1996年のセガから「サクラ大戦」が生まれた必然【中里キリの“2.5次元”アイドルヒストリア 第6回】

今や定番ジャンルとしてアニメ、ゲームなどで数多くの「アイドル作品」が作られ、またアイドルを演じるキャストによるCDリリースやリアルイベントも毎月のように行われている昨今(今年に入ってからは、新型コロナウイルスの影響で軒並み開催が延期・中止となってはいるが……)。

そんな2次元と3次元を自在に行き来する「2.5次元」なアイドルたちは、どのように生まれ、そしてどのようにシーンを形成していったのか。昭和、平成、令和と3つの時代の2.5次元アイドルを見つめ続けたライター・中里キリが、その歴史をまとめる人気連載、第6回がスタート!


前回までは初期「アイドルマスター」を取り上げましたが、声優自身がキャラクターをまとってステージに立ち続け、演じる役者とキャラクターがともに人生を歩むというコンセプトには、誰もが知る先輩がいます。

その作品の名は「サクラ大戦」。ゲームメーカーとして誰もが一度は聞いたことがあるセガの看板タイトルのひとつです。

セガの名に秘められた歴史

今回は「サクラ大戦」という、ゲームと舞台の両輪をプロジェクトの中核に据えたコンテンツが、セガという企業からなぜ生まれたかを考えたいと思います。

セガ社のルーツには諸説あり、探っていくと大変面白いのですが、本旨とはズレてしまうので、セガ公式サイトの沿革に沿って話を進めたいと思います。同社は1951年に創業され、1960年に「日本娯楽物産」として株式会社化されました。そして、日本娯楽物産が開発した国産ジュークボックス(音楽を再生するエンターテインメント機器)の名前が「セガ1000」でした。名称の由来は、前身となった企業のひとつと考えられる「Service Games」の頭文字です。企業としての「セガ・エンタープライゼス」の名称が歴史に登場するのは1965年のことになります。

家庭用ゲーム機メーカーとしてのセガの歴史は、1983年7月15日に発売したSG-1000からスタートします。「セガ1000」というジュークボックスを歴史の基点に持つ企業が、「SEGA GAME-1000」略して「SG-1000」というゲーム機をリリースしたのですから、そこにどれほどの気合と祈りが込められていたのかがうかがえるというものです。

しかし残念ながら、「SG-1000」がマニア層以外に大きく注目されることは、ありませんでした。売上自体は当初の目標を上回る結果を残したものの、同日に発売された圧倒的なライバルにゲーム市場は占拠されていきました。ライバルの名は「ファミリーコンピュータ」──通称「ファミコン」。京都で花札やゲームウォッチなどの玩具を販売していた企業・任天堂から発売された、ゲームの歴史を根本から塗り替える怪物が、SG-1000と同じタイミングで産声を上げていたのです。

「1983年7月15日」はセガの記念日であるとともに、世の中の濃いゲームマニアには深く愛されるけれど、客観的に見れば永遠の2番手ポジションに留まるという、ハードメーカーとしての苦闘のはじまりの日でもあったのです。その後、セガは「SG-1000II」「SEGA MARKIII」「MASTER SYSTEM」「メガドライブ」とコンスタントに家庭用ゲーム機のハードをリリースしますが、任天堂の──ファミコンの牙城は揺るぎませんでした。

1988年10月にリリースした「メガドライブ」はスペック面ではファミコンに対して優位にあったのですが、当時はファミコンソフト「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」が発売され、大行列や品薄が社会問題としてニュースで報道されたことからもうかがえるように、ファミコンの絶頂期だったのです。

ゲームハードの性能面に着目するのはやはりゲームファン、マニア寄りの視点であり、一般消費者の興味の焦点はやはりそのハードで何のゲームが遊べるか、という部分なのは、今も昔も変わらないように思います。1988年12月に「ファイナルファンタジーII」をリリースするなど、ファミコン陣営はソフトラインアップの充実で他ハードを圧倒していきました。そして、1990年11月に任天堂が新ハード「スーパーファミコン」をリリースすることで、任天堂のリードは決定的になったかと思われました。

しかし、ゲームハードの進化がおそろしく早く、ゲーム体験の本質すら変えてしまいかねないほどのポテンシャルがあったのがこの時代です。実はメガドライブ発売とほぼ同時期、任天堂・セガとしのぎを削っていたゲームハード「PCエンジン」が「CD-ROM2(CDロムロム)」という周辺機器を投入しました。今では当たり前となった、円盤状の光学ディスクにソフトウェアを記録する方式を採用するための機器です。

それまでのゲームハードは、ボックス状やカード状のROMカードリッジをソフトウェア媒体とする形が主流でした。ROMカートリッジには耐久性の高さや読みこみの速さというメリットもありましたが、記録できるデータ容量には限りがありました。いっぽう「CD-ROM2」が採用したCD-ROMは、ROMカートリッジに比べてデータアクセスに時間がかかるという難点がありましたが、音声や映像といった、今のゲームでは当たり前になっている大容量のデータを記録できるところに大きなアドバンテージがありました。

