィングしている。
通常、フレーム内の人物が口を開いてないのにセリフが聞こえる場合は「offゼリフ」と呼ばれ、内心の声だとかナレーションとして解釈される。回想シーンにセリフを重ねたり、あるいは別の人物の声を画面外から挿入することで、物語の筋をわかりやすく整理するのだ。

ところが、「攻殻機動隊」シリーズでは事情が違う。公安9課のメンバーはリアルタイムで、口を閉じたままテレパシーのように会話できる。そして、近い距離では普通に口を開いて話す。第1話でイシカワが「電脳通信にもノイズが混じるな」と言っていることから、前者は“電脳通信”という特殊な技術なのだと推測がつく。
なぜ特別な技術なのかというと、第4話でヘリコプターの乗員と基地のオペレーターとが、普通にヘッドセットを介して会話しているからだ。(我々はつい作品の外のSF設定を前提に話を進めがちだが、作品の価値を正当に評価するためには、フレームの中で起きていることにのみ目を凝らすべきだろう)

第4話で、難民居住区で自衛隊のヘリコプターが暴走する事件が発生する。公安9課の荒巻課長は当事者に接触し、喫茶店で情報を引き出す。ひととおりの会話が終わった後、「……だそうだ、少佐」と、荒巻はその場にいない少佐に話しかける。直後、車で難民居住区へ向かう少佐へとシーンが切り替わり、荒巻との会話は継続する。
この段取りのよさが、電脳通信が作劇にもたらす効果だ。
ある小噺で、小僧が主人に「隣へ行って、カナヅチを借りてこい」と、おつかいを頼まれるシーンがある。次のシーンで、小僧が「カナヅチを貸してください」とお隣へ行く。さらに次のシーンで、「はい、借りてきました」とカナヅチを主人に渡す。「借りてこい」と頼まれるシーンの次に「借りてきました」と報告するシーンさえあれば、物語は先へ進める。わざわざ「貸してください」と頼むシーンを挿入するのは間違いではないが、面白くはない。
「攻殻機動隊」シリーズは、「□□が言うには~という話だそうだ」と報告するような、段取りでしかないシーンを、電脳通信によってキャンセルしながら進む。効率的で、無駄がないのだ。


なぜ、クゼと少佐は「心身の不一致」を感じて共鳴しあうのか?


第5話「動機ある者たち」で、メインストーリーを最後まで牽引する重要人物、クゼが登場する。彼は、個室で総理大臣の動向を伝えるテレビニュースに見入り、「予告状についてのリアクションはなしか」と、独り言を口にする。だが、クゼの口は動いていない。電脳通信のような音響効果が加えられていないので、これは彼の心の声なのだろう。
その後、クゼは総理大臣を暗殺するためにトラックに乗るが、その間でも、彼はみずから聖典とする評論「個別の11人」について、心の中で語りつづける。

さて、ついに総理大臣に斬りかかるとき、クゼは「正義は我にあり。消去!」と叫ぶのだが、なぜか口はまったく動かない。では、彼は電脳通信で言葉を伝えているのだろうか?
第7話で、クゼの体は「ハイスペック義体」「メンテナンスフリーのPKF仕様」と判明する。さらに、第13話では「しゃべるとき、口を動かさない」「表情筋の神経ネットを形成するマイクロマシンをほとんど使用してないんだろう」「動かないのではなく、ほとんど動かせない」と分析される。

物語がクライマックスを迎える第25話で、少佐と2人きりになったクゼは、自分の生い立ちや革命計画について語る。「俺は子どものころから全身義体だったために、心と体の不一致を絶えず感じていた」「お前も全身義体のようだな。なら、心身の不一致という疑心暗鬼に悩まされたことは少なくあるまい。どうだ、俺と一緒に来るか?」と、少佐に手を差し出すクゼ。
アニメーションでは、3枚違う形の口を組み合わせれば、しゃべっているように見せることができる。その段取りを省いてあえて口を動かさず、本来はモノローグとして処理されるはずのoffゼリフに音響効果を加えることで、電脳通信というハイテク技術を描いたのが「攻殻機動隊」だ。
クゼは、電脳通信は使わない。しかし、目の前にいる人間に対して、口を動かさずにしゃべるしかない。3枚の違う形の口を省かれたため、口を閉じたまま話す――そうしたアニメーション上の構造において、クゼは少佐と共通している。彼らが共鳴しあうのはシナリオ上の都合ではなく、作画的な運命なのだ。

僕たちはつい、すでに言語化された、キャッチしやすい簡素な情報だけをつなぎ合わせて、映像作品の評価を行おうとする。着目せねばならないのは、「口を動かす動画が省かれている」というアニメーションの構造の部分だ。そこに気をつければ、アウトサイダーだらけの公安9課が固く結束して見えるのは、彼らが「口を開かずに会話する」作画上の特徴を共有しているおかげだと気がつく。

(文/廣田恵介)

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