「CD-ROM2」はゲームハードとしては高価でしたが、「夢幻戦士ヴァリスII」や「天外魔境 ZIRIA」といった、音声やアニメーションを演出に取り入れたゲームの数々は驚きとともに受け入れられ、多くのファンを生み出しました。1990年代前半は、すでに圧倒的なシェアを誇っていた任天堂のスーパーファミコンと、新しい記録媒体を採用した各社の高性能ハードが戦いを繰り広げる時代になります。セガも1991年12月にメガドライブ用の周辺機器「メガCD」をリリースしています。

実は当時、任天堂にもCD-ROM採用の動きがありました。いえ、任天堂に対してCD-ROMの採用と共同開発を猛烈にプッシュしていた人物がいました。それが後にソニーの風雲児と呼ばれることになる、久夛良木(くたらぎ)健さんです。任天堂とソニーが共同開発するCD-ROMハードの開発コードネームの名は、「プレイステーション」。仮に「任天堂プレイステーション」が実現していたら、ゲームハード戦争は任天堂-ソニー陣営の圧勝で終わっていたかもしれません。

しかし、この夢のコラボハードは、世に出ることなく終わります。その過程もまたあまりにも複雑で不可解なため、ここでは言及を避けます。とにかく結果として、任天堂はCD-ROM採用ハードの開発競争から一歩引き、ソニーは自社単独でのハード開発をスタートしました。セガもまた、最大のライバル任天堂が見せた隙を見逃しませんでした。

1994年11月22日にセガが、CD-ROMドライブを搭載した家庭用ゲーム機「セガサターン」を投入。さらに12月3日にはソニー・コンピュータエンタテインメントが自社開発の家庭用ゲーム機「プレイステーション」を発売しました(先述の「任天堂プレイステーション」とは別物です)。これまで今ひとつ勝ちきれないイメージがあったセガですが、ゲームハードの性能の進化は、セガが持つ大きな資産である高品質なアーケードゲームタイトル群を、高いクオリティで家庭用に移植することを可能にしました。「セガサターン」には、アーケードゲームを家庭用ゲームでそのまま再現するだけのスペックがあったのです。「バーチャファイター」シリーズに代表される3Dゲームを家庭で楽しめることは、大きなアドバンテージでした。

しかし敵もさるもの、プレイステーション陣営も格闘ゲームでいえば「鉄拳」や「闘神伝」などの人気タイトルをぶつけてきます。ゲーム業界はセガとソニーの一騎打ちという、これまでとは違う構図を中心に動き始めました。

ハードメーカーとクリエイターの野心が手を結んだ

ついに任天堂を追い越す宿願が果たせるかもしれないタイミングで現れた、ソニーという新たなライバル。セガサターン発売前後の局面において、セガは喉から手が出るほどキラータイトルを欲していたことは想像できると思います。アーケードゲームの移植は、サターンのゲームハードとしてのハイスペックさを生かした武器です。では、CD-ROMという光学メディアの特性をどう生かすかを考えた時、映像面でも音声面でもリッチなコンテンツが求められるのは必然でした。当時の言葉で言うところの「マルチメディア」的な強みを持ったオリジナルタイトルを生み出したい。時代はTVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」登場前夜であり、アニメーション、そして声優といった存在が、強くアピールできる存在であると認知されだした時期でもありました。

そこで、セガが白羽の矢を立てたのが、CD-ROMの採用では先行していた「PCエンジン CD-ROM2」対応で世界を驚かせたソフト「天外魔境 ZIRIA」制作の中核メンバーのひとりだった、広井王子さんです。広井さんはゲームクリエイターという枠に収まらず、アニメ「魔神英雄伝ワタル」などにも関わってきたマルチクリエイターでした。そして、当時はCD-ROMのゲーム制作にしっかりと取り組んだ経験を持つ(ゲーム開発者以外の)クリエイターはまだまだ少ない時代でした。当時のセガの副社長・入交昭一郎さんが、広井さんをみずからヘッドハンティングしたのです。

「サクラ大戦」プロジェクトの原作・総合プロデューサーは広井王子さん。キャラクター原案は「ああっ女神さまっ」や「逮捕しちゃうぞ」で知られた漫画家・藤島康介さん。構成と脚本のメインに、1990年代に脚本家・ライトノベル作家として大ヒットを飛ばしまくったあかほりさとるさん。音楽はゲーム「天外魔境 風雲カブキ伝」で広井さんとチームを組んでいた田中公平さんを起用しました。「サクラ大戦」を象徴する一流クリエイターたちがここに集結したのです。

「サクラ大戦」において広井さんは、「歌」や「アニメ」といったCD-ROMの強みを生かした演出と、ロボットバトルを自然に併存させるために、歌劇団であり、降魔(モンスター)と戦う華撃団でもある「帝国華撃団」というコンセプトを生み出します。日本の歌劇団といえば宝塚歌劇団をイメージする人が多いと思いますが、広井さんの念頭にあったのは、戦前に宝塚とライバルとして火花を散らした松竹少女歌劇団だったそうです。浅草を拠点にしていた松竹歌劇団の名残を体験した、最後の世代が広井さんでした。

広井王子さんというクリエイターがしたたかなのは、実はそれ以前から、広井さんと盟友・田中公平さんとの間で「ミュージカルをやりたいね」「ゲームでやったら?」という会話があったと言われていることです。広井さんはセガの求めに応えると同時に、自分の(舞台・ミュージカルを手がける)夢をかなえるチャンスとしても「サクラ大戦」という企画を見ていたのだと思います。メインキャストの配役オーディションの時点で、正式に決定していたのはゲームの発売のみ。にも関わらず、声優業のかたわら、ジャパンアクションクラブに所属し、アクションや殺陣を学んでいた富沢美智恵さんを神崎すみれ役として選んでいることにもその片鱗が見えます。

その後、広井王子さんのこだわりの強さもあり、「サクラ大戦」の開発は困難を極めます。しかしセガの大場規勝プロデューサーや、藤島康介さんの信頼が厚いアニメーター・松原秀典さんといった新たなキーマンの力もあり、ゲーム「サクラ大戦」は1996年9月27日に無事発売にこぎつけます。同作のサターン版は50万本とも言われるヒットを飛ばし、伝説のコンテンツ「サクラ大戦」は最初の一歩を踏み出したのです。

ヒットの追い風を受けて、広井さんはいよいよもうひとつの夢である舞台「サクラ大戦・歌謡ショウ」の制作に乗り出します。広井さんのこだわりは、ゲームと舞台で同じ声優がキャラクターを演じること。舞台の感覚からすれば、それはかなり無茶なことだったでしょう。あえて俗っぽい要素をあげるのなら、ゲームで2メートル近い身長の肉体派・桐島カンナ役の田中真弓さんは、9歳の子ども・アイリス役を演じる西原久美子さんよりも小柄だったのです。

それでも、広井さんはゲームファンに届ける舞台として、作品と舞台で声と、芝居が一緒であることを何より大事だと考えたのです。それから約20年後、ブシロードの木谷高明さんが「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の企画を立ち上げる際に、2.5次元ミュージカルとアニメの声が違う違和感を解消するために、声優自身が出演するミュージカルコンテンツを作るとぶち上げた時は、歴史の糸がつながったような不思議な感動がありました。

「サクラ大戦・歌謡ショウ」の第1回特別公演「愛ゆえに」は、出演者のレッスン期間が1週間という突貫工事で行なわれました。キャストたちは通常のレッスン以外に、夜までみっちりと自主練習を重ねながら本番を迎えます。「サクラ大戦」の売店の看板娘・高村椿のナレーションに呼びこまれ、ステージに上がったのは本作の音楽を手がける作曲家・田中公平さんでした。公平先生がタクトを振るい、生オーケストラが奏でる名曲「檄!帝国華撃団」と共に、伝説の舞台は幕を切って落としました(文字通り紗幕が落ちる演出でした)。

それから、歌謡ショウは「サクラ大戦」の夏の風物詩となりました。5周年記念公演として開催された「海神別荘」は歌謡ショウの最高傑作と名高いです。6年目からは「スーパー歌謡ショウ」と名を改めました。富沢美智恵さんの歌謡ショウからの引退や電撃復帰など、さまざまなページを綴りながら、この舞台は2006年の「サクラ大戦 歌謡ショウファイナル公演「新・愛ゆえに」まで続きました。特記すべきは、舞台のたびに大量の新曲を書き下ろし続けた田中公平さんの怪物性です。

僕自身は学生時代にセガサターンの「サクラ大戦」と出会い、歌謡ショウ10年の歴史のほとんどは文献と映像の中でしか知りません。それでも2006年、上野の精養軒で行なわれた『サクラ大戦・歌謡ショウファイナル公演「新・愛ゆえに」』の制作記者会見で、花組のキャラクターたちの衣装を身にまとった声優さんたちの言葉を聞いて、彼女たちの10年の想いと、とても大きな歴史の節目に立ち会っていることを肌で感じました。

その後、多くの後輩たちが華撃団のスタァとして、ゲームだけに留まらずさまざまな活躍をしています。それでもやはり、はじまりのメンバー──帝国華撃団花組のさくら、すみれ、マリア、カンナ、アイリス、紅蘭、そして大神隊長とそのキャストたちは特別な存在です。現在アニメが放送されている「新サクラ大戦」のキャストの皆さんに取材をさせていただいても、そこで感じるのは「帝国華撃団・花組」の名を背負うことに対する畏れにも似た感情と、オリジナルに対する深い深い敬意です。

「アイドル」とはジャンルは違いますが、ゲームやアニメの声優が舞台でもキャラクターをまとって表現する道を拓いたこと。10年、さらにその先の人生の中でもキャラクターを演じ続けていること。そして今やベテランとなった彼女たちがひとたび役柄をまとって舞台に立てば、そこには真宮寺さくらや、神崎すみれがあらわれること。さまざまな意味で、「サクラ大戦」は2.5次元の文脈を辿るうえで、欠くことができない存在です。

(文/中里キリ)

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